「ロビンソン・クルーソー」

デフォー作 ・佐山栄太郎訳

エキスパンドブック 581KB/ドットブック版 320KB/テキストファイル 285KB

600円

父と対立し家出をくわだてたロビンソンは、海が好きだったので船乗りになることを選んだ。だが難破にあい、けっきょく28年間も無人島に暮らすことになる。衣食住すべてを、ほとんど何もない場所でまかなわなければならない。だが、ロビンソンの不撓不屈の自立精神は衰えることはなかった。サバイバルの古典! エキスパンドブック版にはE・A・ウィルソンによる図版19点を収録。

ダニエル・デフォー(1660〜1731)ロンドンの肉屋の息子に生まれる。父は牧師にするつもりであったが、その意志に背きシティで商売を始める。1683年ごろまで広くヨーロッパ大陸を旅行し、91年、風刺詩を出版する。以来、政治や宗教を風刺した作品を多数発表し、58歳のときに『ロビンソン・クルーソー 』を出版。異常な成功をおさめた。1730年に失踪事件を起こし、翌年ロンドンのモアフィールズの下宿で死去した。代表作「モル・フランダース」「疫病流行記」など。

立ち読みフロア
  わたしは一六三二年にヨーク市に生まれた。家柄はよかった。といっても代々この国の者であったのではなく、現に、父はブレーメン生まれの外国人で初めはハルに落ち着いたのであった。父は貿易でひと財産つくったが、商売をやめて、それから後ヨークに住みつき、この町の出のわたしの母と結婚した。母の実家はロビンソンという姓でその地方の名門であった。それにちなんでわたしはロビンソン・クロイツナーエルと呼ばれたが、イギリスによくある言葉のなまりで、わたしたちは今はクルーソーと呼ばれるようになった。いや自分たちもそう呼ぶし、署名もする。それでわたしの仲間はいつもわたしをそう呼んでいた。
  わたしには兄が二人あった。一人は陸軍中佐で、以前あの有名なロッカー大佐が指揮していたフランダース派遣のイギリス歩兵連隊に所属していたが、ダンケルク近くのスペイン軍との戦いで戦死してしまった。次の兄がどうなったかわたしはなにも知らない。わたし自身がどうなったか、父も母もまったく知らなかったと同じことだった。
  三男坊であったし、これという職業に仕込まれもしなかったので、わたしはずいぶん早くから放浪生活の思いに耽(ふけ)り始めていた。父はたいへん古風な人だったので、わたしにひととおりの学問はさせてくれた。つまり、家庭教育と田舎(いなか)の無月謝学校の教育程度のものであったが、それでもわたしを弁護士にするつもりでいた。しかしわたしは船乗りにならなければどうしても承知できなかった。こういう気持ちが父の意志、いや、父の命令と真っ向から衝突し、母の哀願や友人の説得にも逆らうことになった。やがてわたしの身に振りかかってくるあの悲惨な生涯に、直接向かっていこうとする持って生まれた傾向というものには、何か宿命的なものがあるように思われた。
  賢くて謹厳(きんげん)な父は、わたしの計画を見抜いて、心をこめたりっぱな警告をしてくれた。痛風で閉じこもっていた自分の部屋に、ある朝わたしを呼んで、この問題について懇々(こんこん)と説諭(せつゆ)してくれた。
  お前は親の家を出、生まれ故郷を捨てるというが、いったいどんな理由があるのか、ただお前のもっている放浪癖(ほうろうへき)にすぎないではないか。ここにいれば、りっぱに世間に出してもらえるし、勤勉と努力しだいでは身代(しんだい)を作る見込みもじゅうぶんあり、安楽なたのしい生活が送れるだろうに。冒険を求めて海外に乗り出し、思い切ったことでひと旗あげ、尋常一様(じんじょういちよう)でない仕事をやって名をあげようなんて連中は、やぶれかぶれになった人間か、幸運に恵まれた野心家か、そのどちらかなのだ。こういうことはお前などのとうてい企(くわだ)て及ぶところではない。あるいは、そこまで身をおとすべきことではない。お前の身分は中位のところだ。下層社会の上の部といってもよかろう。自分の長い経験によるとこれがいちばんいい身分で、人間の幸福にもいちばんぴったり合ってもいる。身分のいやしい連中の、みじめさや苦しさ、その労苦や苦悩をなめる必要もないし、身分の高い人たちの虚栄や贅沢(ぜいたく)や野心や嫉妬になやまされることもない。こういう中位の立場がどんなに幸福であるかは、ほかの連中がみんなうらやましがっていることを考えて見るだけでよくわかるだろう。……

 

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