「ローマ劇場毒殺事件」

エラリー・クイーン/石川年訳

ドットブック版 249KB/テキストファイル 237KB

600円

本格ものミステリーの雄、エラリー・クイーンのデビュー作であり、以後10巻に及んだ有名な「国名シリーズ」の最初の作品。ブロードウェイの新顔「ローマ劇場」には暗黒街ものの新作「拳銃稼業」に多くの観客がつめかけた。ナイトクラブの殴りこみ、ギャング出入りの派手さで受けている芝居だった。第二幕の山場で観客席の後部座席のほうから大きな悲鳴が聞こえた。客たちはこれも芝居の刺激的な新手だと思い、その方角に首をのばした……だが、それは芝居ではなく真実の殺人だった。被害者は悪徳弁護士! クイーン父子の捜査がはじまる。どうしたわけか被害者の持っていたはずのシルクハットが消えていた…

エラリー・クイーン
エラリー・クイーンは、従兄どうしのアメリカ人作家フレデリック・ダネイ(1905〜82)とマンフレッド・B・リー(1905〜71)の共同のペンネーム。二人は同年、ブルックリンに生まれ、典型的なニューヨーカーだった。1929年、クイーン警視の息子エラリー・クイーンが登場する『ローマ劇場毒殺事件』でデビュー、その後『ギリシア棺謀殺事件』『エジプト十字架事件』『フランスデパート殺人事件』などの「国名シリーズ」、『X』『Y』『Z』『最後の悲劇』からなる4部作の「悲劇シリーズ」など、最高の傑作を生み、アメリカ・ミステリー界を代表する作家となった。のちには「エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン」(EQMM)を創刊し、編集者・アンソロジストとしても活躍した。

立ち読みフロア

 一九二―年の芝居シーズンは、少し調子が変った始まり方だった。劇作家ユージン・オニールは知的観客層を動員するような新作の執筆を怠けてしまったし、大して芝居好きでもないのに、劇場《こや》から劇場を見てまわるような俗人どもは、まともな芝居を見すてて、手っとり早く楽しめる映画館のほうへ移った。
 そんなわけで、九月二十四日の月曜日の夕方は、三十七番街からコロンブス広場までの、劇場支配人や演出家たちは、折から、ブロードウェイ劇場街の花々しい電飾をにじませている霧雨の空を、恨《うら》めしそうに見上げていた。いくつかの芝居は、「はずれ」たのも神と気象台のせいとばかり、お天気だのみ神だのみのおえら方から、即刻打ち切り命令が出された。骨までしみるような雨のせいで、芝居の見物衆は、家に引きこもって、ラジオやブリッジにへばりついていた。さすがのブロードウェイも、人足まばらな通りを歩きまわる勇気のある連中にとっても、寒々とした眺めだった。
 しかし、四十七番街の「ホワイト・ウェイ」の西側のローマ劇場の前の歩道は、芝居シーズン最中の、お天気の日のような客足でたてこんでいた。『拳銃稼業』という外題《げだい》が、入口のガラス張りのひさしに、華やかに輝いていた。出札係が、「当日売り」の窓口で、おしゃべりしながら行列している客たちを、手ばやくさばいていた。制服の重々しさと、年功の落ちつきとが目立つ、黄と青の服をつけた案内頭が、『拳銃稼業』のような芝居をかけている者にとっては、無慈悲なお天気など、ちっともこわくないという顔で、シルクハットをかぶったり、毛皮にくるまれている、ごひいき客たちに、丁寧におじぎをして、平土間に迎えいれていた。
 ブロードウェイでも、一番新しいこの劇場の内では、観客たちが、今夜の芝居が荒っぽいものだという噂《うわさ》を聞いて来ているせいか、はっきりそれと分るほど座席でざわめいていた。やがて、大方のお客たちがプログラムをめくる音もやみ、おくれて来た連中が、隣席の客の足につまずくほど、場内の灯が暗くなり、幕が上がった。しんとした場内にピストルの音が咳《せき》をするように響き、男の悲鳴がきこえ……芝居が始まった。
『拳銃稼業』は、暗黒街におなじみの音響効果を使った、このシーズン幕あけの芝居だった。自動拳銃、機関銃、ナイトクラブのなぐり込み、ギャング出入りのもの凄《すご》い騒ぎ――すべてこれ、小説じみた犯罪社会の手持品といったものが、三幕のアクションものにまとめられていた。それは、誇張された時代の反映で――少し荒っぽく、少しばからしいが、全体としてはお客たちにはうけ《ヽヽ》ていた。そのために、晴雨にかかわらず劇場は満員だった。今夜も、この客の入りが、うけ《ヽヽ》ている証拠だった。
 芝居はうまく進行していた。観客は第一幕の、凄いクライマックスに、興奮していた。雨があがったので、客たちは、最初の十分間の幕間を、路地でひと息いれるために、ぞろぞろと出て行った。第二幕の幕が上がるとともに、舞台の銃声はいよいよ烈しくなった。脚光をとびこえて響く烈しい科白《せりふ》のやりとりが、第二幕目の大きなやま場へかかっていった。劇場の後部座席のほうで、かすかなざわめきがおこったが、このさわぎと暗さの中では、だれも気がつかないのがあたりまえだった。だれ一人何か故障のあったことに気がついた者はいないらしく、芝居はどんどん進んでいた。ところが、だんだんに、ざわめきが大きくなってきた。その頃になると、後部の左側の座席の二、三人の連中が、そわそわしだして、低い声で怒り、文句を言い出した。と、たちまち、文句が拡がっていき、あっという間に、いく十人の目が、平土間のほうへ注がれた。
 突然、絹を裂くような悲鳴が、劇場《こや》をひきさいた。舞台のやま場の進行に、興奮して、うっとりしていた観客たちは、この芝居の刺激的な新手だと思い、それを見ようと、夢中になって悲鳴のおこったほうへ首をのばしたのである。
 いきなり場内の灯がついて、戸惑《とまど》った顔や、恐怖にとらわれた顔や、知ったかぶった顔を、照らし出した。一番左手の、ドアの閉まっている出口の近くに、大男の警官が立って、やせた青白い男の腕を支えていた。警官は大きな片手で、物見高い一団の人々を押しのけながら、とてつもない大声で、どなっていた。「皆さん、席についとって下さい! 席をはなれちゃいかん! 皆さん!」
 観客たちは笑った。
 その笑い声は、すぐに消えた。というのは、観客たちは舞台の役者たちが、妙にとまどっているのに気がつき始めたからだ。役者たちは、脚光の後ろで科白は言いつづけていたが、平土間のほうへ、けげんそうな目を向けていた。それに気づいた人々は、悲劇のにおいをかぎつけて、腰を浮かしてさわぎはじめた。警官は堂々たる声で、どなり続けた。「坐っとれと言うんだ! 離れちゃいかん!」
 観客は、この出来事が、芝居ではなくて、現実なのに、突然、気づいた。女たちは叫んで、連れの男にしがみついた。階下で何がおこったのか見られない二階席の連中が、騒ぎ出した。
 警官は、夜会服を着て、両手をもみながら、そばに立っている、ちょっと外国人のようなずんぐりした男のほうを、ふり向いた。
「すぐ出入口を全部閉鎖して、戸口を見張ってもらわねばなりません。パンザーさん」と大声で命じた。「全部の出入口に守衛を配置して、一切の出入りをとめるように命令して下さい。署から応援が来るまで、通路のほうへもだれかを見張りにやって下さい。早くして下さい、パンザーさん。やじ馬の先手を打って!」
 色の浅黒い小柄な男は、警官が大声で制止するのもきかずに、ひしめき合って問いかけようとする群衆を押し分けて、大急ぎで出て行った。
 紺制服《こんせいふく》の男は、左側の座席の最後列の入口に、仁王立ちになって、そのむっくりと肥えた大きな体で、座席の間の床に、夜会服をきて奇妙な恰好《かっこう》で倒れている紳士の姿をかくしていた。警官は、そばでびくびくしている男の腕を、しっかり掴んだまま目をあげて、オーケストラ席の後ろのほうを、じろっと見た。

……
第一幕第一場 芝居見物と死体の出現より


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