「サキ短編集」

サキ/田内初義訳

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400円

ユーモアにひそむ皮肉と悪意、人間の行動をさめた目で見通すサキの短編はブラックユーモアの佳品。この短編集には傑作19編をおさめてある。

サキ(1870〜1916) 風刺を身上としたイギリス生まれの作家。短編で知られ、その代表作の多くは新聞に掲載された。野生の動物を愛し、どこに行ってもすぐさま興味深い人物を見つける才能があったという。本名はヘクター・H・マンロー、「サキ」は筆名でオマル・カイヤームの「ルバイヤート」に由来し、「酌人」の意である。

立ち読みフロア
 ロンドンは秋であった。冬のきびしさと夏の過酷さにはさまれた、祝福の季節。球根を買い、選挙人名簿を見て、春を待ち、政府の交代をしびれをきらしながら待ちのぞむ。信頼の季節。
 ハイド・パークの片隅にあるベンチに腰をおろして、煙草を楽しみながら、足もとをゆっくりと通りぬけてゆく白雁の一対を、モートン・クロスビーは見守っていた。雄は、赤っぽい雌の白子のように見えた。また、あたかも食物を見つけて降りて来る用心深い烏のように、ほんの短い間に彼のベンチのそばを二、三回も行き来する人影が足速にうろつきまわるのを、クロスビーは眼のすみで、興味ぶかげに眺めていた。その人物は、当然、先住者が腰をおろしているベンチの、会話の出来るところまでやって来た。その無造作な服装や、のび放題のごましおの髭(ひげ)や、おどおどと人目を避ける眼付などが、昼ひなか人並みに働かずに、屈辱に充ちた物語をつむぎ出す夕暮れにうろつきまわる、まったくの浮浪者であることを示していた。
 この新参者は、しばらくのあいだ、自分の眼の前を一所懸命に見つめていたが、他人に聞かせるに価する話を知っている者独得の、気をもませるような物の言い方をしはじめたのである。
「おかしな世の中ですな」
 しかし、何の反応もないので、彼はその表現を質問の形に変えた。
「まったく、この世の中は変てこりんなものだとお思いになりませんか?」
「わたしの意見では、この三十六年間に、変てこりんなことはすべて無くなってしまったという感じです」クロスビーは答えた。
「わたしはですな」と、ごま塩髭は続けた。「あなたが思いも寄らないような話を知ってますよ。実際このわたしが体験した、すばらしい話なんです」
「すばらしい出来ごとが今の世の中に起きるなんて、信じられませんな」と、クロスビーはがっかりした声を出した。「職業作家のほうが、そういった話は何倍もうまく創ります。たとえば、わたしの隣人が、アバディン種や中国種や、ボルゾイ種の犬などが実際に行(おこな)ったという、信じがたいほどの話をしますが、わたしは耳をかしません。そのかわり、『バスカービル家の犬』を三度も読み返しましたよ」
 ごま塩髭は、ベンチの上で居心地わるそうに体をうごかしたが、話の向きを変えた。
「あなたは、口先だけのクリスチャンの様子ですな」と彼は言った。
「わたしは有名人で、東ペルシャの回教徒の指導者かもしれませんよ」とクロスビーは、出たらめを言って話をそらした。
 ごま塩髭の男は、この思いがけない方向転換に度を失ったが、じきに気をとり直した。
「ペルシャですか。まさかペルシャの方(かた)とは思いもよりませんでした」と、憤慨したような口調だった。
「わたしじゃない、父がアフガニスタン人なんです」とクロスビーは言った。
「アフガニスタン人ですって!」相手は、しばらくの間、あっけにとられて黙り込んでいたがやがて気をとり直し、攻撃を再開した。
「アフガニスタンですか。それはまあ! あの国とは戦争しましたねえ。戦争なんぞせずに、何かを学べばよかったんですよ。大変豊かな国と聞いております。貧困なんか無いそうですな」
 貧困という言葉を口にするとき、はりつめた感情で、声が昂(たか)ぶった。クロスビーはそれに気付いたが、わざと無視した。
「しかしあの国にも、才能ゆたかで素直な乞食がたくさんいますよ」と彼は話した。「実際におきた話を、わたしがそしるような口調で話すのがお嫌いでなかったら、吸取紙の荷を積んだ十一頭のラクダとイブラヒムの事をお話してもいいですよ。ただしその結末は忘れましたがね」
「わたしの一生もずいぶん不思議なものでした」と、この見知らぬ男は、イブラヒムの話を聞かされでもしたら大変だといわんばかりに口をはさんだ。「いつも、いまあなたが御覧になっているような格好じゃありませんでした」
「人間はほぼ七年おきぐらいに、境遇が変わってしまうもののようですね」とクロスビーは、こらからの話の予告をした。
「わたしは、いつもこんなみじめな状態ではなかったと言ってるんです」と見知らぬ男はしつっこかった。
「あなたが現在、アフガニスタン方面で最も才能豊かな対話者であると評判の人物と向かいあっている事実を考えると、それは変ないいぐさですね」クロスビーは冷たく言った。
「そんなつもりで言ったんじゃないんです」とごま塩髭はいそいで否定した。「あなたのお話は、とても面白いんです。ただ、わたしは現在の自分の経済的に恵まれていない状態を言ったまでなんです。信じてもらえないかもしれませんが、わたしはいま無一文なんです。その上、これから数日中に、金の入る予定などまったくないのです。あなたは多分、こんな目には逢ったことなどないでしょう」
「南アフガニスタンで、わたしが生まれたヨムの町では、中国の聖人が、三つの大切な至福のうちの一つは、無一文であることだと言っています。あとの二つが何だか忘れましたがね」
 聖人の話になぞ何の興味もないといった口調で、その男は答えた。「その男は、自分で言ったような目に逢ったことがないんですよ」
「ほとんど文なしで、その男は幸せに暮したんです」クロスビーは言った。
「現在のわたしのような窮状にあるときに、助けてくれるような友人が、きっといたんですよ」
「ヨムでは、助けを求めるのに友人は必要ありません。誰でも見知らぬ人を助けるんです」とクロスビーは言った。
 ごま塩髭の男は、非常な興味を示した。話はいまや、佳境に入ったのである。
「それにはまず、前もってしなければならないことがあります」とクロスビー。「まず相手を酒屋にさそって、酒を一杯ふるまうんです。そしてひとしきりお喋りしたあとで、ある程度のお金を握らせて、別れを告げるんです。単純なことをこうして遠まわしに行うんですが、東洋では何事もこうなんです」
 聞き手の眼がぎらぎら光った。
「ほう」と彼は嘆声を発したが、その声には意味ありげな冷笑のひびきがあった。「だけどあなたは、御国を離れて以来、その寛大な習慣をきっと忘れられたことでしょうね。もうそんなことをなさるはずもありません」
「一度あのヨムに住み」とクロスビーは熱っぽい口調で続けた。「あのあんず(ヽヽヽ)やアーモンドの樹が一面に生えている緑の丘、雪に覆われた山頂から、愛撫するように、小さな木橋の下をくぐって流れる清水などを覚えており、その記憶をいつくしんでいる者は、誰一人としてあの町の習わしやしきたりを忘れることは出来ないんです。あたかもいまなお若き日の聖なる家に住んでいるかのように、あの習慣はぼくにしみついているんです!」
「それでは、もしわたしが、ほんの少しばかり貸して下さいとお願いしたら……」と、ごま塩髭は、ベンチの端ににじり寄り、どの程度までならねだれるかを大急ぎで計算しながら、こびるような口調になった。「もしわたしが、お願いしたら……」
「勿論ですとも、今日でさえなければ」とクロスビーは言った。「しかし、十一月と十二月は、金銭の貸し借りや贈与などは禁じられてるんです。それどころか、口にしてもならないんです。不幸になると言い伝えられてます。ですから、この話はもう止めましょう」
「だけどまだ十月ですよ!」その男は、クロスビーがベンチから立ち上がったのを見ると、熱心に、怒ったようにかきくどいた。「まだ月末までに八日ありますよ」
「アフガニスタンの十一月は、昨日から始まってます」と、クロスビーは冷たく言い放った。そして次の瞬間には、腹立ちを押さえかねて不平を言っている相手をベンチに残したまま、大股に公園を歩いていたのである。
「奴の話など一言たりとも信じるものか」と、男は自分に言っていた。「初めから嘘八百ならべやがって。まったく怒鳴りつけてやるべきだったよ。アフガニスタン人だなんて!」
 それからの十五分間ほどにこの男がもらした不平不満は、「売り手と買い手じゃ意見があわない」という昔のことわざがいかに正しいかを証明していた。

……《秋の公園》全文

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