「三銃士」(上・下)

アレクサンドル・デュマ/江口清訳

各500円


(上)ドットブック 364KB/テキストファイル 298KB
(下)ドットブック 351KB/テキストファイル 285KB

フランスのリシュリュー時代を舞台に、アトス、ポルトス、アラミスの三銃士と堅い友情で結ばれたダルタニャンとが、陰謀と権謀術数の渦巻くなかを泳ぎ渡ってゆく痛快、汗握るデュマならではの冒険活劇。スリルと波乱、雄大なスケールで、決して読者をあきさせない最高級のエンターテイメント! 。

アレクサンドル・デュマ(1802〜70)フランスの小説家、劇作家。黒人系の血をひき、北フランスのヴィレール=コトレに生まれる。パリに出て法律を学び、能筆を認められてオルレアン公の秘書になるが、18のときに観た「ハムレット」を忘れられずに劇作に打ち込み、29年「アンリ3世とその宮廷」によってデビュー。以後、多くの劇作によって評判をとった。35年頃からは歴史小説に手を染め、「三銃士」(のちに大連作「ダルタニャン物語」として完成)、「モンテ・クリスト伯」などの大作を次々に発表、世界を代表するエンターテイメント作家になった。派手な暮らしでも有名になったが、晩年はひっそりと息子の住む別荘先で亡くなった。

立ち読みフロア
  一六二五年四月の第一月曜のこと、『ばら物語』の作者の生まれたマンの町は、まるで新教徒(ユグノー)たちがやってきて第二のラ・ロシェルにでもしてしまったように、てんやわんやの大さわぎだった。町の人たちは、女どもが大通りのほうへ逃げ去ったり、子どもたちが戸口で泣き叫ぶのを聞くと、いそいで鎧(よろい)を着こみ、いささか心もとない気持ちを火縄銃(ひなわじゅう)や槍(やり)で支えて、旅館フラン・ムニエのほうへ駆けつけた。旅館の前には、好奇心いっぱいの群衆が、がやがや騒ぎながら、刻々につめかけていた。
  当時、このような騒ぎは日常茶飯(にちじょうさはん)のことで、どこの町の記録にも、このような出来ごとが書きとめられていないことは、ほとんどないといってよかった。諸侯はたがいに戦っていたし、国王は枢機卿(すうききょう )と争っていた。また、スペイン王と国王との戦いもあった。そのうえ、こうした内戦や国と国とのあいだの争いのほかに、なお盗賊(とうぞく)や、乞食(こじき)や、新教徒や、狼(おおかみ)や、ならず者がいて、民衆の日常生活を脅かしていた。町の人たちは、常にこれらの盗賊や狼やならず者に対して武装していて、しばしば諸侯や新教徒に対して、ときには国王に対しても立ちあがった。ただ、枢機卿とスペイン王に立ち向かったことは、けっしてなかった。
  つまり、こういう風習が身についていたので、前記の一六二五年四月の第一月曜日に、騒ぎを聞きつけた町の人たちは、べつに黄と赤のスペインの旗も、リシュリー公の定紋(じょうもん)も見えないのに安心し、フラン・ムニエ館のほうへと駆けつけたのだった。
  行ってみると、だれの目にも、騒ぎの原因がすぐにわかった。一人の青年、その肖像をひと筆で描くとすると、十八歳のドン・キホーテを想像してくれればいい。鎖(くさり)かたびらも胸当てもつけていないドン・キホーテ、ブルーの地色が、酒粕(さけかす)色か明るい空色か見分けもつかない色合に変色してしまった、毛糸の胴着を着こんだドン・キホーテである。面長(おもなが)で、色は浅黒く、頬骨が突き出ているのは、ずる賢く見える。あごの筋肉が異常に発達しているので、ベレー帽なしでもガスコーニュ人であることは歴然としているが、この青年は羽飾りのついたベレー帽をちゃんとかぶっていた。目は利口そうで、大きく見開かれ、鼻は鉤鼻(かぎばな)だが、鼻筋は通っている。少年というには大きすぎたし、成人というには小さすぎた。うっかりした人間で、腰の長剣を見落としでもしようものなら、これは旅に出た農家のむすこだぐらいに思ったかもしれない。吊革(つりかわ)につるされたその長剣は、歩くときには持ち主のふくらはぎを、馬上で行くときには馬の腹をおおっている毛を、ぱたぱたたたいていた。

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