「人形佐七捕物帳(1)」

横溝正史作

ドットブック 126KB/テキストファイル 103KB

400円

「半七」「銭形平次」と並んで三大捕物帳といわれる「人形佐七捕物帳」。その最大の特色は横溝正史ならではの情痴・妖艶・欲望・怪奇・諧謔のからむ物語の面白さと、脇役の活躍の妙にある。主人公はむろん、神田お玉が池の佐七(人形とつくのは人形のように端正な美男であることから)。これに恋女房のお粂《くめ》、「雷ぎらいの」きんちゃくの辰と、「蛇ぎらいの」うらなりの豆六がからむ。とくにひょうきんな豆六は関西弁を駆使する、なくてはならぬ脇役だ。 

この巻は、佐七一家の成り立ちを知る絶好の入門編。佐七が初めて名を売ったてがら話「羽子板娘」、辰五郎が船宿の船頭から足を洗って佐七の子分になったいきさつを描く「開《あ》かずの間」、やきもち焼きの姉さん女房お粂と一緒になるきっかけの事件「嘆きの遊女」、上方出の御用聞き志願で佐七に弟子入りし、へっぴり腰で《御用や、御用や》とかしましく立ち回る豆六の登場をえがく「螢屋敷」など6編を収録。

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「親分、いかがです。へへへ、ひとつ当たってみやしょうか」
「なんだえ、辰」
「お隠しなすってもいけません。むこうの花のかげで、女中あいてに茶をたてているご新造、いい女じゃありませんか。あれなら親分が、魂をすっとばしても恥ずかしかアねえ。あれ、いやだな。ほら、ほら、よだれがたれますぜ」
「バカなことをいやアがる。ひとが笑うぜ」
 にが笑いしたのは人形佐七。
 ことしにわかに、パッと売り出した佐七は、いまではきんちゃくの辰という子分もある。腰ぎんちゃくの辰、すなわち、きんちゃくの辰である。
 佐七は辰にからかわれて、人形のようなほおを染めたが、それでもまんざらでもなさそうに、
「辰、それにしてもありゃ何者だろうな。どうせ堅気じゃあるまいが、お囲いもんかな」
「へへへ、よっぽど気になるとみえますね。どれ、このきんちゃくの辰が使いやっこになって、お伺いをたててきますべえか」
「バカ、みっともねえまねはよしねえ。いいから、もう少し、ここでようすを見ていろ」
 ご近所の義理で、がらにもなく飛鳥山《あすかやま》へ、お花見にと繰りこんだ佐七だった。
 だが、なにがさて当時の飛鳥山ときたら、「八笑人」にもあるとおり、にぎやかなとか騒々しいとかいうだんじゃない。まるでもう気が狂ったような騒ぎ。おまけに佐七の連中ときたら、神田でうまれて、神田でそだった生えぬきの江戸っ子、遊び好きの、しゃれ好きの、芸人ばかりそろっていたから、やれ芸尽くしだの茶番だのと、うっかりつきあっていると頭痛がしそうだ。
 いいかげんに座をはずした佐七は、気に入りの子分、きんちゃくの辰五郎というのをつれて、いましも、人影まばらな花の下で、いい気持ちに酒の酔いをさましているところだった。
 その佐七の目に、ふとうつったというのが、少し離れたむこうの花の下で、女中あいてに静かに茶をたてている女。年は二十二か三か、まったく水のたれそうないい女だ。
 どう見てもしろうととはみえないが、それでいて、どこかきりりとしたところがあり、といって、おつに澄ましているのでもない。さんざ道楽をしぬいた佐七でさえが、おもわず見とれるほどの女ぶり。
「親分、これからむこうへ押しかけて、茶の所望をしようじゃありませんか。どうせ花見の席は無礼講だ。親分はあの新造と話をしなせえ。あっしゃ女中のほうに当たってみやすから」
「なにをいやアがる。ああして茶をたてているところをみると、待ち人があるにちがいねえ。バカをすりゃとんだあかっ恥をかくぜ。ほら、みろや、むこうのほうでも、じっとあの女をみているお侍があらあ」
 なるほど、少しはなれた花の下から、五十がらみの浪人ていの侍が、編み笠《がさ》片手に、じっと女のほうをながめていたが、なんとやら、その目つきが佐七には気になった。
「なあに、ありゃなんでもありませんのさ。お侍でも浪人でも、いい女はやっぱりいい女だ。それにしても、野郎、年がいもなくよだれのたれそうなつらアして、気のくわねえさんぴんだ」
「バカ、大きな声をしやアがって、きこえるぜ」
 佐七があわててとめたがおそかった。浪人は鋭い目でジロリとこちらをみると、すっぽりと編み笠をかぶりなおして、逃げるように去っていく。
「それみねえ、だからいわねえことじゃねえ」
 佐七はさすがにきのどくに思ったが、酒の元気で辰はいっこう平気なものだ。
「はっはっは、逃げていきゃアがった。聞こえたってかまうもんか。それより、親分……あ、いけねえ、いつのまにか先客がとび込みやアがった」
 なるほど、みれば、例の女のそばへ、そのとき、足もともあぶなくよろよろと、ころげこんだ男がある。紺かんばんに下帯一本、ふうの悪い折り助が、酔いにまぎれて悪ふざけをしているらしく、女はきッと柳眉《りゅうび》をさかだて、いずまいを直した。
「そうら出やアがった。親分、いまだ。おまえさんがあの女を助ける。女のほうからほの字とくらあ。おあつらえむきの人情本さね」
「なにをいやアがる。バカも休みやすみいえ」
 なんとやら、さっきの浪人の目つきが気になる佐七は、依然無言のまま、むこうのようすをながめていたが、折り助の悪ふざけは、しだいに露骨になってくる。もうこれ以上、捨ててはおけない。佐七が腰をあげようとしたときだ。
 女の肩にしなだれかかった中間《ちゅうげん》が、なにやら、その耳にささやいたかとおもうと、いままで逃げ腰になっていた女が、ハッとしたようすで、あいての顔を見直したから、おや、こりゃ風向きが変わってきたぞと、佐七がおもわず二の足を踏んだのが、あとから思えばそもそもまちがいのもと。
 ちょうどそのとき、むこうの花のふもとから、わっしょい、わっしょいと肩組みあって踊りだしてきたのは、十五、六名の若いもの、そろいの衣装に、めいめい花見のお面や目かつらをつけたのが、いきなりわっと女と中間のまわりを取り巻くと、手を握るやら、しなだれかかるやら、だんごのようにもみあって、いやもう、たいへんな騒ぎになった。
 なかでもひとり、ひょっとこの面をかぶっている男、そいつだけ衣装がちがっているのだが、それがひとりであばれているのが目についた。
「ちくしょうッ、いやなわるさをしやアがる」
「だからいわぬこっちゃねえ。親分がはやくとび出さねえからですよ」
 だが、その騒ぎもながくはつづかなかった。さんざっぱらあばれまわった若いものが、わっと歓声をあげて、四方に散ったあとには、女と女中と、例の紺かんばんの三人だけ。
 佐七はふいにはっと顔色かえ、
「おい、辰、いま逃げていったやつをひっぱってこい」
「へえ」
「へえじゃねえ。人数はたしかに十五、六人、のこらずここへひっぱってくるんだ」
 いいも終わらず、タタタタタと女のそばへ駆け寄って、
「ご新造、こ、これはいったいどうしたんですえ」
「はい」
 さっきの騒ぎで逆上したのか、ほんのりと顔を染めた女は、女中とふたり、おこりが落ちたようにきょとんとしていたが、佐七に指さされてひとめ中間のほうへ目をやるや、
「あれえっ」
 と叫んで、女中のからだにしがみついた。
 むりもない。中間ののどにはぐさりと一本、銀かんざしが深く食いこんで、あたりはいちめん唐紅《からくれない》。むろん、すでにこときれていた。
「野郎、やりゃアがったな」
 それとみるよりきんちゃくの辰、しりはしょっていちもくさんに駆け出した。

……「嘆きの遊女」冒頭

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