「人形佐七捕物帳(2)」

横溝正史作

ドットブック 153KB/テキストファイル 112KB

400円

赤い小袖、赤頭巾、赤い足袋と、赤ずくめなので「ほおずき大尽」と陰口をたたかれていた深川の材木商の隠居万助。ところがここに、赤ずくめの衣装をまとった殺人鬼が登場した!…この「ほおずき大尽」のほか、「鳥追い人形」「稚児《ちご》地蔵」「石見《いわみ》銀山」「双葉《ふたば》将棋」「うかれ坊主」の6編を収録した続編。
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 江戸の夏は、祭礼にあけて祭礼にくれる。
 まず六月十五日の山王祭りをふり出しに、八月十五日が名月深川の八幡《はちまん》祭り、くだって、九月十五日の神田《かんだ》明神は神田祭りと、ここいらが横綱格だが、そのなかで、とりわけ名高いのが深川の八幡祭り。
 この八幡祭りがなにゆえとくべつに有名かというと、文化四年に永代橋墜落という、前代未聞の大椿事《だいちんじ》をひきおこしたからで。
 この年は、しばらく打ち絶えていたみこしの川渡御《かわとぎょ》が、ひさしぶりに、復活されるというのが人気をあおって、江戸じゅうの人間がわれもわれもと、江東めざして押し出したからたまらない。
 永代橋の東のほうから十二間、メリメリと墜落して、そのとき、橋とともに、水中にふるい落とされて死んだかずが、おどろくなかれ、千五百人という、じつに古今未曽有《みぞう》の大椿事。
 だが、ここにお話しするのは、そのときのことではなく、それより十年ほどのちのこと。
 この年は文化四年のような騒ぎはなかったが、なにがさて、名高い八幡祭りのこと、氏子にあたる本所、深川、京橋、日本橋の町々が、金にあかして山車《だし》、船屋台の趣向くらべのなかでも、茅場町《かやばちょう》からくりだす船屋台の生き人形というのが、まえから評判になっていて、その日は、朝からたいへんなにぎわいだ。
 さて、当日は将軍家の姫君も、船でご参詣《さんけい》というお触れがあらかじめ出ているので、時刻がくると、お船手の役人が綱をはって、永代橋はぴったりとしばし通行どめ。やがて、巳《み》の上刻、いまの時間でいえば午前十時ごろともなれば、鯨幕をはったご座船が、お成り間と称する河心二間ほどの水路を、櫓拍子《ろびょうし》もいさましくこいでくる。
 むろん、そのあいだほかの船は、両河岸《かし》に目白押し、つつしんで、堵列《とれつ》していなければならないのだが、それがどういうまちがいか、ご座船が永代橋のきわまでさしかかったとき、むこうからやってきたのが船屋台の一行である。
 これがまた、三味《しゃみ》太鼓の囃子《はやし》もにぎやかに、ご座船のほうへ近づいてきたから、おどろいたのはお船手の役人はじめ、警備の任にあった町奉行付きの連中だ。
「ひかえろ、将軍家姫君のお成りなるぞ」
 バラバラと舟をこぎよせ、声をからして制止しようとするのを、はるかにご覧になったのがご座船の姫君で、
「たれかある。あのものどもをそのままに差しおくよう申しつたえよ。ときにとっての一興、わらわも見たいと思いまする」
 とおっしゃったから、つるの一声。
 よろこんだのは船屋台の一行である。
 あやうくおとがめをくうところを助かったばかりか、姫君のご前で、ひごろ鍛えた遊芸のひとつもご披露《ひろう》しようというのだから、これこそ一代の面目だ。
 やがて、お船手のさしずによって、船屋台の一行は、ご座船からやや離れたところを通りすぎる。
 まず第一番は瀬戸物町の船屋台で、これはかわいい女の子がふたり、雄蝶雌蝶《おちょうめちょう》の踊りかなんか踊っていたが、さすがに、堅くなってふるえているのもいじらしい。
 二番めは住吉町《すみよしちょう》のバカ囃子。これはまた、遠慮はかえって無礼とばかり、ドンチャン、ドンチャン、べらぼうな音をたてて通りすぎる。
 姫君は御簾《みす》のうちより、ことのほか興ありげに、これらの船屋台を見ていられたが、やがてそこへ差しかかったのが、当日よびものの茅場町の生き人形だ。
 この生き人形というのは、人形作りの名人といわれた茅場町の亀安《かめやす》という人形師が、腕によりをかけてつくったもので、場面は芝居の道成寺。
 かつて、役者の瀬川菊之丞《きくのじょう》が大当たりをとった、白拍子花子をそのまま写したものだが、浜村屋生き写しの顔といい、赤地に金糸銀糸で刺繍した衣装のきらびやかさといい、そのみごとなことは、筆にもことばにもつくせない。
 この生き人形を中心に、町の師匠やのど自慢のだんな衆が、長唄《ながうた》の道成寺をきかせようという趣向で、これはまったく大当たり。
 姫君もたいへんご満足で、このまま船屋台が、通りすぎてしまえは上首尾だったが、好事《こうず》魔多し、そのときたいへんなことが起こったのである。
 茅場町のあとにもう一艘《そう》、どこかの船屋台がつづいていたが、どうしたはずみか、これがどんとうしろから、まえの船に追突したからたまらない。
 はずみをくらってぐらぐらと船がかたむいて、あの生き人形がばったり倒れた。
 いや、倒れただけならまだよいのだが、あいにく、顔のところが舷《ふなべり》にぶつかったから、さあ、たいへん、うつくしい顔が、こっぱみじんに砕けたから、おどろいたのは船屋台の一行だ。
 ご前も忘れてわっと総立ちになったが、そのときだ。なんともいえない、恐ろしいものが目にとまったのである。
 こっぱみじんに砕けてとんだ人形の顔のうしろから、おしろいを落としたように、もうひとつの顔がのぞいているのだ。
 しかも、その顔の気味悪いこと。
 紫色に腐乱して、目、口、鼻、人相の見わけもつかぬまでに、くずれかかった女の顔、それがこう、おどろに髪を振りみだして、ぬうっと白日のもとにさらけ出されたから、いや、おどろいたのなんのって。
 だんな衆は腰をぬかす。娘たちは気絶する。
 船屋台のなかはうえをしたへの大騒ぎだが、このとき長唄の女師匠、杵屋和孝《きねやわこう》というのがとっさの機転、そこにあった二枚折りの屏風《びょうぶ》を、つと、死骸のまえに突っ立てたが、これは姫君に、忌まわしいものをお見せしてはならぬというとっさの働き。
 おかげで姫はけがれも見ず、ぶじにご参詣ということになったが、さあ、そのあとがたいへんだ。

……「鳥追い人形」冒頭より

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