「人形佐七捕物帳(5)」

横溝正史作

ドットブック 146KB/テキストファイル 111KB

400円

お玉が池町内の若者たちが集まってひらかれた歌留多(かるた)合戦。そこに江戸一番の人気女形(おやま)嵐菊之助が姿をみせたが…その菊之助が湯島の境内で殺される。死骸の上には一枚の歌留多!…この「小倉百人一首」のほか、「紅梅屋敷」「彫物師(ほりものし)の娘」「括り猿(くくりざる)の秘密」「睡(ねむ)り鈴之助」の5編を収める人気シリーズ。

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 源平歌留多《かるた》合戦
  ――兄い、そらあかん、お手つきや

 天の原ふりさけ見れば春日《かすが》なる
      三笠《みかさ》の山にいでし月かも
 これはまたどうしたことか。
 七草粥《がゆ》もいわいおわって、屠蘇《とそ》きげんからそろそろ覚めてもよい正月十日の晩のこと。神田お玉が池は佐七のうちから、朗々としてきこえてくるのは、小倉百人一首を朗詠する声である。
 読んでいるのはお粂《くめ》らしく、それにつづいて、
「取ったア!」
 と、野暮な声をはりあげたのはきんちゃくの辰《たつ》、まるで十手でもふりまわしているような声だが、つぎの瞬間、豆六の声で、
「兄い、こすいよ、こすいよ、それ、わてが取ったんやおまへんか」
「べらぼうめ、てめえが取ったのなら、なぜ取ったとか、ありましたとか威勢よくいわねえんだ」
「いうたよ、いいましたがな。そやけど、わての声はいたってみやびやかやさかい、兄いの胴間声《どうまごえ》に消されてしもうて……」
「なんとでもいえ、どうせおれの声は胴間声だろうよ。そして、てめえの声はみやびやかかもしれねえ。だけど、歌留多《かるた》というものはな、こうして取ったものが勝ちということよ」
「そやかて、わてがありましたアちゅうて、おさえてたんを、兄いがむりにはねのけて、横取りしたんやおまへんか。そんなんこすいよ、こすいよ。親分、あんたそないにニヤニヤしとらんと、なんとか公正に裁きをつけておくれやすな」
「あっはっは、豆六、これゃおまえの負けだな。江戸っ子は気性があらっぽいから、あいての手をはねのけてでも歌留多をとるのよ。おまえみたいにおみやびやかいっぽうじゃ、一枚だってとれめえよ」
「あれッ、親分まで兄いの肩を持ちゃはんのんかいな。よウしッ、ほんならわてにも覚悟がおます。こんど兄いがわての手をはねのけようとしやはったら、遠慮せえしまへんで。ひっかいてやりまっさかいな」
「そうそう、豆さん、せいぜいつめをといでおおき。どうせあいては、どろぼうねこみたいなおひとだからね」
「あれッ、あねさん、あなたいやに、豆六のひいきをするじゃありませんか。どろぼうねこたアなんです、どろぼうねこたア……」
「あら、ごめんなさい。じゃ、つぎを読みますよ。秋風にたなびく雲の絶え間より……」
「ありましたア!」
「取った、取った、取ったア!」
「わっ、こすい、こすい、兄いちゅうたら、またわての……」
 いやはや、騒々しいことこのうえなしだが、いったいなにがはじまったのかと、そっと茶の間をのぞいてみれば、辰と豆六、いましも五十枚ずつ取り札をまえにならべて、差しむかいの源平歌留多合戦。
 ふたりともへっぴり腰で両手をつき、虎視眈々と、敵陣営とわが陣営をにらんでいるのはよいとして、双方とも、そうとうお手つきがあったとみえ、額から、ほっぺたから、鼻の頭から墨くろぐろ、あたら自称色男も台無しである。読み手のお粂は、かつて吉原《よしわら》で名花一輪、全盛をうたわれた女だけあって、琴棋書画《きんきしょが》、なんでもこなす万能ぶり。その読みかたにも張りがあって、凛《りん》としてよい声である。
 さて、佐七はとながむれば、これは長火ばちのまえで、手酌《てじゃく》で杯をなめながら、片手ですずりの墨をすっている。佐七はずるいから、墨塗り役のほうへまわっているらしい。
 それにしても、七草も過ぎたというこの時期に、なんだって辰と豆六が柄にもなく歌留多取りにうきみをやつしているかといえば、これにはひとつのわけがある。
 この十五日の小正月の晩、お玉が池かいわいのわかいものがあいあつまって、歌留多合戦をやろうという議がもちあがり、それには辰つぁんも豆さんも、ぜひご出席をという話が、町内の世話役からもちこまれた。
 辰と豆六も、はじめは柄にもないとしり込みしたが、近江屋のおきんちゃんも出る。駿河屋のお花ちゃんも出る、山崎屋のお千代ちゃんも出る、横町の手習いの先生のお嬢さんの深雪《みゆき》ちゃんもでる、それから……それからと聞いているうちに、ガゼン、辰と豆六張りきった。
 町内のあまっ子が総出ときいては、辰と豆六たるもの引っ込んではいられない。乃公《だいこう》いでずんばというところだが、悲しいかな、ふたりとも、こういうみやびやかなゲームにはいっこう縁がない。それでも、豆六のほうは上方うまれの、根がみやびやかにできているから、いくらか心得があるらしいが、辰ときたら江戸っ子の、いたってガサツなほうだから、千早ふる神代もきかず竜田川《たつたがわ》の竜田川を、相撲取りの名前だとばかり思いこんでいるほうである。
 そこで、この道にはいたって造詣《ぞうけい》のふかきお粂にたのんで、かくはどろなわ式猛訓練、猛シゴキと相成ったわけである。
「さあ、それでは読みますよ」
「待ってました」
「なにぶんよろしゅうお願いいたします」
「長からん心も知らず黒髪の、乱れ……」
「取ったア!」
「兄い、そらあかん、そらお手つきや。あねさん、いまのんをもういっぺん、おわりまで読んでおくれやす」
「そうかえ、長からん心も知らず黒髪の、乱れて今朝はものをこそ思え、乱れて今朝はものをこそ思え……」
「ほうれ、見なはれ、それならこっちにおますがな。兄いのとった札、よう読んでおみやす」
「なんだと……乱れそめにしわれならなくに……わっ、こらちがった」
「あっはっは、辰、お手つきだ。それ、墨だ、墨だ」
 佐七はおもしろそうに、筆にたっぷり墨をふくませ、悦にいっている。辰は右の目にふとぶとと眼鏡をかけられ、
「こん畜生ッ、あねさん、つぎをお願いします」
「あいよ。八重むぐらしげれる宿のさびしさに、人こそ……」
「とったア!」
「兄い、あかん、あかん、そら、またお手つきや」
「なんだと……?」
「そやかて、兄いのいまとった札、読んでごらんあそばせ」
「人こそ知らね乾く間もなし……」
「あら、ま、辰つぁん、それじゃいけないよ。八重むぐらの下の句は、人こそ見えね秋は来にけり、人こそ見えね秋は来にけり……」
「あっはっは、辰、また、墨だ、墨だ」
「こん畜生ッ」
「オッホン、ほんなら、あねさん、おつぎをお願いいたします」
「あいよ、いいかえ、辰つぁん、しっかりおしよ。あらざらむこの世のほかの思い出に、今ひとたびのおうこともがな。今ひとたびの……」
「取ったア、取った、取った。こんどこそ正真正銘……」
「あかん、あかん、兄い、そら、またお手つきや」
「なんだと? やい、豆六、てめえ、またおれにいいがかりをつける気か」
「そやかて、兄いの取った札、声を出して読んでごらんあそばしませ」
「いいじゃアねえか。今ひとたびのみゆき待たなむ……」
「あら、辰つぁん、それじゃいけないよ。あらざらむこの世のほかの下の句は、今ひとたびのおうこともがなだからね」
「それ、ごらんあそばせ、それなら兄いの鼻の下におまんがな。ちょっと失礼。オッホン」
「あっはっは、辰、またやられたな。それ、墨だ、墨だ」
「こん畜生ッ、お、お、親分、ちょ、ちょっと待っておくんなせえ。あねさん、いやさ、あねご、ちょっとまえへ出てくだせえ」
「あら、ま、辰つぁん、あたしになにか御用かえ」
「御用もヘチマもありませんよ。あねさんはなんぞあっしに遺恨《いこん》でもおありですかい。なんぞあっしに、ふくむところでもござんすのですかえ」
「あら、まあ、怖いこと。辰つぁん、おまえさん、えらいけんまくだが、それゃまたなぜに……」
「だって、さっきからつぎからつぎへと、紛らわしい歌ばっかり読んで、あっしにお手つきさせるとは、これゃタダゴトとは思えねえ。あっしになにか遺恨でも……」
 いやはや、たいへんなことになったものである。

……「小倉百人一首」冒頭より

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