「人形佐七捕物帳(7)」

横溝正史作

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400円

年明けて、桜田門外のお堀端で江戸城からの諸侯の退出を見物していた辰に豆六は、なにやらうさんくさい二人づれに気づく。ある若侍が門から出てくると、そいつらがもっていた凧が風にあおられたかのように若侍の袖にからみついた…この「恩愛の凧」のほか、「ふたり市子」「神隠しにあった女」「春色眉《まゆ》かくし」「幽霊の見せ物」「地獄の花嫁」の6編を収録。

立ち読みフロア

地獄の花嫁

 かわら版浮き世の読み売り
 ――ぼらの腹からふらちな手紙が出たよ

 現今ではラジオというちょうほうなものがあって、なにか大きな事件があると、数時間もたたぬうちに、世間にしれわたってしまうが、では、そういう文明の利器のなかった江戸時代には、ニュースがなかなか伝わらなかったかというと、そういうわけでのものでもなかったようだ。
 人間の耳から耳へとつたわる伝播力《でんぱんりょく》の敏活さは、案外バカにならぬもので、赤穂《あこう》浪士の討ち入り、丸橋忠弥《ちゅうや》の召し捕《と》りなどという大事件は、その日のうちに、江戸じゅうにしれわたったようである。
 それに、新聞もラジオもない時代でも、それそうとうの宣伝機関はあったもので、ぞくにいう、かわら版というやつがそれである。
 かわら版というのは、粗悪な印刷の小冊子で、珍奇な浮き世のできごとの、せいぜいいきのいいところを、おもしろおかしく書きつづり、それを街頭で読み売りしたものである。
 それは残暑もまだきびしい八月十五日の昼さがり、その読み売りが、浅草見付けへやってきたから、たちまち、あたりは黒山のようなひとだかり、その読み売りのうたい文句を聞いてみると、
「さあて、お立ち会い、これはこのたび、前代未聞の大椿事《だいちんじ》、大事件じゃよ。ぼらの腹から、たいへんなものがとび出したよ。さても、世のなかは恐ろしゅうなったものじゃ。持参金めあてに嫁をもろうて、その花嫁を殺そうとたくらんでいるやつがあるという、世にも奇怪な大椿事。
 え? どうしてそれがわかったかって? そこが、それ、天網恢恢《かいかい》じゃ。ふらちな亭主が情婦にやった手紙というのが、ひょんなところから見つかったよ。どこから見つかったかというと、なんと、お立ち会い、ぼらの腹からみつかったよ。いいや、作りごとじゃないよ、ほんとのことじゃよ。
 さても、きのうさるご仁が、海へつりにいったとおもわっしゃい。そこでつれたのが、目の下三尺という大ぼらじゃ。そいつをうちへ持ってかえって、料理しようとしたところが、腹のなかから女持ちの紙入れが出てきたよ。その紙入れのなかからあらわれたのが、いまいったおそろしいたくらみの手紙じゃ。
 さて、その手紙をちょっと読んでみようなら、前略……と、あのような人三《にんさん》化け七《しち》の女房に、なんで未練これあり候《そうろう》や。声をきくさえぞっとはだ寒うなる化け物女房、一日もはやくわかれたいと思い候えども、持参金のてまえそうもなりかね、いままでしんぼうつかまつり候えども、もうもうこのうえがまんをつづけ候節は、こちとらの命が持たず候あいだ、いよいよちかいうちに非常手段にうったえても……。
 おっと、みなまで読んでは商売にならない。さあさ、お立ち会い、おまえさんがたに心当たりはないか。持参金までもたせた娘が、かわいや、ちかいうちに殺されようというたくらみのふしぶし、みんなこの手紙に書いてある。いや、そればかりじゃないよ、男の名まえも女の名まえもちゃんとここに出ているよ。さあさ、ぼらの腹からでた手紙、情婦とはかって、花嫁を殺そうという前代未聞の大椿事《だいちんじ》、世にも恐ろしいたくらみのかずかず……へえ、どうもありがとうございます」
「おい、読み売り、こっちへもおくれ」
「わたしにもおくれな」
「へえへえ、ありがとうございます。さあさ、前代未聞の大椿事、ぼらの腹から出た手紙、へえ、ありがとうござい」
 ぼらの腹から出た手紙というのが、ひとびとの好奇心にうったえたらしく、あちらからも、こちらからも声がかかって、かわら版はみるみるうちに売れていく。
「親分、こっちもひとつ、買ってみようじゃありませんか」
「そうよなあ」
「なんや、おもしろそうやおまへんか。ぼらの腹から出たちゅうところが妙や。ひとつ買おやおまへんか」
「あっはっは、うそかまことかしらねえが、それじゃひとつだまされてみるか。豆六、買ってみろ」
 黒山のようなひとだかりから、少しはなれたうしろに立って、こんなささやきをかわしている三人を、いまさらどこのなにがしと、開きなおって説明申し上げるまでもあるまい。
 当時江戸いちばんとうたわれた捕物名人、神田お玉が池は人形佐七とふたりの子分、きんちゃくの辰とうらなりの豆六であることは、みなさま、せんこくご承知のはず。
 きょうは浅草に用事があって、見付けまでさしかかったところで、この読み売りにぶつかって、立て板に水をながすような口上に、おもわず聞きほれていたというわけである。
「ちょっとどいてんか。じゃまになるがな、おい、読み売り、こっちにもひとつおくれえな」
 人がきをかきわけて、なかへわりこもうとする豆六のそでを、そのとき、そっとうしろから引いたものがある。
「あの、もし、お願いでございます」
「ひえっ」
 だしぬけのことだから、豆六がびっくりしてふりかえると、あいては十七、八の色の白い、ちょっと渋皮のむけた娘である。なりをみると、大家の女中か小間使いというところ。
 きりりしゃんとしたものごし、口のききかた、いかにもしっかり者らしいが、どういうものか、まゆにうっすら、不安の色がただようている。
 上くちびるの右のはしに、小さなほくろがあるのも、さびしく目だった。
「へえ、わてになにかご用だっか」
「恐れ入りますが、読み売りをお買いになるのでしたら、わたしにも買ってくださいませんか」
 と、懐中から紙入れを出そうとするのを、
「へえ、そら、おやすいご用だす。あんた、お金なんかいりまへんぜ。読み売りなんてやすいもんや」
 豆六め、あいてをわかい女とみて、いやに気まえのいいところをみせている。
「いえ、あの、それではなんですから、どうぞこれで……」
「さよか、そんならもろときまほか。おい、読み売り、こっちへ二枚や」
 黒山のような人だかりをかきわけて、豆六はやっと二枚手に入れると、
「さあ、どうぞ」
「はい、ありがとうございます」
 半紙半截《はんさい》、六枚とじの粗悪なかわら版をうけとると、女はなにか気になることがあるらしく、取る手おそしとそれをひらいて、食い入るように目をとおしていたが、みるみるうちに顔色がかわって、
「ああ、やっぱり……」
 と、ただひとこと、おびえたように口のうちでつぶやくと、よろめくように立ち去っていく。
 なにかしら、物《もの》の怪《け》におそわれたような、恐怖のいろがさむざむと、うしろ姿をつつんでいる。

 あだ情け化け物女房
 ――近く一刀両断につかまつるべく候

「おい、豆六、いまのお女中はどうしたんだ」
「さあ、どないしたんかしりまへんが、読み売りを買《こ》うてくれちゅうので買うてやったら、なんやえろうおびえてましたな」
「親分、ひょっとすると、あの女、その読み売りに、なにか心当たりがあるのじゃありますまいか」
「そうかもしれねえ、おい辰、豆六、いまの女をさがしてみろ」
 しかし、そのころには女の姿は、もうどこにもみえなかったのである。
「みえねえか。それじゃしかたがねえ。とにかく、この読み売りを読んでみようよ」
 浅草見付けから左を見ると、柳原堤がつづいている。
 三人はその土手の人っけのないところへしゃがんで、いま買ったかわら版をひらいてみる。
 かわら版の文章は、だいたい、読み売りが述べたてた口上とかわりなく、きのう、さる人物が佃《つくだ》の沖でつり糸をたれていたところが、目の下三尺もあろうという大きなぼらがひっかかった。
 それを家に持ってかえって包丁をいれると、腹のなかから小さい女持ちの紙入れがあらわれたが、その紙入れのなかから、一通の手紙が出てきたというのである。
 以上のような文句のしたに、お武家らしい人物が、大きなぼらをつりあげているところや、ぼらのはらをかっさばいて、紙入れを取りだしているところ、さてはまた、手紙を読んでおどろいているところなどが、へたくそな絵でかいてあったが、さて、そのあとに、手紙というのがのせてある。それは水につかって読めなくなったところや、また、破けて判読しにくいところもあるが、判読しうるかぎり原文のまま掲載するとことわってあり、だいたいつぎのような文章である。

――そもじさまのおんうらみ、けっしてむりとは思い候《そうら》わねども、なにぶんにも、大枚の持参金を背負うてきた女房、いますぐどうするというわけにもまいらず……けっして心変わりなどいたせしわけにはこれなく、一日も早くそもじさまと、晴れて夫婦にと思いくらしおり候えども、なにぶんにも世間のてまえもこれあり候こととて……
……そもじさまのおん疑いはちと情けなく、あのような人三化け七の女房に、なんで未練これあり候や、声をきくさえ、ぞっとはだ寒うなる化け物女房、一日もはやくわかれたいと思い候えども、持参金のてまえそうもなりかね、いままでしんぼうつかまり候えども、もうこのうえがまんをつづけ候節は、こちらの命がもたず候あいだ、いよいよちかいうちに非常手段にうったえても……

「親分、非常手段てなんでしょうね」
 辰はつばをのみこんだ。
「まあ、待て、しまいまで読んでしまおう」

……いかに持参金目当ての女房とはいえ、祝言すませ候うえは、夫婦の語らいせぬわけにはまいらず、夫婦の語らいあるうえは、懐妊するもよんどころなく、それをそもじさまにうらまれては、立つ瀬がこれなく候……

「ははあ。すると、女房のやつが懐妊したんで、情婦のほうがやきもちやいてんねんやな」
 豆六もなまつばをのんでいる。佐七はそれにいさいかまわず、かわら版を読みつづける。

……聞けばもう五カ月とやら、あのような化け物の腹からいかなる子どもがうまれるやらと、このほうとても心いぶせく、一日も早く腹の子もろとも始末つけねばと、ちかごろは心のみあせりおり候、それについて思いつき候は、ちかくおこなわれる○○○のみぎり、思いきって一刀両断……それならばまさかこのほうが手にかけたと世間にしれる気づかいもなく、きっとけがあやまちにて、ことすむべしと思いおり候が、いかがなものに候や。

 三人はぞっとしたように顔見あわせる。
「親分、○○○のみぎりってなんのことです」
「それがわからねえ。そこのところが破けていたのか、欠字じなっていやアがる」
「いずれにしても、○○○のみぎりに、けがあやまちみたいにして、女房を殺そちゅうわけやな」
「どうもそうらしい。ついでにしまいまで読んでしまうから、だまって聞いてろ」

……ただ、ここに気がかりなのは、○○郎のことにて候。あいつは以前より、そもじさまとこのほうとのなかをかんづき、化け物女房に同情をしめしおり候えば、ひょっとすれば、疑いをまねくやもはかられず……毒くらわばさらまでということもこれあり候まま、その節はあいつもいっそ……と決心つかまりおり候。
……かかるおそろしき決心をいたし候も、これひとえにそもじさまのおんためゆえ、このことばかりは肝に銘じて、かならずうわきなどなさるまじく……晴れて夫婦と名のれる日ももはやまぢかに候えば、なにとぞそれを楽しみに、お待ちくだされたく、まずは一筆しめし参らせ候。このこと、かならずひとにさとられぬよう、いずれまたくわしくお打ち合わせ申し上ぐべく候。
 こがるる
  ○之助より
 恋しき
  お○代どのまいる

 読みおわった三人は、おもわずぞっと首をすくめた。
 なにかしら、うすら寒くなるような恐ろしさが、三人の背筋をはいのぼるのである。
「親分、こらほんまだっしゃろか」
 さすがのんきな豆六も、おもわず息をのんでいる。
「うそかまことかわからねえが、もし、これがほんととすると、こういうことになるんですね。○之助という男が、持参金めあてに化け物のような女房をもらったが、そいつにゃお○代という情婦《いろ》があって、それにせつかれるままに、女房をころそうということですね」
「そういうことになるようだな」
 佐七もくらい顔をしている。
「ところが、ここに○○郎という男があって、そいつが○之助とお○代のなかを疑っている。だから、ここで女房を殺せば、きっとそいつが疑うだろうから、そうなったらしかたがない、ついでに○○郎も殺してしまおうと……」
 佐七はまた無言のままうなずいた。
「親分、こりゃなんとか手を打たなきゃアなりませんぜ。いかに人三化け七だって、このまま見殺しにするってことはありますめえ」
「しかし、辰、手をうつって、どううつんだ。ここにゃかんじんの名まえは、みんな虫食いになっている。○之助だの、お○代だの、○○郎だのと、これじゃどこのだれともわからねえ」
「親分、わからんちゅうたかて、これをこのまま……」
「だからよ、辰、豆六、おまえたち、これからかわら版の版元へいって、ぼらをつった男というのを調べてこい。ここにゃ名まえはねえが、さし絵を見るとお武家らしい」
「おっと合点だ、親分、版元というのは」
 佐七はかわら版の奥付けをみて、
「浅草馬道の文運堂と書いてある。あのへんへいって聞きゃアわかるだろう」
「おっと、合点だ。それじゃ豆六、出かけようぜ」
 下っ引きはしりがかるくなくちゃ、つとまらない。辰と豆六はしりはしょって駆けだした。
 こうして、佐七は思わぬことから、この一件に手をそめることになったのだが、あとから思えばそのときには、すでに手おくれになっていたのである。
 ぼらの腹から発見されたあのおそろしい手紙に書いてある悪魔のような計画は、そのころすでに第一歩を踏み出していたのである。

……「地獄の花嫁」冒頭より

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