「人形佐七捕物帳(8)」

横溝正史作

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400円

墓参の帰り道、辰と豆六を連れた佐七は、追いかけられるように質屋の裏木戸へ飛び込む娘を見た。まもなく見るからに醜い顔をした老比丘尼があらわれ「娘を見なかったか」と聞いた。佐七はでたらめを言って追い払ったが、娘も消えていた。そのばばあが、へびを頭陀袋に入れていたのに豆六は気づいたという…やがて比丘尼が次々とマムシにかみ殺される気味の悪い事件が…この「七人比丘尼」のほか、「怪談閨《ねや》のおしどり」「八つ目鰻」「女易者」「狸の長兵衛」「敵討ち人形噺」の6編を収録。 

立ち読みフロア

 式亭三馬の『浮き世床』を読んでもわかるとおり、江戸時代には髪結い床というやつが、町内のわかい衆の、寄りあい場所になっていた。
 妙なもので、そのころは、男は髪結い床でひとに髪を結わせるが、かえって、女のほうはめいめいじぶんで、髪を結ったもので、のちに百さんという、しばいのかつらをゆう床山が、女の髪をゆうことをはじめたら、これがたいそうちょうほうがられて、ほうぼうから、ひっぱりだこになったところから、ぞくぞくと、百さんの模倣者があらわれたが、それでも堅気の家では、女はまだじぶんの髪を結っていたもの。たまに、髪結いの出入りをする家があると、あそこのおかみさんは所帯くずしだの、あの娘ははすっぱ者だのと、つまはじきされたくらい、いや、パーマをかけなければ女でないようなちかごろとは、雲泥《うんでい》の相違があったというものだ。
 さて、閑話休題。
 そういうわけだから、髪結い床とくると、女人禁制の男の世界、八つぁんもくれば熊《くま》もくる。お店《たな》の番頭さんもくれば、横町のご隠居の顔もみえる。易者もくれば、神主もやってくる。
 これがみんな、髪を結いにやってくるのかと思うと、そうばかりではない。
 あみだくじかなんかで買ってきたあめ玉をしゃぶりながら、世間話、むだ話、まず近所の娘新造のたなおろしからはじまって、しばいのうわさ、寄席《よせ》の評判、さては富くじの話から、しまいにはかどの米屋が、桝目《ますめ》をごまかす悪口にいたるまで、およそ神祗釈教恋別離《じんぎしゃっきょうこいべつり》、ここへくれば、ちかごろの世間のできごとでわからぬことはないという、さしずめ、現今の放送局か新聞社みたいな存在だ。
 ところで、お玉が池の人形佐七のふたりの子分、きんちゃくの辰とうらなりの豆六も、ごたぶんにもれずこの髪結い床のご常連で、捕物のひまさえあればいりびたっているのが、鎌倉河岸《かまくらがし》に伊勢海老《いせえび》が威勢よくぴんとはねているところをおもての油障子にかいたところから、ひと呼んで海老床《えびどこ》という、その海老床のなかに辰と豆六のすがたがみえたなら、まず世間の犯罪者どもは、安心してよろしいといわれるくらい。
「おや、お玉が池の兄い、ひさしぶりですねえ。おまえさんの顔が、ひさしくみえねえもんだから、なにかまた、大物があったんだろうと、このあいだも、ここの親方とうわさをしていましたのさ」
 いましも表からはいってくるなり、そこにとぐろをまいている辰五郎のすがたをみつけて、そうあびせかけたのは、この近所でも金棒引きをもってしられている源さんという男。
 金棒引きだけに耳もはやくて、一名、これを地獄耳の源さんという。
「おお、源さんかえ。しばらく。なに、大物というほどじゃアねえが、すこしはほねもおれたのさ。やっとゆうべそいつがかたづいたから、きょうはひさしぶりに、羽根がのばせるのよ」
「ほんに、おまえさんの稼業もたいへんだが、でも、いい親分についてしあわせさ。なにしろ、お玉が池の親分は、年こそわかいがたいした腕だ。大地をうつ槌《つち》ははずれても、人形佐七がにらんだからにゃ、十にひとつも、まちがいはないというんですからね。ときに、うらなりの兄いはどうしましたえ」
「豆六ならそこで草双紙を読んでるぜ。なにしろ、こいつ、草双紙ときたら目のねえほうで、きょうもここへくるなり、あいつを見つけると、さあ、それからもう、ひとことも口をききゃがらねえ。まったく困ったにいさんよ」
 なるほど、辰がなんと悪口をいおうとも、豆六はどこ吹く風とばかりに、うすべりのうえに寝そべったまま、ただもう、草双紙に無我夢中。
 源さん笑って、
「ほんとうに、うらなりの兄いは、こいつが好きですねえ。いつ来てみても、なにか読んでいないことがない。ときに、きょうのはいったいなんです」
「なんだかしらねえが、あいつがここへくるのは、これがお目当てなんだからな。おい、豆六や、いったい、こんどのはなんという本だえ」
「うるさいなあ、みんな、もっと静かにしたらどや。いま、いちばんおもしろいとこやないか。うだうだいわんと、黙ってておくれやす」
「わっ、あれだから、源さん、あんまり取りあわないほうがいいよ。うっかり話しかけるとかみつかれるぜ」
 きんちゃくの辰は笑いながら、キセルをポンとたたいたが、源さんはおかまいなしに、豆六のそばへすりよって、読んでいる草双紙を、横からのぞきこんだが、ふいに、おやと顔をしかめた。
「兄い、おまえさんの読んでいるなあ、そりゃさきごろ、柳下亭種員《りゅうかていたねかず》のあらわした『怪談閨《かいだんねや》の鴛鴦《おしどり》』じゃありませんかえ」
「そやそや、うるさいなあ、そうわかったらもうええやろ。はよむこへいってんか」
 豆六はうるさそうに首をふったが、それをきくと、地獄耳の源さん、にやりと微笑して、
「おや、それじゃ兄いは、まだあの騒ぎを知らないとみえますね」
 と、子細ありげに首をひねったから、きんちゃくの辰はいうにおよばず、さすが草双紙に魂をうばわれていた豆六も、おもわずおやと、源さんのほうをふりかえった。
「それじゃなにかえ。その怪談閨のなんとかについて、なにか騒ぎがあったのかえ」
「こいつはあきれた。それじゃまったく、兄いたちはなにもご存じでねえので。へへえ、おどろいたね、こいつは。――両国かいわいは、けさからその話で持ちきりなんだが、それをおまえさんがたが知らねえとは、へえ、そうですかねえ」
 金棒引きの源さんは、しきりに首をふっているから、さすがに、気のながい豆六もたまりかね、
「なんや、なんや、源さん、そない思わせぶり、せえでもええやないか。さっさと話したらどやねん。なにか両国で、変わったことでも持ちあがったんかいな」
「変わりも変わり、奇妙きてれつな騒ぎなんで。そうですか。おまえさんがほんとに、なにも聞いていなさらねえのなら話してもいいが……」
 と、源さんはおつに気どって、
「うらなりの兄いはご存じだろうが、その種員の合巻本《ごうかんぼん》は大当たりで、ちかごろ出た草双紙中の傑作だといわれています。豆さんはそこまでお読みかどうかしらないが、筋をはなすと、男にだまされた遊女の花鳥、これが自害したあげく、男の婚礼の晩に化けて出て、いつのまにか、これが花嫁と入れ替わっていようという、そういう場面があるんです」
「そやそや、わて、いまそこまで読んだとこや」
「そうでしょう。ところで、この本があまり評判なもんだから、ちかごろ東両国にできた化け物屋敷の見せ物のなかに、この婚礼の場面を生き人形にしてあります。ところが、ゆうべ――というより、けさのこと、その化け物屋敷のなかで、まことに妙なことが起こったので――」
 と、さすがに話じょうずの源さんのことだから、いつのまにやら、海老床の連中はみんなおもわず、きき耳をたてている。

 人形に魅入られた庄太
 ――そのとき佐七は少しも騒がず

 さて、源さんの話した奇妙なできごとというのはこうなのである。
 化け物屋敷の木戸番で、多助というしらがまじりのじいさん。
 これがその朝、れいによって、うす暗い小屋のなかを見まわっていると、れいの『閨《ねや》の鴛鴦《おしどり》』の場面のなかに、だれやらひとり倒れているものがある。
 紺の香もまだあたらしい法被《はっぴ》に股引《ももひ》き、ひとめで大工の下職としれようという、まだうら若い、いなせな、いい男なのである。
 これがこう、髪ふり乱し、青黛《せいたい》をはいたようなあおい顔で、きっとくちびるをかみしめて倒れているんだが、見ると、左の腕にぐさりと一本、銀のかんざしがつっ立っていて、そこから赤ぐろい血が、たらたらと流れていようというわけ。
 なんしろ、場所が場所だけに、多助じいさん、年がいもなく、きゃっとばかりに腰をぬかした。
 さいわい、まだ客を入れてなかったが、それでも、小屋のなかはうえをしたへの大騒ぎ。
 とりあえず、その男を表へつれだして介抱すると、まもなく、ケロリと息を吹きかえしたが、さてそいつが、キョトンとして話したところによると――
 その男、名を庄太《しょうた》といって、横網町のある棟梁《とうりょう》の下職なんだが、そのまえの晩、所用あって、小梅のほうへ出かけたが、にわかの雨に雨宿り、こいきな寮のおもてにたたずんでいるところへ、ちょこちょこ出てきたのが、入谷《いりや》の寮にでも出てきそうな小女。
 そこははしぢか、まあ、こちらへというようなわけで、おくのはなれ座敷へ案内されたが、そこへ出てきたのが、これはまた、ふるいつきたいくらいのいい女なんで。
 病みあがりかなんかとみえて、こう、色青ざめ、ほっそりと、物思いにやつれているのが、いや、もうたまらないほどの美形。
 みずから名のるところをきけば、名は花鳥、吉原《よしわら》の大籬《おおまがき》、柘榴伊勢屋《ざくろいせや》のお職女郎だが、からだを悪くしての、出養生だとわかった。
「ほんに、毎日くさくさしてなりません。失礼ながら、ひと晩ことばがたきにでも」
 と、あじな目つきで杯をさされたときには、庄太の野郎、ブルブルとふるえあがった。
 というようなわけで、さしつさされつよろしくあるところへ、ガラガラピシャリ、つまり、おあつらえむきに雷が鳴ったんですな。
 癪持《しゃくも》ちに雷は禁物。
「あれ」
 とばかりに、花鳥は庄太のひざにかじりついたが、さて、そのあとはみなさまお推もじ。
 しばらくあって花鳥がみだれ髪をかきあげながらいうには、こういう仲になったのも、なにかの因縁。庄さん、きっと変わってくださるな。なんの変わってよいものか。それでは庄さん、かわらぬ起請《きしょう》にたがいの生き血を。
 ――と、いうやいなや花鳥は、銀のかんざし抜くよとみるまに、ぐさりとそれを、庄太の左の腕に突っ立てたというんです。
「おらア、びっくりしました。あっと叫んだそのひょうしに、あたりがまっくらになって、そのまま気を失っちまったんですが、はて、ここはいったいどこでしょう」
 きつねつきが、きつねがおちたように、庄太のやつ、ぼんやりしている。
 こいつをきいて、おどろいたのは小屋の連中だ。
 花鳥といい、柘榴伊勢屋というのは、これすべて『怪談閨《ねや》の鴛鴦《おしどり》』のなかに出てくる名まえ。あまりふしぎだというので、庄太の腕に突ったっていた銀のかんざしを調べてみると、これがまた、花鳥人形のさしていたかんざしなんです。
 おまけに、幽霊人形の持っている祝言の杯には、ドップリと、赤ぐろい血がたまっていたから、さあ、たいへん、太助じいさんはじめとして、小屋の一同は、あっとばかりにおどろいた。
「――というわけで、兄い、東両国のかいわいは、けさからこのうわさでもちきりなんですが、それをおまえさんがたがご存じないとは、いやはや、これこそほんとのおどろきですねえ」
 と、得意顔にかたる源さんの話に、辰と豆六は、おもわずあっと顔見合わせた。
「源さん、それゃおまえほんとの話かえ」
「ほんとも、ほんと、だれがうそなどつくもんですか」
「いや、おまえさんがうそをつくとはおもわねえが、その庄太とかいう野郎よ、ひょっとすると、そいつがそんなでたらめをこさえていっているのじゃねえか」
「さあ、そこまではあっしにもわかりませんが、庄太だって、なにもそんなでたらめをいわなきゃならぬ筋はなかろうと思いますがねえ。そうそう、忘れていましたが、なんでもその庄太というのは、ことし二十の巳年《みどし》うまれだから、あの近所じゃ、花鳥人形にゃ魂がこもっている。そして、巳年うまれの男に魅入るのだと、いやもうたいへんな騒ぎですよ」
 なにしろ、迷信ぶかいその当時のことだから、源さんはあくまで真顔だったが、辰と豆六は、さすがに佐七のお仕込みだけあって、それをうのみに信用する気にはなれない。
「なににしても、源さん、おもしろい話を聞かせてもらってありがとう。おい、豆や、そろそろかえろうじゃねえか」
「あいよ」
 と、そこで、海老床を飛びだした辰と豆六、なににしても妙な話だから、いちおう、親分の耳にいれておこうと、それからただちに、お玉が池のわが家へかえると、佐七にむかって、これこれしかじかと、いちぶしじゅうを語って聞かせたが、佐七はきくなり笑いだして、
「はっはっは、たわいもねえ話だ。どうでネタはわかっていらあな」
「へえ、ネタがわかっていると申しますと」
「あの柳下亭種員というやつは、草双紙のほうはからっきしへただが、じぶんの本を売ることにかけちゃ、ふしぎに器用な腕をもっていやアがる。こんどのことでも、これがぱっと評判になってみねえ。もの好きな江戸っ子のことだから、われもわれもと、その怪談閨《ねや》のなんとかというやつを買って読むことにならあ。そうすれば、いちばん得をするのは作者の種員よ。どうだえ、こういやア、だいたいからくりもわかるだろう」
「な、なるほど、そうすると、親分、庄太ちゅうやつは、作者の柳下亭種員にたのまれて、そんな狂言書きよったんだすかいな」
「まあ、その見当だと思っていりゃ、まちがいがあるめえよ」
「ちょっ、ひでえ野郎だ。そんなつまらねえまねをして、ひと騒がせをするやつは捨ててはおけねえ。親分、種員と庄太をひっぱってきて、どろを吐かせようじゃありませんか」
 と、きんちゃくの辰がいきまくのを、佐七は笑って制しながら、
「いいからほうっとけ。だれが迷惑をこうむったというわけじゃなし、だまされて、本を買うやつがバカなのさ。なにも、ことを荒だてて、ひとの商売のじゃまをすることもあるめえよ」
 と、佐七はそれ以上とりあおうとはせず、忘れるともなくこのことを忘れていたが、こんどばかりは、佐七の見込みもはずれたのか、それからまもなく、ここにまた、たいへんなことが起こったのである。

……「怪談閨《ねや》の鴛鴦《おしどり》」冒頭より

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