「人形佐七捕物帳(10)」

横溝正史作

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400円

遊び人の紋次の話では、夕べ、お蝶という葉茶屋の娘から道々聞いたとおり、三味線堀のそばに雪だるまがあったという。ところがその目が鬼火みたいに光り、近づくと雪だるまの胸に銀のかんざしが刺さっていた。紋次がそれを抜こうとすると、何者かに突き飛ばされて雪だるまのなかへ頭から突っ込んだ。気づいたときには、かんざしはなくなり、くせ者の姿もなかった、と…その紋次がお蝶をかんざしでえぐり殺した下手人として御用聞きに挙げられてしまう…この「雪だるまの怪」のほか、「猫屋敷」「蛇使い浪人」「狐の裁判」「どくろ祝言」「黒蝶呪縛」の6編を収録。
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「ごめんくださいまし。親分さんはおいででございましょうか」
 神田お玉が池は佐七のすまいの格子のまえへ、いきな女客がすらりと立ったのは、七月十日の昼の八つ半(三時)ごろのこと。なにせそのころの七月十日といえば、現今の八月下旬にあたっているから、まだ残暑のまっさかりというころである。
 女のとしは三十二か三、まゆは青くおとしているが、越後透綾《えちごすきや》のいきな着こなしといい、細からず広からぬ帯のたかさといい、ひとめで粋筋《いきすじ》のお内儀とみられたが、透綾をとおしてみえる肉置《ししお》きの、むっちりとした豊かさが、残暑のなかでむせっかえるようである。
 それでいて、すらりと姿をよくみせるすべをしっているのは、踊りの地でもあるのだろう。目鼻立ちとかっきりとした、ふるいつきたいほどいい女とは、こういう女をいうのだろうが、目の色がいささかおだやかでない。
「へえへえ、親分はおいででございますが、そういうおまえさんは……?」
 あいてをべっぴんとみて、辰があわてて浴衣のえりをかいつくろいながら、いやに神妙にもみ手かなんかしながら尋ねると、
「はい、わたくしはいま、葺屋《ふきや》町の芝居に出ております歌川歌十郎の家内で、お縫というものでございます。親分さんがおいででございましたら、ちと、お願い申し上げたいことがございまして……」
 と聞いて、辰は目をまるくした。
「あっ、それじゃおまえさんはさぬき屋さんの……少々お待ちくださいまし」
 と、辰があたふたと奥へかけこむと、こちらはこの暑さにふすまも障子もとりはらい、葭戸《よしど》で涼をとっているところまではよかったが、佐七も豆六も藍《あい》の浴衣のもろはだぬぎ、ふんどしもまるだしの大あぐらで、うちわをバタつかせながら、ヘボ将棋のまっ最中とは、あんまりひとに見られたくない図である。
 お粂はどうやら留守らしい。
「親分、親分、さぬき屋のおかみさんが、なにかおまえさんに話があると、目の色かえてやってきてますぜ」
 と、辰が息せき切ってご注進におよぶと、佐七ははてなと小首をかしげた。
「なに、さぬき屋のおかみが目の色かえて……それは妙だな。おれゃアべつにあそこに義理のわるい借金はねえが……それとも、辰、豆六、おまえたちまた飲み倒してきゃアがったんじゃねえのか」
「と、とんでもない。そら、ぬれぎぬや。もしそれやったら、兄いだっせ。兄いはこないだも……」
「親分、豆六、そりゃいったいなんのこった」
「なんのこっちゃいうて、角の酒屋のさぬき屋のおかみさんが、血相かえて借金取りに来てんねんやろ」
「ぷっ、バカなこといをいうな。べらぼうめ、あんなばばあがなんにん来たって驚くもんか。親分、そうじゃねえんで。あっしのいってるのは、いま日の出の人気役者、歌川歌十郎のおかみさんが来たっていってるんですよう」
「なんや、役者のさぬき屋か」
 豆六はほっと胸なでおろして、
「それならそうと、はよういうておくれやすな。わて寿命が三年がとこ、ちぢまったやおまへんか」
「ちっ、さては豆六、てめえは角のさぬき屋に……?」
「あっはっは、まあいい、まあいい。それより、豆六、はやえとこ将棋をかたづけろ。辰、なにをまごまごしてるんだ。お客人をあんまり待たせるもんじゃねえ」
「だって、親分のそのなりじゃ……」
「だから、いまはだをいれるところだ。なに、ふんどしがみえてると……? いちいち世話をやくない」
 いやはや、たいへんな騒ぎで、これだけの手数をかけて、やっと座敷へ通された歌十郎の女房お縫が、お願いの筋というのを聞かれて、額の汗をふきながら、たもとのなかから取り出したのは、素焼きづくりの一個のきつね。
「お願いというのは、これ、このきつねでございます」
 と、おいでなすったから、佐七をはじめ辰と豆六、きつねにつままれたような顔をして、はてなとまゆにつばきをつけた。
 お縫もそれに気がついたか、あわててことばをついで、
「いえ、だしぬけにこんなことを申し上げては、さぞうろんなやつとおぼしめすでしょうが、ごらんくださいまし。このきつねの額を……」
「なるほど、眉間《みけん》に傷がついておりますな」
「さあ、それですからわたしは心配でなりません。なにをかくそう、このきつねは、ただのきつねではございません」
「へえへえ、そんならこのきつねが化けまんのかいな」
 豆六め、つまらないことをいっている。
「いえ、そうではございませんが、これは千代太郎の身代わりも同然、それをこうして無残にも、眉間をぶちわったものがあるとすれば、とりもなおさず何者かが、千代太郎をのろうているとしかおもえません。わたしはそれが心配で……」
 と、お縫が声をふるわせて、語るところによるとこうである。
 いま市村座の夏狂言では、『芦屋道満大内鑑《あしやどうまんおおうちかがみ》』が出ているが、そのなかへこんどあたらしく書かれたのが『保名物狂《やすなものぐる》い』の一場面。これは踊りで、保名はいうまでもなく、座頭の歌十郎だが、その保名に、十二匹のきつねがからむことになっており、その役が十二人の子役にふられた。
 そこで子役たちは申し合わせて、素焼きのきつねをひとつずつ、市村座のお稲荷《いなり》様へ奉納した。ところが、ほかの十一個のきつねに、なんのさわりもないのに、千代太郎の奉納したきつねだけが、眉間《みけん》をわられているとあっては、なんとなく気がかりであると、お縫は心配そうにかたるのである。
 佐七はちょっとあきれ気味で、
「ところで、その千代太郎さんというのは……」
「はい、あの、うちのせがれで」
 と、お縫はちょっと口ごもったが、やがて思いきったようにかたるところによると、千代太郎と、お縫はなさぬ仲で、それゆえにこそ千代太郎のためには、ひと一倍、気をくばらねばならぬのであると、お縫は豊満な肉体にもにあわぬ、心細そうなため息をついた。
 それというのが千代太郎、座頭のせがれというのを笠《かさ》にきて、威張りちらすところから、幕内での憎まれものになっている。ことにこんどは下回りのせがれといっしょになって、縫いぐるみをきるのが不足なのか、舞台で毎日、ほかのきつねをいじめ抜くのだ。
 そのために舞台をしくじるきつねも少なからず、そのつどかれらは歌十郎に呼び出されて、大目玉をくらうところから、ちかごろ十一匹のきつねたちは、千代太郎にたいして、遺恨骨髄に徹しているという評判がある。
「先日も梅丸が千代太郎に足がらめにされ、舞台ですってんころりところんで、大恥をかきましたので……」
「梅丸さんというのは……?」
「はい、わたくしのせがれでございます。千代太郎にとっては腹こそちがえわが弟。それにこんな恥をかかせるくらいですから……」
 他はおしてしるべしとお縫はなげいて、
「それですから、みんなして、いつか千代太郎に返報してやらねばならぬといきまいておりますが、とりわけ鯉之助《こいのすけ》さんなんかは、ひと思いに千代太郎を殺してやると……」
 鯉之助というのは、かつて歌十郎と覇《は》を争った人気役者、中村三右衛門のわすれがたみで、千代太郎とおないどしだが、このふたりが当時子役の双璧《そうへき》といわれていた。
「昨年、三右衛門さんがなくなられてからは、鯉之助さんはうしろだてもなく、楽屋でもとかくおろそかに扱われます。梅丸は気のやさしい性質ですから、年下ながら影になりひなたになり、鯉之助さんをいたわってあげているようですが、それにひきかえ千代太郎は、親の威光を笠にきて、ことごとに鯉之助さんをいじめます。鯉之助さんも腹にすえかね、千代太郎を殺してしまうといきまいているとやら」
 と、お縫は声をしめらせて、
「そこへ、こうして千代太郎のおさめたきつねの眉間《みけん》がわられているものですから、わたしはなんだか気がかりで……」
 結局、お縫のやってきたのは、千代太郎をまもってやってくれまいかというのであったが、さりとて、なんの事件もないのに、十手を持って飛び出すわけにもいかない。
「まあ、そりゃいちおう話はきいておきますが、おまえさんも、そう取り越し苦労をしねえで、もう少し気を大きく持つんですな」
 と、その場はそれでかえしたが、あとで佐七は辰や豆六と顔見合わせた。
「なんや、あれ、少し気がおかしいのんとちがいまっか」
「いや、そうじゃねえ、はたから見ればおかしくとも、当人にしてみれば、真剣なのかもしれねえ。あの世界ときちゃ別だからな」
 とはいえ、さしあたってどうしようという法もないので、佐七はそのままにしておいたが、さて、その翌日の日暮れごろ。
「親分、たいへんだ、たいへんだ。市村座できつねが一匹殺された」
 とあわを食ってとびこんできたのは辰と豆六。
「な、な、なんだと。それじゃ千代太郎が殺されたのか」
「いえ、それがおかしまんねん。殺されたんは千代太郎やおまへん。腹ちがいの弟の梅丸が、舞台で背中をえぐられて、そのまま死んでしまいましたんです」

……「狐《きつね》の裁判」冒頭より


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