「人形佐七捕物帳(12)」

横溝正史作

ドットブック 155KBテキストファイル 110KB

400円

本巻収録作品
◆化け物屋敷
◆雷の宿
◆鶴《つる》の千番
◆くらやみ婿
◆団十郎びいき
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雷の宿

 無残絵蚊帳の中
 ――くわばら、くわばら、万歳楽

 世の中に、およそ怖いものなしであるはずのきんちゃくの辰にも、ただひとつ泣きどころがある。
 雷である。
 遠くのほうでゴロゴロいっても、顔面蒼白《がんめんそうはく》、ガタガタふるえがくるというのだから、まことに因果な性分で。いや、鳴りだしてからではもうおそい。辰ぐらいの大家になると、雷のある日は朝からわかる。妙に気分がしずんで味気なく、見るもの聞くものがやるせなく、いっそ坊主になって山へこもろうか、首でもくくって死んじまおうか……なあんてかんがえていると、はたして午後からゴロゴロピカリ。
「さア、よわった、よわった。親分も殺生じゃねえか。朝から天気だってゆだんがなるもんか。こんな日に、おいらを使いにだすなんて、死ねというのもおんなじだ」
 おやおや、大変なことになってきたもので。
「だからおいらはいったんだ。骨惜しみをするんじゃございませんが、きょうは空模様が怪しゅうございますからと。すると、親分め、かんらかんらと笑やアがった」
 辰は情けなさそうに首をふりふり、
「なにをいやアがる。こんなに雲もなく、空もよく晴れているのに、天気が怪しいもあるもんかと、それゃアね、あのときは晴れてましたよ。だけど。一寸さきはやみの世のなか。それに、豆六も豆六だ。よりによってこんな日に、腹くだりなんかするこたアねえじゃねえか。ひょっとするとあの野郎、おれをこまらせるために……」
 とうとう、おはちが豆六へまわってきた。
「といったところでおっつかず……そうれみろ、だんだん黒雲がひろがってきやアがった。いまにゴロゴロ……ああ、よわった、よわった、桑原、桑原……」
 それは秋のはじめの、妙にむしむしする昼さがり、佐七の命令で深川の八幡《はちまん》まえまで用足しにいったきんちゃくの辰は、そのかえりがけ、北の空からにわかに張りだしてきた黒雲をみて、もう生きたそらもないのである。
 せめてゴロゴロ、ピカリとこぬうちに、橋のむこうへ渡ってしまおうと、必死となって脚をはやめているうちに、どうやら雲足のほうがはやかったらしく、やがて、大粒の雨がポツリポツリ、遠くのほうでゴロゴロゴロゴロ。
「さあ、来やアがった。せめてあいつが頭のうえまでこぬうちに……もし、神様、仏様、どうぞ、お助けくださいまし。南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》、ナムアミダブツ、高天《たかま》ガ原《はら》に神とどまりまして……」
 いやはや、大変なことになったもので、知ってるかぎりの念仏やのりとを、夢中になってとなえたかいも情けなや、六間堀《ろっけんぼり》のほとりまできたころには、車軸を流すような雨はまだよいとして、ゴロゴロピカリ、ピシャリガラガラと、天地もひっくりかえるような大雷になってきたから、
「キャッ、助けてえ、ひとごろしィ……」
 きらいというものはしかたのないもので、夢中になってとびこんだのは、寮とおぼしきかまえの裏門。みると、離れの雨戸があいていたから、なかへとびこみ、たたみに額をこすりつけて、桑原、桑原。
 おどろいたのは座敷のなかにいた人物。
「あれ、おまえさんはいったいだアれ」
 声をかけたが、そんなことばが耳にはいる辰ではない。
「桑原桑原、万歳楽、南無阿弥陀仏に南無妙法蓮華経《なむみょうほうれんげきょう》……なんでもよいから助けてえッ」
 と、しりおったてて耳をおさえ、必死となってたたみにしがみついている。
 あいてもようやく事情がのみこめてきたらしく、
「ああ、それじゃこの雷様をおそれて……ほんに、このごろとしてはめずらしいお下がりでございますわねえ」
 と、小声でつぶやくと、さらさらきぬずれの音をさせていたが、やがてむこうのほうから、
「もし、ちょっとおねがいがございます。雷様もだいぶ遠くなりました。ちょっとお顔をおあげくださいまし」
 そういう声がやっと耳にはいったので、辰がおそるおそる顔をあげると、うすぐらい座敷のすみに、女がひとり立っていた。
 この雨のなかを出ていく気か、はでな雨合羽をすそながに着て、紫縮緬《むらさきちりめん》のお高祖頭巾《こそずきん》。したがって顔はろくにみえないが、すらりと背のたかい、すがたのよい女である。
「へ、へえ……」
 さすがに辰も、きまりが悪くてもじもじしたが、そのとき、またもやガラガラピシャリ。辰はわっとさけんで突っぷした。恥も外聞もないのである。
「ほっほっほ。よっぽど、雷様がおきらいとみえますね」
「へえ、もう、なんといわれても仕方がございません。こいつが鳴るともう、から意気地がねえんで。へんなやつがとびこんできたとお思いでしょうが、怪しいものではございません。後生ですから、こいつが通りすぎるまで、ここでやすませて下さいまし」
 畳につっぷし、しりおったてたまま嘆願すると、
「いえ、こちらこそ、おまえさんがきてくだすったので大助かり。じつはいま、妹がきゅうに病気をおこしたので、おくにねかせてございますが、医者を呼びにいこうにも、留守番がなくて大弱り。ちょっとひとっ走りいってまいりますから、そこにいてやってくださいまし」
「へえへえ、そうねがえれば……わっ、光った!」
「ほっほっほ。では、なにぶんよろしく……」
 女は褄《つま》をからげて、この大雷雨のなかを駆けだしていったらしかったが、辰はろくすっぽ姿さえみていなかった。
 まったく、秋にはめずらしいお天気異変だった。
 ひとしきり、大あばれにあばれまわっていた雷様も、一刻《いっとき》(二時間)ほどたつと、やっといくらかおさまって、雨はまだはげしく降っていたが、雷の音はだいぶ遠くなっていた。
 さっきから畳につっぷして、生きたそらもなかった辰五郎が、蘇生《そせい》のおもいで顔をあげると、全身流れるような汗である。それをぬぐいながら、なにげなくむこうを見ると、はんぶんひらいたふすまのむこうに、雷よけの蚊帳がつってあり、だれか寝ているようすである。
 辰はふっと、さっきの女のことばを思い出した。妹がきゅうに病気をおこしたから、ひとっ走り医者を呼びにいってくる……。
 だが、その医者もこなければ、女もまだかえらない。女が出ていってからでも、半刻(一時間)以上もたつというのに、どこまで医者を呼びにいったのだろう。
「むりもねえやな。あの大雷だもの、医者だってたやすく腰をあげるもんか」
 辰はタバコを吸おうとおもって、腰のタバコ入れをぬいたが、なにもかもぐしょぬれで、どうにもならない。こうなると手持ちぶさたで身をもてあます。そこで、敷居ごしに、蚊帳のなかの女に声をかけてみた。
「もし、ねえさんえ。それともお嬢さんかな。さっきはひどい雷様でしたねえ」
 しかし、蚊帳のなかからは、うんともすんとも返事がなく、ただしずかである。
「もし、ねえさん、お嬢さま、ご気分はいかがでございますか。雷様もおさまりましたから、いまに姉さんが、お医者さんをつれていらっしゃいますよね。もし、ねえさん、お嬢さん」
 しかし、あいかわらず、蚊帳のなかはしずまりかえっている。
「寝ているのかな。しかし、変だな。いかに気分がわるいたって、あの大雷のなかを、寝ていられるはずのもんでもねえが……」
 辰は四つんばいになって敷居のそばまでいった。それからもういちど声をかけたが、返事がない。辰は蚊帳に額をくっつけてなかをのぞいた。
 蚊帳のなかにねているのは、まだ十七、八の娘である。あたりがうすぐらいのでよくわからないが、ちょっとかわいい娘のようだ。かけ布団をあごまでかぶって、きちんと仰向けにねているが、しかし、あの顔色はどうだろう。それに、寝息ひとつ立てるけはいがない。
 辰はゾーッとしたように、肩をすぼめた。娘ひとりねている蚊帳のなかへはいっていくのもどうかと思ったが、そんなことを考えていられないほど、異状なものを辰はかんじた。蚊帳をめくってなかへはいると、そっとかけ布団をめくったが、とたんに、わっとさけんでしりもちついた。
 娘は長襦袢《ながじゅばん》いちまいだったが、はだけた胸から乳房がはみ出し、まくれあがった裾《すそ》からは、女のいちばんだいじなところが露出している。
 しかも、さんざん男にもてあそばれたあとが歴然として、むごたらしい。さんざん犯されたあとしめ殺されたのだろう。赤いしごきが首のまわりに食いいるように……。

……「雷の宿」冒頭より


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