「人形佐七捕物帳(13)」

横溝正史作

ドットブック 168KBテキストファイル 125KB

400円

本巻収録作品
◆女刺青師
◆からかさ榎《えのき》
◆色八卦《いろはっけ》
◆まぼろし役者
◆蝙蝠屋敷《こうもりやしき》
立ち読みフロア

女刺青師

 姫始め辰巳《たつみ》の聞き書き
 ――小雪の死体が消えよったんです

 門松は冥途《めいど》の旅の一里塚《いちりづか》、なあんて、世のなかには皮肉なひともいるもんだが、お正月というものはやっぱりいいもんで。だいいち、ものに区切りがつくだけでもいい。
 去年はあれやこれやと失敗つづきだったが、ことしはなんとかふんどしをしめてかかろうとか、この正月を契機として、おおいに発奮しようとか、たとえそれが三日坊主におわるにしろ、そういう気持ちになるだけでもいい。
 その証拠に、ちかごろでは、江戸以来の年中行事がおいおいすたれていくなかにあって、お正月の行事だけがわりに厳重に守られているのは、まさか、年末のボーナスだけがお目当てではあるまい。
 いわんや、江戸時代にはどの家でも、分相応の門松に、注連飾《しめかざ》りもすがすがしゅう、お屠蘇《とそ》雑煮におせち料理、それぞれ家風にしたがって、めでたく新年をことほいだものだが、この正月三が日のなかでも、とりわけめでたい行事というのが姫始め。
 ほこ長し天が下照る姫始め
 と望一宗匠の句にもあるとおり、姫始めの行事こそは、富めるも貧しきもない、人間として至高至福、男女和合の最大行事。
 神田お玉が池では、まいねんこの行事を二日の晩ときめてあるが、そこはものわかりのいい佐七のこと、その夜はとくにお年玉をふんぱつして、辰《たつ》と豆六をだしてやり、どこかで姫始めをさせることにしている。
 さて、そのあとでお粂《くめ》佐七のご両人、いと厳粛にか濃厚にかしらないが、とくに念入りにこの行事をとりおこなって、さて、三日の朝。
 佐七は疳性《かんしょう》だから、六つ(六時)ごろ目をさますと、さっそくご近所のさくら湯へでむいていき、サバサバした気持ちになって、かえってきたのが六つ半(七時)ごろ。お粂の心づくしの支度もできているというのに、辰や豆六はまだかえっていない。
「おや、お粂、辰や豆六はまだかえ」
「あいな。少しおそいようだが、おっつけかえってくるでしょうよ」
 まいねんの例だと、辰と豆六、どこで姫始めの行事をとりおこなったにしろ、三が日の雑煮は、うちで祝うことにしているのに、その日にかぎって、五つ(八時)になってもかえってこない。
「野郎、どこへしけ込みやアがったかな。お粂、いいからこちとらだけではじめようじゃないか」
「そうねえ、おまえさんが一杯やってるうちに、かえってくるかもしれないわね。それにしても、ことしに限ってどうしたというんだろう」
「なあに、ふたりきりのほうがかえっていいのさ。お粂、もそっとそばへよってお酌《しゃく》をしな」
「ほっほっほ。それもそうねえ」
 ゆうべの行事のほとぼりが、まだのこっているのか、女房お粂、ボッテリと上気したような顔で、うれしそうに佐七のそばへすりよると、夫婦ふたりの水入らずで、差しつさされつという、正月そうそう、まことに情緒纏綿《じょうちょてんめん》たる風景とあいなったのはよかったが、どうしたものか、辰と豆六、午《うま》の刻(十二時)になってもかえってこない。
「野郎ども、いってえどうしやアがったかな」
「おそいといっても、少しこれじゃ遅すぎるわねえ。おまえさん、ひとあしさきに雑煮を祝って、ちょっと横になったらどう?」
「ふむ、そうしてもらおうか」
 ふたりを待っているあいだについ深酒をしてしまった佐七は、雑煮を祝うのもそこそこに、お粂のしつらえてくれたおきごたつに、しりぬくぬくとひとねむり、これも正月なればこそだろう。
 その辰と豆六が、やっとご帰館あそばしたのは、その日の暮れがた、ひとねむりした佐七が、つめたい水で顔を洗っているところだった。
「あらまあ、辰つぁんも豆さんも、ずいぶんごゆっくりだったじゃないか」
「あねさん、どうもすみません。いつもの時刻までにゃ、ふたりそろってご帰館あそばすつもりだったんですが……」
「それがあの妓《こ》の口説についひかされてかえ」
「あねさん、そんなんやったらよろしおまっけど、ちょっとおかしなおとりこみがおましてん」
 さぞや寸ののびた顔でかえってくると思いのほか、辰と豆六、案外シャッキリしているから、佐七はおやと小首をかしげた。
「辰、豆六、ゆうべはどっちの方角だえ」
「へえ、それが辰巳《たつみ》なんで……」
「辰巳……?」
 と、佐七は長火ばちのいつものところへかえってくると、
「お粂、この連中をあいてに飲みなおすから、お燗《かん》を熱くしてくんな」
「あいよ、辰つぁんも豆さんも、ちょっと待っておくれ。親分はきょういちにち、あいてほしやで、弱っておいでなすったんだから」
 そこは岡《おか》っ引《ぴ》きの女房である。ふたりがなにかかぎつけてきたらしいとピンときたから、すぐ立ちあがって支度にかかる。
「ところで、辰、豆六、そのおかしなおとりこみというのは、どういうことだえ」
「へえへえ、そのことですがねえ、親分、親分も深川の小雪が、元旦《がんたん》そうそう、むごたらしい死にかたをしたのはご存じでしょう」
 佐七はキラリと目を光らせて、
「おお、その話ならきのう聞いた。ふびんなことをしたもんだが、辰、豆六、それについて、なにかおかしなふしでもあるのか」
 と、おもわず長火ばちのうえにのりだした。
 江戸時代でも元旦はふろ屋はおやすみ。二日が初ぶろとしたものだが、きのうの朝起きぬけに、男三人、さくら湯の初ぶろへ、去年のあかをおとしにいったが、そこで小耳にはさんだ、深川芸者尾花屋の小雪が、元旦そうそう惨死をとげたというのは、つぎのようないきさつらしかった。
 深川の色町はぞくに七場所といわれ、土橋、仲町、新地、石場、櫓下《やぐらした》、裾継《すそつぎ》、あひる、とわかれているが、そのなかでもちかごろとくに繁栄をきわめているのが新地である。
 その新地でも大栄楼といえば、七場所きっての大見世《おおみせ》といわれている。
 大晦日《おおみそか》の晩、その大栄楼へよばれた小雪は、遊びおさめのなじみの客と、そこにとまって朝はやく客を送りだすと、初日の出をおがもうと、屋上にある見晴らし台へのぼっていった。
 大栄楼の見晴らし台は、楼主ごじまんのしろものである。
 大栄楼は新地のはなの、海のすぐとっつきに建っている。だから、屋上の見晴らし台へのぼると、お浜御殿から、鮫津《さめづ》、品川、さては安房《あわ》、上総《かずさ》の山々まで、一望のもとに見わたせるのである。
 そのとき、見晴らし台にいあわせたほかのふたりの証言によると、小雪はそうとう酔うていたそうである。それかあらぬか、小雪は足をふみはずして、大屋根から小屋根、小屋根から庭へところげ落ちたはずみに、庭石にしたたか脾腹《ひばら》をぶっつけて、むごたらしい死にかたをしたという。
「それについちゃ、おれもふしぎに思ってるんだ。大栄楼の見晴らし台なら、おれもあがったことがあるが、あそこにゃまわりにぐるりと手すりがついているから、いかに小雪がくらい酔っていたからって、そうむやみに、ころげ落ちるはずはねえんだが……」
「いえ、親分、それにはわけがおまんねん。小雪はその手すりを、乗りこえよったんだすがな」
「な、なんだと? 手すりを乗りこえたと……? なんだってまた、そんなつまらねえまねをしやアがったんだ」
「親分、それにはこういうわけがあるんです」
 と、辰がひざをのりだしたところへ、お粂が支度をしてはいってきた。
「辰つぁんも、豆さんも残りものばかりで勘弁しておくれ」
 と、ねこ板のうえへ酒のさかなをならべながら、
「おまえさん、お燗がそろそろできゃアしないかえ」
 なるほど、長火ばちの銅壷《どうこ》のなかで、おちょうしがゴトゴト鳴っている。
「おっと、話にかまけて忘れていた。じゃ、辰、豆六、一杯やんねえ」
 と、辰と豆六をあいてに飲みながら、佐七がきいた話というのはこうである。
 小雪が見晴らし台へあがっていったとき、おてんとうさまはもうとっくにあがっていた。それをおがんで、小雪がひょいと下をみると、いましも新地のはなをまがって、隅田川《すみだがわ》のほうへこいでいく一隻の屋根舟が目についた。
 のっているのは、いわずとしれた芸者と客、ゆうべの逢瀬《おうせ》を足れりとせず、客をおくって舟宿までいくところであろう。ひとごとながら、小雪はちょっとねたましいような気になった。
 そこでなにげなく、その屋根舟を見送っていると、そのうち舟から芸者が顔をだしたが、そのふたりの顔をみたせつな、小雪はかっとのぼせあがった。客というのは、いぜんから小雪がなじみをかさねている半次郎という道楽息子。
 小雪はべつに半次郎にほれているというわけではなかったが、じぶんの客がじぶんにかくれて、ほかの妓《こ》とあそんだということだけでも、ずいぶん腹の立つことだのに、さらに、あいてというのが悪かった。
 辰巳芸者かずあるなかにも、双璧《そうへき》とたたえられているのが、尾花屋の小雪と竜田屋《たつたや》のお滝。
 それだけに、ふたりの人気争いはものすごく、ことごとに張りあってやまなかったが、いま半次郎とむつまじくこたつにあたって舟でいくのは、なんと、その競争あいてのお滝ではないか。
 しかも、ふたりがこちらをむいて、なにかささやきながら、笑っているようすだから、きかぬ気の小雪が、かっとしたのもむりはない。
 その舟やらぬ……とばかりに、むちゅうで手すりを乗りこえたが、なにしろしたたかくらい酔っていたからたまらない。足踏みすべらせて、大屋根から、もんどりうって、転落していったのである。
「なるほど、そんな話があったのか」
 はじめてきいた話に、佐七は目をまるくして、
「いや、お滝と小雪の張りあいは、おれもかねてからきいていた。どちらもきかぬ気性だから、いままでにも、ずいぶんいろんなうわさがあったが、とうとう、こんなことになってしまったか」
 佐七は感慨無量のおももちである。
「ほんに、意地っ張りもいいかげんにすれゃいいのに、あいつらのは、気ちがいじみてましたからね。あっちが着物をつくれば、こっちは羽織をつくる。あっちが堺町《さかいまち》の役者に入れあげれば、こっちは葺屋町《ふきやちょう》の役者に肩入れする。こっちが入れ墨をすれば、あっちも負けずにやるというわけで……」
「そうそう、そういやア、お滝も小雪も、女刺青師のまぼろしお長に、入れ墨を彫らせたといううわさだったな」
「さよさよ。あれはお滝がさきにやりよったんだす」
「そうよ、女だてらにお滝のやつが、まぼろしお長に背中いちめん、相馬の古御所の滝夜叉姫《たきやしゃひめ》を彫らせやアがった。すると、小雪も負けじと、まぼろしお長に、金閣寺の雪姫を彫らせたんだ。どっちもみごとな出来ばえだったということですぜ」
「なるほど、雪姫に滝夜叉か。どっちもじぶんの名にちなんだ入れ墨だな」
 佐七が苦笑するそばから、お粂が酌をしながら、
「おまえさん、そのまぼろしお長というのは女入れ墨師かえ」
「そうそう、女ながらも入れ墨にかけちゃ、江戸でも屈指の名人だといううわさだ。おれはまだみたことはねえが、お長の彫った入れ墨は、そこは女のことだから、線やわらかく、色繊細で、優婉《ゆうえん》といおうか、幽玄といおうか、まるで夢まぼろしみてえにきれいだというところから、まぼろしお長の異名がついたんだそうだ」
 そこで、佐七は辰と豆六のほうへむきなおり、
「ところで、辰、豆六、おみやげはそれだけじゃねえだろうな。それだけのことを聞きだすのに、いままでかかるはずがねえ。お滝がなにかやらかしたのか」
「お手の筋といいてえところですが、お滝にゃ関係はねえんです。小雪についてへんなことが持ちあがりゃアがったんです」
「へんなことって?」
「小雪の死骸《しがい》が、ゆんべのまに消えよったんです」
「あらまあ!」
「なんだと? 小雪の死骸が消えたと……?」
 佐七はおもわずまゆをつりあげたが、辰と豆六の話によるとこうである。

……「女刺青師」冒頭より


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