「人形佐七捕物帳(15)」

横溝正史作

ドットブック 148KBテキストファイル 99KB

400円

本巻収録作品
◆梅若水揚帳《みずあげちょう》
◆謎《なぞ》坊主
◆お時計献上
◆当たり矢
◆妖犬《ようけん》伝
立ち読みフロア

梅若水揚帳《みずあげちょう》

 春の雪解け
 ――雪だるまのなかから裸の死体が

 その年はどういうものか雪が多かった。
 年の暮れに五寸ほど降りつもった雪が、まだ解けやらぬきょう、七草にまたこの雪である。
 七草がゆのあたたかみが、まだ腹の底からきえやらぬお昼まえから降りはじめた雪が、根雪のうえにふりつもって、吹きだまりではゆうに一尺はこえたであろう。
 だが、その雪も五つ(八時)ごろにはからりと晴れて、空には皎々《こうこう》たる月がすごいようである。
「兄い、ことしはえろう雪がおおいやおまへんか。雪もなんやな、雪見酒としゃれられるようなご身分ならよろしおまっけど、わてらみたいな素寒貧には、ただもう、冷えこむばっかりだんな」
「まあ、そういうな、豆六、雪は豊年のみつぎといってな、お百姓はおおよろこびよ」
「あれ、あんたにはわてのなぞが通じんのんかいな」
「なぞたあなんだ」
「豆六、おめえのいうのももっともだ。それじゃどっかでキューッと一杯……と。あんたいま、そないいうてくれやはるおつもりやったんだっしゃろ」
「あっはっは、豆六、草双紙やなんかだと、そういうものわかりのいい兄貴分がでてくるのかもしれねえが、現実はそうはいかねえ。現実はきびしいものよ」
「兄い、現実はきびしいといやはると……?」
「からだも冷えるが、財布もひえてる。だから、まあ、あきらめてくれ」
「あれ、そんなんこすいよ、こすいよ。そんなら兄い、あんたはんあの金、ネコババしやはるつもりかいな」
「豆六、あの金たあなんのこった」
「そやかて、兄い、さっき緑町の伯母《おば》さんが、豆さんとどこかで一杯のんでおくれと、おひねりをソーッと」
「あれ、この野郎、てめえあれをしってやアがったのか。いやらしいやつだ」
「なんといわれたかてかましまへん。それをもし、ひとりでネコババしやはったら、伯母さんにたいして、契約違反になりまっせ」
「うっぷ、契約違反だっていやアがらあ。いいよ、いいよ。どっかこぎれいな店があったら、一杯ひっかけていこうと思っていたところだ。葺屋町《ふきやちょう》の芝居のそばに、牡丹《ぼたん》という店があったな」
「そやそや、あそこなら酒はうまいし、ねえちゃんはきれいや」
 どっかできいたようなせりふだが、一杯ありつけるとわかって、豆六はおおはしゃぎ。辰《たつ》は思い出したようにあたりをみまわし、
「こいつはまた、やけに雪だるまができやアがったな」
 そこは浜町から人形町へぬける通り、俗に、へっつい河岸とよばれるところだが、なるほど、雪におおわれた河岸っぷちに、にょきにょきと雪だるまが立っている。
 時刻はかれこれもう四つ(十時)。
 このへんは葺屋町や堺町《さかいちょう》という。芝居町にほどちかく、踊り子などがおおく住んでおり、ちょっと色っぽいところだが、雪にひえこむ四つともなれば、さすがにあたりに人影もない。雪におおわれた白銀の世界は、凍りついたようにしずまりかえって、どこかで聞こえる按摩《あんま》の笛の音がいんきである。
「兄い、兄い」
 とつぜん、豆六がなに思い出したのか、いくらか感慨ぶかげに、
「この雪だるまで思い出したんやけど、去年の梅若の一件、あれ、どないなってまんねんやろ」
「そうそう、そういえば、梅若のはだかの死体が雪だるまのなかから出てきてから、もうかれこれ一年になるんじゃねえのか」
「あれは去年の二月十九日、彼岸の入りの日だした。あとひと月と十日あまりでまる一年。あれいらい、下手人のやつ、雪のふるたんびに犯した罪におびえているんやおまへんやろか」
 ほうとため息をつく豆六の耳に、またもや聞こえてくるのは按摩の笛の音。
「そういえば、豆六。あのとき、梅若殺しの下手人とうたがわれ、きびしいお取り調べをうけた、玉虫お蝶《ちょう》という芸者は、たしかこのへんだったなあ」
「さよさよ。お蝶のうちはすぐこのさきの裏通り。あのときは、お蝶もだいぶんしぼられたちゅう話や」
「なにせ、あいてが海坊主の茂平次ときたからな。あのとき、海坊主にしぼられたなあ、玉虫お蝶ばかりじゃねえ。堺町の中村座の芝居茶屋、いちょう屋の看板娘のお久、それに薬研堀《やげんぼり》の料理屋、さぎ亭《てい》のおかみのお重なども、海坊主のやつにずいぶん油をしぼられたという話だ」
 梅若というのは、そのころ浅草の奥山で八丁荒らしといわれた人気者、たかが大道のこままわしだったが、そのたぐいまれな美貌《びぼう》は江戸中の評判になり、かれが曲ごまをあやつるとき、そのまわりは十重二十重。かれの一顰《いっぴん》一笑に、わかい娘たちは身も心もしびれたという。
 としは十七だったというから、いまのかぞえかたですると、十五歳そこそこだったろう。
 いつも金糸銀糸で、大きく源氏車をぬいとりした紫繻子《しゅす》の小袖《こそで》をもろ膚ぬぎ、したにはこれまた源氏車を白く染めぬいた緋《ひ》ぢりめんの膚じゅばんに、萌黄《もえぎ》のたすきをあやどっているところから、だれいうとなく源氏の梅若。
 とうとう、そのころ人気のあった浮世絵師、歌川清麿《きよまろ》の目にとまって、角前髪《すみまえがみ》のそのあですがたが一枚絵になって売り出されたから、さあ、人気はいよいよふっとうして、江戸一番の色若衆とうたわれていたのもつかの間……。
 その源氏の梅若が、去年の春殺されたのである。いや、死体となって、妙なところから発見されたのである。
 ことしほどではなかったが、去年も暮れから、そうとうたびたび雪がふって、正月から二月のお彼岸のいりにかけて、江戸の町には、白いもののたえまがなかった。
 源氏の梅若は暮れ……すなわち一昨年の十二月二十八日の夜から、ゆくえ不明になっていたのだが、それが年も明けた二月の十九日、彼岸のいりの日になって、浅草雷門まえの雪だるまのなかから、死体となって発見されたのである。
 発見されたときの梅若は、一糸まとわぬすっぱだか。梅若はふだん、緋ぢりめんのふんどしをしめていたそうだが、それさえもはぎとられ、みるもむざんなあかはだかであった。
 梅若の死体をのんでいた雪だるまは、暮れの二十八日にふった大雪で、近所のお店の丁稚《でっち》小僧がつくったもので、その後解けそうになると、あとからふった雪でおぎない、おぎない、二月の十八日まで、つくったときの形のまんまで、雷門のまえに鎮座していたのである。
 それが、二月の十九日の昼過ぎ、にわかに訪れた春の陽気に、ぐずぐずと解けくずれたかとおもうと、なかから源氏の梅若が、あられもないはだかの絞殺死体となって発見されたのである。

 梅若水揚げ帳
 ――なぜまた、ふんどしまではぎとったのか

「それにしても、豆六、あのときはおどろいたな。梅若め、とんだものを残していきゃアがった」
「さよさよ、あれにはだいぶんあっちこっちで、夫婦げんかがもちあがったり、家出娘が続出したりで、いや、もう、ひとさわがせな梅若だしたなあ」
 梅若がとんだものを残して、世間をさわがせたというのは、つぎのようなしだいである。
 梅若が女をしったのは、かぞえで十五の春――というから、いまのかぞえかたでいうと十三歳と何カ月。むろん、女に買われたのである。
 そののち、清麿《きよまろ》の麗筆にえがかれて、一枚絵として売り出されていらい、ひいきの客はひきもきらず、夜ごとのように梅若は、女のあいてをつとめていたらしい。
 それをなんと、梅若は克明に書き記しており、題していわく、
『梅若水揚げ帳』
 そこにはおのれの関係した女の名まえはいうにおよばず、器量から肉体的な特徴、さらに閨房《けいぼう》における肢態《したい》から好みまで、ことこまかに書きつづってあったのが、よりによって鳥越の茂平次という岡《おか》っ引《ぴ》きの手にはいったからたまらない。
 鳥越の茂平次とは、みなさま先刻ご承知のこの捕り物帳での敵役。色が黒くて大あばた、海坊主の茂平次という異名があり、世間からゲジゲジのように忌みきらわれている男である。
 よりによってその海坊主の手にはいったのだからたまらない。水揚げ帳に名まえをつらねた女たちは、情け容赦もあらばこそ、つぎからつぎへと調べられたから、江戸の女の秘めごとが、いっぺんに明るみにでてしまって、夫婦わかれをするのもあれば、まとまっていた縁談を破談にされる娘もでる。
 その影響するところ、あまりにも甚大《じんだい》なので、お奉行所では海坊主をしかりつけ、水揚げ帳をとりあげてしまうと同時に、この捜査のうちきりを申しわたした。
 お奉行所でこの捜査を断念せざるをえなくなった理由のひとつは、梅若の殺害された日が、正確につかめなかったからでもある。
 梅若が失踪《しっそう》したのは、一昨年の暮れの二十八日である。そして、その日ふった大雪で、雪だるまがつくられたのだが、これをつくったのは、かいわいの丁稚《でっち》小僧。だから、去年の二月十九日の雪解けで、死体が発見されるまで、そのかん約五十日。そのあいだのいつの日に、死体が封じこまれたのか、当時の医学的知識では、解明する手段方法がなかったのである。
 なにしろ、雪詰めにされていたのだから、死体はほとんど腐敗しておらず、まるで生けるもののごとく、うつくしい膚をしていた。だから、ゆくえ不明になった暮れの二十八日の晩殺されたのか、また、何日間かどこかへ閉じこめられていて、さんざんおもちゃにされたあげく、しめ殺されたのか、なにしろそのかん約五十日あるのだから、それがこの捜査を困難なものにしたのである。
 そのとき、もっとも重大な容疑者として、海坊主の毒気にあてられたのが、へっつい河岸の芸者、玉虫お蝶と、堺町は中村座の芝居茶屋、いちょう屋の看板娘のお久。お久はまだ十九という弱年ながら、いちょう屋を切ってまわしているというしっかりものなのである。
 それから、いまひとりは、薬研堀にある料理屋、さぎ亭の女房お重。水揚げ帳によると、さいきんではこの三人が、もっともしばしば梅若とあそんでおり、三人いっしょに梅若をおもちゃにしたこともあるらしい。
 だから、梅若の殺害されたのがいつ幾日と、はっきりわかっていれば、この三人のなかから犯人を指摘できたかもしれないのだが、あいにく、それが明確でないうえに、暮れの二十八日から、二月の十九日まで、五十日間にわたる三人のアリバイを、正確に追及するということは、ちょっと不可能にちかかった。
 こうして梅若殺害の一件は、ついにうやむやのうちに葬られざるをえなかった。
「豆六、梅若の一件のときにゃ、うちの親分、ほかに忙しい御用があったので、とうとう掛かりあいなさらなかったが、われわれも死体を見るだけはみたなあ」
「へえへえ、雪だるまのなかから梅若の死体がでてきたという知らせをきいて、すぐに駆けつけたら、海坊主のやつがひと足さきにきていくさって、さんざんいやみをならべよったがな」
「いや、海坊主のことはどうでもいいとして、あのとき、うちの親分、しきりに首をかしげていなすったが……」
「へえ、うちの親分、どないいうてはりました」
「おまえは聞かなかったか。親分はこうおっしゃるんだ。雪だるまのなかへ人間一匹かくすというのは、容易なわざじゃねえ。なぜ、死体をそのままおっぽりださずに、雪だるまのなかへかくしやアがったかと……」
「そやけど、兄い、そら下手人にとっては、死体の見つかるのんがおそければおそいほど……」
「おれもそういったんだが、それじゃなぜ、なにもかも……ふんどしまではぎとってしまやアがったかと……」
「それも、兄い、身もとがわかったらこまるさかいに」
「いや、おれもそういったよ。ところが、親分のおっしゃるにゃ、そんなら、なぜ顔をめちゃめちゃにしておかねえんだと」
「それやかて、兄い、下手人のかんがえでは、そのうち雪のなかで腐ってしもて、顔のみわけもつかんようになるやろと……なにせ、見つかるまでに五十日の余もかかってまんねんさかいにな。まさか、雪のおかげで、生身どうようのまんまで見つかるやろとは、気イつかなんだっしゃろ」
「豆六、おれもそういったんだが、それがいけねえとおっしゃるんだ。辰、つもってもみねえ。あの雪だるまが五十日の余ももつと、下手人はどうしてしっていたんだ。雪だるまは三日で解けるか、五日でくずれるか、しれたもんじゃねえ。それにもかかわらず、死体になんの細工もしてなかったところをみると、下手人にとっては、死体が梅若だとわかってもかまわなかったにちがいねえ。それじゃ、なぜ雪だるまのなかへかくしたか。それはもちろん、二日でも三日でも、見つかるのをおくらせるためだろうが、身ぐるみすっかりふんどしまではぎとったわけがわからねえとおっしゃるんだ」
「なるほど、そういえばそうだんな。兄い、そのわけちゅうたらなんだっしゃろ」
「べらぼうめ。親分にわからねえもんが、こちとらにわかってたまるけえ」
「そらそうだんな」
「ときに、豆六。あの梅若にゃお冬という姉があったな。曲ごまの三味線をひいていた女だが……」
「そうそう、わてもいま、それを思い出してたところだったけど、そのお冬なら、いつかうわさをきいたことがおます。うそかほんとかしりまへんが、吉田町《よしだちょう》から出てるちゅう話や」
「なんだ、吉田町へおちたのか」
 辰はおもわず目をまるくした。
 吉田町というのは、もっとも下等な売笑窟《ばいしょうくつ》で、夜鷹《よたか》とたいして変わりはない。
「親の因果が子にむくいやのうて、弟があんまり羽根をのばしすぎたんで、そないなことになったんでっしゃろ」
 豆六がため息まじりにつぶやいたとき、按摩《あんま》の笛の音がちかづいてきて、
「お寒うございます」
 と、小腰をかがめていきすぎたのは、としのころは二十七、八、いがぐり頭に、めくらじまの着物をしりはしょり、下に浅黄《あさぎ》のももひきをはいていて、どこかひと癖ありげな面魂。
「おっ、お寒う、ご精がでるねえ」
 と、辰はなにげなくやりすごしたが、五、六歩いってから豆六が立ちどまり、
「兄い、兄い。いまむこへいく按摩のついてるつえ、あら仕込みづえやおまへんやろか」
「仕込みづえ……?」
 辰はおもわず目をまるくしたが、すぐ吐きすてるように、
「バカなことをいっちゃいけねえ。按摩が流してあるくのに、そんな物騒なものを持っててたまるもんか。おまえの見まちがいよ」
「そうだっしゃろなあ」
 豆六は首をかしげて、むこうへいく按摩のうしろすがたを見送っていたが、くだんの按摩はべつに足をいそがせるふうもなく、笛を吹きながらゆうゆうと入江《いりえ》橋のほうへ消えていった。

……「梅若水揚帳」冒頭より


購入手続きへ


*** 作品一覧へ *** ホームページへ ***