「人形佐七捕物帳18」

横溝正史作

ドットブック版 145KB/テキストファイル 117KB

400円

本巻収録作品
◆緋牡丹《ひぼたん》狂女
◆影法師
◆からくり駕籠《かご》
◆ろくろ首の女
◆猫と女行者
立ち読みフロア
 布袋屋四郎兵衛《ほていやしろうべえ》は庭のおくの茶屋のにじり口からなかへはいると、おやというふうにまゆをひそめて、
「重兵衛《じゅうべえ》、だれかわたしの留守中に、この茶室へはいったものがあるな」
「めっそうもない、だんな、だれもはいってはならぬというだんなのきついお申しつけゆえ、奉公人にもよくいいわたしてございます」
「いいや、はいった。重兵衛、あれをごらん。わたしはね、だれがいつこの茶室へはいってもわかるように、ほそい糸を、くも手にここへかけておいた。ところが、ごらん、その糸がきれている」
 なるほど、重兵衛がにじり口からなかをのぞくと、ほそい糸が切れて、そこらいちめんに散乱している。
 重兵衛はあきれたように、主人の顔を見なおした。糸がきれているというそのことよりも、それほどげんじゅうな用心をしなければならぬ主人の了見が、正気のさたとは思えなかったからである。
 四郎兵衛はにがっぽく笑いながら、
「番頭さん、わたしはね、けっして気が変になったわけではないんだよ。おまえにゃまだ話すわけにはいかないが、わたしはいま、大きな仕事をもくろんでいる。そのもくろみを果たすにゃ、どうしてもこれだけの用心をしなきゃならないんだ」
 そこは芭蕉庵《ばしょうあん》にほどちかい小名木川のかたほとり、布袋屋四郎兵衛が寮の奥庭、あるじが好みでたてられた数奇屋ごのみの茶室である。
 世間ではこの寮のことを、目算御殿とよんでいる。
 今助六の名のたかい蔵前の大通布袋屋《だいつうほていや》が、吉原《よしわら》での大尽遊びのあいまには、この別荘へ閉じこもり、世間をあっといわせるような大仕事の目算を立てているというところから、ひとよんで目算御殿。
「はっはっは、目算御殿か。なるほどよくいった。わたしという人間はな、いつでもなにか目算を立てていなければいられぬ性分。もうかる、もうからぬは二のつぎのこと。わたしはいつでも、命をかけた大仕事をもくろんでいないことには、生きがいがないように思われる。そして、ここが目算をねる根源地、いわばわたしの夢殿だよ」
 そういってわらう布袋屋四郎兵衛、としは四十二、三だろう。今助六の異名でもわかるとおり、豪放寛濶《かんかつ》、侠気《きょうぎ》にとんだ江戸っ子だった。体重二十貫もあろうかとおもわれる大兵肥満《だいひょうひまん》の大男で、武芸にこって、やわら、剣術、まずひととおりの腕前だった。
 その四郎兵衛が、ちかごろまたなにか大きなもくろみを立てているらしいことは、重兵衛にもはっきりわかっていた。それは、この春、四郎兵衛が箱根の湯治からかえっていらいのことである。
 それいらい、四郎兵衛は蔵前の本宅に腰がおちつかず、目算御殿を根城として、なにやら策をねっているようす。主人とちがって、実直いっぽうの重兵衛には、そういう四郎兵衛が危なくてたまらないのだ。
「はっはっは、番頭さん、なにも心配することはない。わたしももう四十二、むちゃなことはできやァしない」
「それはもう、だんなのことゆえ、そこにお抜かりはなかろうと存じますが、いまおっしゃった四十二というお年が、駒形町《こまがたちょう》さんにはご苦労の種」
「なにを、バカな! お柳もまた、としのわかいのに苦労性じゃないか。この四郎兵衛にかかっちゃ、厄《やく》のほうから逃げてしまうよ。ときに、番頭さん、瘤寺《こぶでら》というのはわかりましたか」
「それがですねえ、だんなのおいいつけゆえ、ひとをたのんで江戸中をさがしてもらいましたが、なにしろほんとうの名がわかっていないものですから、なかなか骨が折れましたが……」
「それでも、わかったことはわかったんだろうね」
「はい、今戸のほうに、そういうあだなのある寺があることがわかりました。なんでも、ほんとうの名は光円寺といって、浄土宗の寺だそうですが、一昨年あたりからそこに住みついた和尚《おしょう》の鉄牛さんというかたの首に大きな瘤《こぶ》があるところから、瘤和尚《こぶおしょう》といわれ、それから寺の名前まで、いつか瘤寺と呼ばれるようになったとやら」
「和尚の名は、鉄牛さんといいなさるのか」
「はい」
「そして、その和尚の首に、大きな瘤があるというんだな。そいつは面白い。首のどっちがわだえ。そして、どのくらいの大きさだ」
「はい、なんでも左のここのところに……これくらいの大きさの瘤だそうで」
 と、だいだいくらいの大きさを指でしめした。
「はっはっは、そんな大きな瘤があっちゃたいへんだ。ひとめにつくのもむりはない。よし、それで瘤寺のいわれはわかった。ところで、瘤和尚の鉄牛さんというのはどういうおかただ」
「さあ、それでございますよ」
 と、重兵衛はいよいよまゆをひそめて、
「だんながおさがしになるほどの寺ゆえ、さぞ寺もりっぱ、和尚さまもすぐれたかたと思いのほか、みるもいぶせき古寺だそうで。ひさしく無住になっていたところ、瘤和尚が住みついたのだそうですが、これがまたたいへんなお坊さんで、飲む、打つ、買うの三拍子、とんといまよう法界坊だそうで……」
「ううむ。それでも、檀家《だんか》の衆はたたき出そうとしないのか」
「めっそうもない。そんな荒れ寺でございますから、檀家などあろうどうりがございません。それに、その瘤和尚というのが、とんと身持ちのおさまらぬ坊主だそうでございますが、べつに悪いことをするわけではなし、どこか人間にあいきょうがあるところから、ご近所では、鉄牛さん、鉄牛さんと、かわいがっているんだそうで」
 それをきいて、四郎兵衛は安心したように、しろい歯をだして笑った。
「すると、わるい人間じゃないんだね」
「へえ、評判はいたってよろしいそうで」
「年は……」
「さあ、わたしも会ったわけではございませんから……いまここへまいりましょうから、だんなじきじきにご判断くださいまし」

 ……「緋牡丹《ひぼたん》狂女」冒頭より

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