「人形佐七捕物帳21」

横溝正史作

ドットブック版 261KB/テキストファイル 90KB

400円

本巻収録作品
◆銀の簪(かんざし)
◆夢の浮橋
◆藁人形
◆夜毎来る男
◆離魂病
◆風流女相撲
立ち読みフロア
「あら、ちょいと、おまえさん、寝ちゃだめだよ」
「ああ、うむ、寝やあしねえ。寝やあしねえが、ああ、うむ、いい気持ちだ」
 梅いちりん、梅いちりんずつの暖かさに、どうかすると、うっとりとなる縁側に、いかにも気持ちよさそうに甲羅(こうら)を干している男をだれかとみれば、なんと、これがめずらしや、人形佐七である。
 江戸はいま春。
 氷雪をとかす春風とともに、どうやら、ふたたび、佐七の天下がきそうな情勢、されば、むかしなじみの読者諸賢よ。
 しばらくぶりに繰りひろげられる人形佐七の手柄ばなしに、倍旧のご声援を賜らんことを――と、こうお願いしておいて、さて、ここはお玉が池の佐七の住ま居。
 なにしろ、女房のお粂(くめ)としては、うれしくてたまらない。
 ひさしく不遇だった亭主の佐七に、ふたたび春がめぐってきたのだから、きょうこのごろはつきっきりの、けさもけさとてその佐七が、縁側に寝そべっているのをみると、ひざまくらかなにかで、銀かんざしで耳掃除――というような情景なんだから、いやもう、見てはいられないのである。
 しばらくお粂はよねんなく銀かんざしを動かして、亭主の耳掃除をやっていたが、そのうちに、ふっとその手をやすめたまま、じっとしているから、おやと、佐七はかま首をもたげた。
 みると、お粂はみょうな目をして、かんざしの脚を見つめている。
「お粂、どうかしたのか」
「おまえさん、へんだねえ。このかんざしの脚についているこのしみ、これはもしや、血じゃないかしら」
「なるほど、おまえ、どっかけがをしているんじゃ……」
「いいえ」
 お粂は食いいるように銀かんざしを見つめていたが、やがてスーッと立って、鏡台のなかからさぐり出してきたのは、もういっぽんの銀かんざし。どっちも銀の平打ちで、いま流行のひさごの打ち出し。
 世の中には、ときどき、みょうなものがはやることがある。
 あとから思えば、どうしてあんなものがと思われるようなしろものも、流行となると、ふしぎに魅力のあるものらしく、その年、江戸を風靡(ふうび)したひさごのかんざしなどもそれであった。
 いまからみれば、ずいぶんへんてこなかんざしだったがまたたく間に、これが江戸中にひろがって、ちかごろではねこもしゃくしも、ひょうたん型のかんざしを頭にいただいていなければ、ひとまえに出られないという勢い。
 されば、お粂がこれを所持していたからって、あえておどろくにあたらないが、二本はすこし酔狂すぎる。
 佐七がそれをからかうと、お粂はまがおになって、
「いいえ、いま、鏡台から持ってきたのは、たしかにわたしのかんざしだけど、血のついているこのほうは、わたしのかんざしじゃありません。いまやっと気がついたんだけど、聞いてちょうだい、こういうわけなの」
 お粂の息はしだいにはずんでくる。
「きのう板橋へ用足しにいったでしょう。そのかえりに、通りかかったのが、馬喰町(ばくろうちょう)馬場(ばば)のそば、時刻は五つ半(九時)で、むろんあたりはまっくらだったねえ。ところで、馬場のそばに、振袖(ふりそで)稲荷(いなり)というのがあるのをしってるでしょう。そのお稲荷さんのまえまできたとき、だしぬけに、鳥居のなかからとび出してきた影が、どしんとわたしにぶつかって、そのままむこうへ逃げていったんです。くらがりで、みめかたちはサッパリだったが、むろん男でした。さて、男が逃げていったあとで、歩き出そうとするわたしの足に、チャリンとさわったものがある」
「それが、つまり、このかんざしか」
「ええ、そう。頭に手をやると、かんざしがない。家をでるとき、ささずにでたんだってこと、いま、鏡台をしらべてみるまで気づかなかった。男にぶつかったひょうしにおとしたんだとばかり思って、拾いあげると、懐紙でこう脚をぬぐって……」
 お粂は立って、鏡台のそばの、紙くずかごをさがしていたが、やがて、その懐紙をとりだしてきた。
 きれいずきで、くずかごへほうりこむときも、くしゃくしゃにもみはしなかった。
 四つに折ったままの懐紙を、佐七のまえで開いたとたん、ふたりはどきりと息をのんだ。
 まぎれもない、かんざしの脚をぬぐったあとが、二本どっぷり赤く……。
 お粂を案内者にして、それからまもなく人形佐七が、馬喰町馬場のそば、振袖稲荷ヘかけつけたことはいうまでもない。
 振袖稲荷――と、名前はりっぱだが、なに、せまい境内に、堂守りもいないほこらがあるきり。
 ほこらのうしろには五、六本の貧相なすぎの木立があって、その杉木立のいただきでからすが二、三羽、いやな声で鳴いていた。
 お稲荷さまのむこうは馬場で、となりは紺屋のたかいものほし場になっており、職人がひとりはたらいているきり、あたりは人影もなく、昼でもさびしい場所だった。
 それにしても、あのからす鳴きが気にかかると、ほこらのうしろへ回ったふたりは、果然、あっとさけんでその場に立ちすくんだ。
 と、その声を聞いたのか、ものほし場ではたらいていた紺屋の職人も、ひょいとこちらを見おろしたが、これまた、なにか見つけたらしく、大声にさわぎながら、ものほし場から姿をけした。
 ほこらのうしろのすぎの根元に、わかい娘がひとり、白蝋(はくろう)のような顔をして、倒れているのである。
 右うしろの首筋に、ポッツリとナンキン玉のような赤いしみ――
「お粂、やっぱりかんざしの脚でやられたんだぜ」
「くやしいねえ。そうと知ったら、ゆうべの男、逃がすんじゃなかったのに」
 そこへ紺屋の職人を先頭に、五、六人の男がどやどやと駆けつけてきた。
 紺屋の職人は娘の顔をひとめみると、たちまち真っ青になって、
「やあ、こりゃお辻(つじ)ちゃん」
「おお、おまえこの娘を知っているのか」
 それに答えたのは、あとにつづいた紺屋の親方。
「ええ、知っておりますとも。こりゃア馬場わきの、絵草子屋の娘で、お辻というんです。おい、だれかおやじさんにしらせてきてやれ」
 言下にかけだす野次馬といれちがいに、のっそり、その場に顔を出した男がある。
「おや、だれかと思やア、おめえは佐七か」
「おお、こりア鳥越の茂平次兄い」
 鳥越の茂平次は、一名海坊主の茂平次ともいい、色が黒くて大あばた、あまり評判のよくない男だが、岡(おか)っ引(ぴ)きとしては古顔だった。
「佐七、この一件を見つけたのはおめえか。いや、そんなことはどうでもいいが、おれもこのまま見のがしにゃならねえ。調べるぜ。不服はあるめえな」
 からんだもののいいようで、傍若無人に死体をあらためていたが、ふと目をつけたのは、死体のしたにあった封じ文。茂平次は手にとって開いてみたが、にやりと笑うと、
「ふうん、これで下手人はわかった。佐七、読んでみろ」
 わたされた手紙の文面はこうである。

 今宵(こよい)五つごろ(八時)いつものところで
 ばんの字より――
 おつう様

 茂平次はすごい顔をして、うしろに立っている紺屋の職人をふりかえると、
「おい、半四郎、ここへでろ」
 半四郎――というのか、紺屋の職人の顔色は、藍瓶(あいがめ)よりもあおかった。
「てめえさっき、人殺しだ、人殺しだと叫びながら、ここへ駆けこんできたようだが、お辻が殺されているのを、どうして知っていた」
「いえ、それは……いま、むこうのものほし場で、ものを干していると、このおふたりがあっという叫び。なにごとかとのぞいてみると、木の間がくれにこの死体……むろん、お辻ちゃんとはゆめにも知らずに……」
「うそをつけ。みろ、これを。ばんの字よりおつう様へ……この呼びだし状でお辻をここへおびきだし、ぐさっとひと突き……おお!」
 霜枯れの草のなかから、茂平次が拾いあげたのは、これがまた銀の平打ち、いま流行のひさごのかんざしで。
「やったな、半四郎、このかんざしでお辻の首を……さあ、おれといっしょにこい。いうことがあるなら、お白州の砂利へ出ていえ。おい佐七、気の毒だが、この一件はおれがもらっていくぜ」
 あっというまもない。電光石火の早業とはこのことで、海坊主の茂平次、まことにあっぱれというべきである。
 茂平次がむりやりに半四郎を引ったてていったあとでは、お粂と佐七が、とんびに油揚げをさらわれたようなかおいろである。
 おりからそこへ、町役人がふたりの鳶(とび)のものに、戸板をかつがせてやってきた。お辻の父親もいっしょに駆けつけてきた。
 お辻のおやじは山形屋加十といって、馬場わきで絵草子屋をいとなんでいるものだが、娘の死体をみても、たいして嘆くようすもなかった。
「いや、むりもないんですよ。こういっちゃアなんだが、おやじさん、おそらく、厄払(やくばら)いをしたような気持ちでしょうよ」
 死体をはこび去ったあとで、町役人が語るところを聞けばこうである。
 お辻はこのへんでも有名な不良少女だそうで、夜遊びはする、男ぐるいはするで、親の加十も持てあましていたのだという。
「で、おまえさんはどうお思いで。下手人はやっぱり、半四郎という若者でしょうか」
「さあ――」
 と、町役人が首をかしげていうのに、半四郎は紺屋の子飼いの職人で、親方の六兵衛もわが子のようにかわいがっている。しごく実直な若者で、お辻のような不良少女をあいてにするとは思えない……と、ことばをつよめて言い張った。
「それにしても、おまえさん、くやしいじゃないか。茂平次親分のいまの仕打ち、あんまりひとをバカにしてるよ」
「まあいいや。下手人があがれば、こんな結構なことはねえ。だが……妙だな」
「妙って……」
「鳥越の兄いのひろったいまのかんざしさ。あれでお辻を殺したんなら、おまえのひろったかんざしはどうしたのさ。お粂、ゆうべおまえが突き当たったのは、あの半四郎のようだったかえ」
「さあ……くらがりでよくわからなかったが、もっと屈強な男じゃなかったかしら」
 一同が死体をひきとっていくと、ほこらのうしろは、きゅうに静かになった。
 佐七はあらためて境内のすみずみを調べていたが、ふと、すぎの木立のむこうへまわると、そこにうっすら下駄(げた)の跡がのこっている。
「おまえさん、ひょっとすると下手人がここで待ち伏せしていたんじゃないかしら」
「とすると、下手人は女だってことになる。みろ、この足あとは女の下駄の跡だぜ」
「まあ! 女が……そんな恐ろしいこと……」
「いや、そいつが下手人かどうかはべつとして、ここに女がふたりいたことはたしかだろうぜ。この足跡は、お辻の下駄とはちがっているし、それにあの二本のかんざし……ひょっとすると、ここに女がかくれていて、人殺しの現場を見ていたんじゃあるめえか」

 ……「銀の簪(かんざし)」冒頭より

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