「人形佐七捕物帳23」

横溝正史作

ドットブック版 263KB/テキストファイル 102KB

400円

本巻収録作品
◆初春笑い薬
◆孟宗竹(もうそうちく)
◆鼓狂言
◆人面瘡(じんめんそう)若衆
◆非人の仇討(あだう)ち
立ち読みフロア
 義太夫(ぎだゆう)狂言でも評判の『生写(しょううつし)朝顔日記』宿屋の場をみると、笑い薬というのが、たくみにギャグとしてもちいられている。かねてから、朝顔の恋人駒沢(こまざわ)次郎左衛門(じろうざえもん)をなきものにせんとたくらんでいる岩代多喜太は、そのことを俗医荻野(おぎの)祐仙(ゆうせん)に相談する。
 そこで、祐仙一計を案じ、かねてよういのしびれ薬を駒沢にのませ、五体しびれているところを刺し殺せばなんでもない。じぶんはあらかじめ解毒の丸薬をのんでおき、毒見としょうして駒沢よりさきにのむから、よもやさとられることはあるまじ、細工は粒々とばかりに、鉄瓶(てつびん)のなかへしびれ薬を投げこんでいく。
 これを立ちぎきしていたのが、宿屋のあるじ徳右衛門(とくえもん)、鉄瓶の湯をすっかりいれかえて、そのなかへ笑い薬を投げこんでいく。
 そうとはしらぬ岩代と祐仙、駒沢のかえりを待ちうけて、薄茶一服まいらせんと、まず毒見役の祐仙が、こっそり解毒の丸薬をのんだのち、くだんの薄茶をのみほすと、たちまちなにやらおかしゅうなり、はては七転八倒、笑いころげるおかしみに、おおいに見物を笑わそうとする趣向である。
 では、そういう調法な薬がじっさいに存在するかというと、きのこのなかに笑いだけというのがあって、それを食べると一時的に精神錯乱におちいって、飛んだり、はねたり、むやみやたらにしゃべったり、笑いころげたりするそうである。
 これは、きのこのなかに含有されている一種のアルカロイドの作用といわれているが、このアルカロイドは一時的に、精神系統に影響するだけで、他の臓器にはなんの障害もあたえないらしい。だから、現今ならば化学的に、そのアルカロイドを抽出してもちいるところだが、むかしのことだから、笑いだけを乾燥したうえ、粉末にでもして使用したのだろう。
 さて、知ったかぶりはこれくらいにして、この笑い薬をめぐって、その春正月そうそう、深川で大騒動がもちあがったが、その顛末(てんまつ)というのはつぎのとおりで。
「さあ、さあ、みんな、こんやは無礼講じゃ。じゃんじゃん飲んで、おおいに騒いでおくれ。おれも厄(やく)は去年流してしもうた。ことしはまた若返って、みんなといっしょに楽しくあそぶつもりじゃ。さあ、さあ、みんな飲んだり、飲んだり。これ、本所の師匠、なにをそんなに考えこんでいるのじゃ。陽気にのんでさわいでおくれ。さあ、さあ、こどもたちはお酌(しゃく)じゃ、お酌じゃ」
 そこは深川新地の大栄楼の大広間。
 あまたの男女にかしずかれ、床の間のまえで、大浮かれにはしゃいでいるのは、木場でも名高い材木屋、槌屋(つちや)のだんなで万兵衛(まんべえ)という。
 万兵衛はこの春でかぞえ年の四十三、すなわち去年が四十二の厄だったが、えてして悪いことは当たりやすく、夏から秋へかけての大患い。暮れになってやっと元気回復したが、年いっぱいは自重して、春を迎えた十五日の晩、すなわち小正月の夜、厄落としをかねての全快祝いを、大栄楼で催したわけである。
 そのころ槌屋のだんなといえば、江戸でも名高いお大尽で、芸能界の一大パトロン。されば、当夜の客というのも、役者あり、浮世絵師あり、作者あり、さては浄瑠璃(じょうるり)の太夫(たゆう)あり、それをとりもつ芸者もまじえて、その数およそ三十人という大一座。
 それでなくとも、正月は芸者がうつくしい。一座ははなやかな空気につつまれて、大陽気の大にぎわい。
「だんな、このたびは、まことに、まことに、おめでとうございます」
「ご全快、まことにおめでとうございます。つつしんでお祝い申しあげます」
「明けましておめでとうございます。ことしもなにぶんごひいきお願い申し上げます」
「ほんとうに、だんながよくなられて、こんな心強いことはない。だんながお患いになっていらっしゃいますと、江戸じゅう灯が消えたようでございます」
「またひとつ、思いきったご趣向で、江戸の色街の相場を狂わしてみせてくださいまし」
 と、調子のよい芸人衆におだてられ、槌屋万兵衛も得意満面。
「おお、おれもそのつもりじゃ。こうして命拾いをしたからは、ことしはうんと羽根をのばすぞ。今夜がまずその手はじめで、こうしてきれいなのをそろえておいた。おぼしめしのむきがあったならば、手柄にくどき落として、うれしい勝ちどきあげるがよいわ」
 と、万兵衛がにっこり笑って一座を見まわしたから、さあ、躍りあがってよろこんだのが、お気に入りの太鼓持ち、桜川仙平(せんべい)である。
「ああら、ありがたや、かたじけなや。さすがは槌屋のだんなのいきなご趣向、そんなら、このなかから、よりどりみどりに生け捕りにして、奥の土俵で四つ相撲……」
 と、はや手当たりしだいに抱きつこうとするから、妓(おんな)たちは総立ちになり、
「あれ、いやらしい仙平さん」
「きゃっ、助けてえー、あら、いやだ、仙平さんになめられたわ」
「あれ、およしなさいったら、仙平さん、おまえさんなんか吉田町で結構よ」
「そうよ、そうよ、吉田町かお千代舟、ぽちゃぽちゃのお千代さんでも買って、命のせんたくでもしてくるのが、分相応というものよ」
 そのころ吉田町というのは夜鷹(よたか)の巣、お千代舟というのは水のうえでしがない春を売る舟のこと、いちばん下等な売女である。
「おのれ、ぬかしたりな、ほざいたりな、もったいなくも土屋大臣(つちやのおとど)万兵衛(まんべえ)朝臣(あそん)が腰ぎんちゃく、桜川仙平之守(せんべいのかみ)をつかまえて、夜鷹をかえの舟まんじゅうでけっこうだのと無礼しごく。そういうおまえはお千代とお蝶(ちょう)。ちぇっ、かたじけない、そんならふたりを生け捕りにして、両手に花と……」
 と、坊主頭の大男、桜川仙平がいま売り出しの色盛り、お千代とお蝶を両手に抱きすくめ、代わりばんこにほおずりしようとするとき、
「やれ、待て、仙平、早まるな」
 と、芝居がかりに押しとどめたのは、槌屋のおとど万兵衛大尽。
「はて、拙者をおとどめなされしは」
「されば仙平之守、よくうけたまわれ。そこにいるお千代とお蝶はこのまろが、かねてから思いをかけし辰巳(たつみ)の双艶(そうえん)、ともにまろが根引きして、手生けの花にするわいやい」
 と、万兵衛大尽、芝居の公卿悪(くげあく)もどきに、くわっと大口ひらいて見得をきったから、冗談なのか真剣なのか真意がわからず、一同ははっと息をのむ。
 お蝶とお千代は顔にぱっと紅葉をちらした。
「だんな、それはしんじつで……?」
 と、ちょっと座がしらけかかったとき、かたわらから子細顔にひざをすすめたのは、くわい頭に十徳すがたの玉川長庵(ちょうあん)。全快したとはいえ病後のからだ、そのように女色にふけってはと、主治医として意見をするつもりなのである。
 この玉川長庵というのは、世間によくある、さじかげんより舌かげん、脈をとるよりお太鼓をたたくほうがえてだという、俗にいうたいこ医者。それでも万兵衛お大尽の病気をなおしたのは、じぶんだとうぬぼれているから世話はない。
「あっはっは、長庵老。いまのは冗談。しかし、ひと晩の浮気くらいはよかろうがな。おれもながいあいだのお精進、ここらでひとつ精進落としをさせてくれろ」
「へえ、へえ、それゃア一夜のご遊興ぐらいなら、よろしゅうございますが……」
「しかし、だんな」
 と、下座のほうからひざをすすめたのは、例の桜川仙平だ。
「なるほど、ここにいるお蝶さんとお千代さん、辰巳の双艶といわれるだけあって、いずれがあやめかきつばた、目うつりさなるのもご無理ではございませんが、なんぼなんでも、いっときにふたりご所望とは、お人柄にかかわりましょう」
 と、子細顔に意見をすれば、万兵衛はにっこり笑って、
「あっはっは、なんぼおれが色好みでも、そんなけだもののようなまねはせぬぞよ。じつをいうとな、ここにいられる鷺坂(さぎさか)先生に、お千代とお蝶、どちらでもお気に召したほうを、こんやここで閨(ねや)の花、お取り持ちしようと思うてな」
 万兵衛のことばに、仙平は、はたとひざをたたいたが、それをきいて、ボーッとほおをそめたのはお千代とお蝶。たがいに目と目をかわせると、すぐ目をそらして柄にもなく、くねりくねりと身をくねらせながら、畳にのの字を書いている。
 それもそのはず、いま万兵衛のとなりにすわっている鷺坂源之丞(げんのじょう)というのは、五分月代(さかやき)の浪人者だが、それこそ油壺(あぶらつぼ)から出たような男、しんとんとろりとよい男だ。としは二十五、六だろうが、色白の、目もと口もとにあいきょうがあり、一座には花形役者、人気役者もいたけれど、源之丞のまえへ出ると、月のまえの星のよう。
 しかも、この鷺坂源之丞というのが、ひととおりやふたとおりの侍ではない。としこそわかいが、蘭方(らんぽう)医術の造詣(ぞうけい)ふかく、長庵はじめおおくの町医者が持てあました万兵衛お大尽の難症を、みごとなおしたのもこのお侍さまとやら。
 されば、たとえひと夜のちぎりでも、このようなかたと腕と腕、足と足とをからませての睦言(むつごと)を語らうことができたらと、一座のおんなというおんなが、ボーッときていたところだけに、お千代とお蝶ふたりのうえに、女たちの羨望(せんぼう)の視線があつまったのもむりはない。
 しかも、たとえ源之丞のおめがねにはずれたところで、槌屋(つちや)のお大尽様のおあいてに出られるのだから、これまた身の果報というものだ。なにしろ、あいてはお大尽さま、腕に抱かれて思うぞんぶん、ぬれてぬらしてさしあげたら、ひと晩きりでさようならというはずがない。
 うまくごきげんをとりむすんだら、栄耀(えいよう)栄華は思うままと、色と欲とのふた筋道、一同は手に汗にぎって、源之丞のお名ざしを待っている。ところが、鷺坂源之丞、医術にかけては大家でも、このほうのことにかけてはいたって初心(うぶ)とみえて、ボーッとまぶたを染めながら、
「ああ、これ、万兵衛どの、せっかくながら、拙者、そのようなことは……」
 と、小娘のようにもじもじと恥じろうているのがいじらしい。
 しかし、こういうことにかけては、そこはさすがに海千山千の桜川仙平である。まんざら気がないでもないと見抜いたか、
「ああ、もし、先生、鷺坂さま、あなたも木の股(また)からおうまれなすったわけじゃございますまい。あのようなべっぴんをそでにしては、男冥利(おとこみょうり)につきますぜ。さあ、せっかくのだんなのお志、どちらなりともお気にめしたほうをお名差しなさいまし。お蝶さんですかえ。お千代さんですかえ」
 と、たたみかけるようにうながされて、
「あっはっは、それではいささかきまりがわるいが、お蝶とやらを……」
 あとのほうははんぶん口のうちだったから、ちかまわりにいるものだけにしか、お蝶の名前ははっきりときこえなかった。
「ええ、先生、なんとおっしゃいました。お千代さんですかえ、お蝶さんですかえ」
 仙平がたたみかけるように尋ねるのを、万兵衛お大尽がさえぎって、
「いや、いや、仙平、それは先生が思いざしをされればわかる。先生、ひと口のんで、おぼしめしのほうにお差しなさいまし」
「ああ、さようか。それでは……」
 と、源之丞が仙平のお酌(しゃく)でのみほすかたわらから、
「そのお取りつぎは、わたしがつとめましょう」
 と、とりつぎ役を買ってでたのは、色が黒くて、なおそのうえに、顔じゅうに大あばたのある醜い男。としは五十前後だろうが、これこそ歌川喜多麿(きたまろ)といって、つらこそまずいが、美人画をかかせては、当今右に出るものなしといわれる浮世絵師。
 あの顔で、どうしてあんなきれいな女がかけるのだろうと、なにも顔で絵筆をとるわけでもあるまいのに、ついそんなことをいってみたくなるほど、じぶんのまずいつらに反比例して、その筆になる女の色っぽいこと、あだっぽいことといったらなかった。
 だから、喜多麿のモデルになって、一枚絵として売り出されると、玄人の場合、たちまちぱっと人気が出るといわれるくらいだ。そこにいるお蝶とお千代が売り出したのも、『辰巳(たつみ)の双艶(そうえん)』として、喜多麿の筆にかかれて以来のことである。
「ああ、この役は師匠にとってはうってつけ。なにしろ、お蝶、お千代のうみの親だからな」
「それではこれを、お蝶とやらへ……」
「はい、はい、承知いたしました」
 と、杯もって喜多麿が、立ちあがろうとするうしろから、
「師匠、ついでに銚子(ちょうし)もこれで……」
 と、万兵衛がじぶんの持った銚子をさしだした。
「ああ、なるほど、比翼連理の誓いの杯、酒もおなじ銚子の口から……いやもう、おうらやましいことでございますなあ」
 と、銚子と杯を両手にもって、下座へやってきた歌川の師匠、なにをまちがえたのかお蝶、お千代とならんだうちの、お千代のまえにべったり座って、
「それ、お千代、先生からの思いざしじゃ」
 上座のお大尽と源之丞は、思わずあっと口のうちで叫んだ。源之丞の名ざしたのはたしかにお蝶、それを喜多麿がお千代と聞きあやまったのである。
 しかし、お千代がいかにもうれしそうに杯をうけているところをみると、それはちがうともいいかねる。
「ようがす、ようがす、先生、ここはいちばんわたしにまかせておおきなさいまし。あとでいかようとも、いいようにいたしますから」
 と、源之丞の耳もとでささやいた万兵衛大尽。お千代が杯を飲みほすのを待って、
「それじゃ、歌川の師匠、はたらきついでにその杯をお蝶にさして、お蝶からひとつわたしのほうに、思いざしときておくれ」
 お蝶はいまにも涙のこぼれ落ちそうな目で、うらめしそうに源之丞のほうを見やったが、それでもすなおに杯をうけると、
「これをだんなに……」
 と、そういう声は消えもいりそう。万兵衛が喜多麿師匠から杯をうけとり、うれしそうに飲みほすのをみると、もう悲しさにたえかねたのか、さっと座を立って広間を出ていく。そのうしろ姿を見送って、一同思わず顔を見合わせた。
「あっはっは、先生、お蝶はおまえさんにぞっこんござっているらしい。あとをお楽しみに……」
 と、源之丞の耳もとにささやいた万兵衛大尽。一同のほうへむきなおると、
「さあ、われわれふたりの杯ごとはこれですんだが、まだお床入りははやかろう。これからは無礼講、大乱痴気の大陽気だ。みんなもてんでによりどりみどり、好きなあいてを生け捕りにして、思うぞんぶん汗をかいてほえるがよい。お千代はここへ来い。お蝶はどこへいった」
 と、お大尽からさきに立ってうかれ出したから、一座はわっという騒ぎ。
 それぞれ気にいった女をえらんで、そばへ引きよせ、臆面(おくめん)もなく口を吸うやら、女のうちぶところ深く手を突っ込むやら、百鬼夜行とはこのことだったが、突然、妙なことがそこに起こった。
 まずその口火をきったのは桜川仙平で、さっきから女のふところへ手を入れて、しきりにはしゃいでいたのが、急にげらげら笑い出すと、
「ああ、おかしい、こりゃたまらぬ。おかしゅうて、おかしゅうて、こりゃたまらぬぞ、たまらぬぞ。こら、またおかしゅうて……」
 と、腹をかかえて笑いころげたから、おどろいたのはあいてにきまっていたお勝という妓(おんな)だ。いままで男のひざに抱かれて、好きなところをいじらせて、ボッテリとした気になっていたのが、急にそこへ投げ出され、
「なんだねえ、このひとは。なにがおかしゅうてそのように……わたしをこんな気にさせておいて、いまさら……、おっほっほっほ、おっほっほ」
「あれ、仙平さんもお勝ぁんも、いったいどうした……あらあら、あたしもなんやら気が変になってきた。あっはっは、おっほっほ」
 と、まるであくびが伝染するように、つぎからつぎへと笑いがうつって、はては医者の玉川長庵から、浮世絵師の歌川喜多麿、男も女もつなみのように笑いこけたから、びっくりして目をみはったのは、いつのまにかその場へかえっていたお蝶。
 ただふたりだけ正気でいる万兵衛と源之丞をふりかえって、
「だんな、先生、これはいったい、どうしたことでございましょう。あたしゃなんだか……あたしゃなんだか、気味がわるうなってまいりました」
「あっはっは、なに、みんなよほどうれしいことがあるんだろうよ。おや、お千代、おまえもなにかうれしいことがあるのかえ」
 見ればなるほど、万兵衛と源之丞のあいだにすわっているお千代も、うつぶせになり、横っ腹をおさえて身をもんでいる。
「はて、これはどうしたこと、おまえに笑いのうつるはずはないんだが……」
 と、万兵衛がお千代のからだを抱きおこしたとたん、万兵衛もお蝶も、はてまた源之丞も、おもわずぎょっと息をのんだ。
 お千代の顔は藍(あい)をなすったようにまっさおになり、くちびるのはしから血のあぶくが……。

 ……「初春笑い薬」冒頭より

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