「人形佐七捕物帳24」

横溝正史作

ドットブック版 269KB/テキストファイル 88KB

400円

本巻収録作品
◆半分鶴之助(つるのすけ)
◆嵐の修験者(しゅげんじゃ)
◆唐草権太
◆夜歩き娘
◆出世競(くら)べ三人旅
立ち読みフロア
 そのころ、浅草の歌仙(かせん)茶屋といったのは、いまの中見世の前身だが、雷門から仁王門まで、赤のれんの茶屋がずらりと左右に並んだところは、なかなかみごとだったものだそうで――。
 それらの茶屋には、いずれもうつくしい娘をおいて、これが片だすきに赤前垂れという好みのすがたで、朱塗りの盆をまわしながら、
「寄っておいでなさいまし、掛けておいでなさいまし」
 と、くちぐちに嬌声(きょうせい)をはなって、ご参詣(さんけい)の善男善女を呼びとめていたところは、いま考えても、さぞ、にぎやかなことだったろうと思われる。
 それは七夕も過ぎ、町々に秋風の立ちそめる七月のなかばのことである。江戸時代では、七夕はもう秋の季節になっている。
 ある日、そういう並び茶屋のひとつ、銀杏屋(いちょうや)というのへ立ち寄って、茶をのんでいた人形佐七は、世にも奇妙な情景にぶつかった。
「ちょいと、お杉(すぎ)ちゃん、きてごらんよ。また鶴之助(つるのすけ)さんのおまいりだよ」
 と、店先に立って客を呼んでいたお玉という茶くみ女が振りかえれば、お杉もすぐにとんででて、
「おや、ほんとうだ。あいかわらず、おっかさんがふたりついているわね。かわいそうに、あれじゃ鶴之助さんもたまるまいよ」
「ほんとうだねえ。鶴之助さんもことしは十六、もうそろそろお嫁さんをさがすとしごろだのに、あれじゃどうなることだろうねえ」
「ほんに、いままではあれですんできたが、お嫁さんというだんになれば、さぞ大騒ぎだろうねえ」
「そうさ。あれで鶴之助さんがもすこしなんとかしたひとならいいんだけど、あのとおりのきりょうよしだし、気性はやさしいし、それに親孝行だからねえ」
「こうなると、親孝行も考えもんだねえ」
 と、お杉とお玉が騒いでいるのを、ちらりと小耳にはさんだのは人形佐七だ。
 例によって腰ぎんちゃくみたいにくっついている辰や豆六と顔見合わせながら、なにげなく表のほうへ目をやったが、とたんに三人とも吹き出したのである。
 それもそのはずだった。
 いましも銀杏屋のまえをとおりかかったのは、としのころ十五、六、まだ前髪の、それはそれはかわいい子どもだったが、なんともいえぬ異様な風体をしているのである。
 まずだいいちに前髪だが、これからしておかしい。右の髪はうんと張っているのに、左のほうはひっつめにして、だから、あたらうつくしいその顔が、ひんまがったようにみえる。
 それから着ものだが、これがまるでチンドン屋だ。
 左半分はしぶい唐桟(とうざん)なのに、右半分は目のさめるような曙染(あけぼのぞ)めの振りそでなのだ。
 つまり、唐桟と振りそでと、二枚の着物をまっぷたつに断ちきって、それを継ぎあわせたものである。
 おまけに、右足には雪駄(せった)をはいているのに、左足は日和(ひより)下駄(げた)だから、どうみても、バカか気ちがいとしかみえぬ。
 なにしろ、これが歌仙茶屋のまんなかだから、道行くひとがことごとく振り返ってみる。
 事情をしらぬ連中は、おもしろそうに笑いながら指さしている。
 茶屋という茶屋からは、客や女がのぞいているから、バカかきちがいか、えたいのしれぬ美少年は、いまにも泣き出しそうな顔をして、仁王門のほうへいそいでいく。
 佐七をはじめ辰と豆六が、ふきだしたのもむりではなかった。
「こうこう、お杉、お玉、いまの化け物はありゃなんだ、バカか、気ちがいか」
 佐七が笑いながらたずねると、お杉とお玉は、むっとしたようなかおをして、
「あれ、親分さんのお口のわるい。わけを知らぬからそんなことをおっしゃるんだけど、あれにはそりゃ、かわいそうなはなしがあるんですよ」
 と、お杉もお玉も目に露をふくんでいるから、こちらの三人は、はてなと顔を見あわせた。
「ほんとに鶴之助さんがあんなバカバカしいなりをしているのも、みんな親孝行からですよ。だから、わたしはいうんです。親孝行にもほどがあると。あんなひとたちのいうことは、いいかげんにきいておくがいい」
「だって、お杉ちゃん、そりゃむりよ。鶴之助さんの気性としちゃ、どんなにむりだと思っても、おっかさんたちのことばにそむくわけにゃいくまい。それより、あのおかみさんたちが憎らしいじゃないか。いい年をして、もういいかげんに折り合ったらよさそうなもの」
 と、ふたりが話しているのをきいて、佐七はひざをのりだした。
「なんだえ、そのおっかさんたちというのは。それじゃあ、その鶴之助という子にゃ、おふくろがふたりあるのか」
「そうなんですよ。親分さん、ごらんじゃございませんか。鶴之助さんの左右についていたふたりの女を……」
「さてね、おれゃアあの化け物……じゃなかった、鶴之助に気をとられていたから、いっこう気がつかなかったが、そんな女がいたっけね」
「いましたとも、鶴之助さんが外へでるときにゃ、いつだってくっついているんです」
「外へでるときばかりじゃない。家にいるときだってそうです。いまに帰ってくるから見ててごらんなさい。世間じゃいってますよ。鶴之助さんは、いまにふたりのおっかさんに責め殺されるだろうって」
 お杉とお玉は、いかにも心外らしいくちぶりだった。佐七はいよいよふしぎに思って、
「いったい、どういうんだ。おふくろがふたりあるというのは、つまり生みの親と、育ての親というわけかえ」
 とたずねると、ふたりは同時に打ち消して、
「いいえ、そんなんじゃありません。ふたりとも、鶴之助さんの生みの親だというんです」
「はてな。ひとりの子どもに、ふたりの生みのおふくろがあるはずがないじゃないか」
「だから、鶴之助さんがかわいそうだというんです。親分さん、まあ、おききなさいまし。ほんとに妙なはなしなんですよ」
 と、お杉お玉がこもごも語るを聞けば、これまったく近世の奇談なのである。

 いまから十六年まえのことである。
 吉原(よしわら)の江戸町に、玉屋鍵屋(かぎや)といって、まるで花火の家元みたいな名まえの遊女屋が、二軒、格子をならべていた。
 玉屋の女房はお紺、鍵屋のお内儀はお徳といって、ともにそのころ二十七、八だったが、となり同士とはいえ、このふたり、まことになかがいい。
 お紺はどちらかといえば、きりょうも気質もぱっとしたほうで、いたって派手好きな性分なのにはんして、お徳のほうはばんじがひかえ目に、地味な性質だった。
 こういうふうに、ばんじ正反対のふたりが、商売のいみがたきをもわすれて、姉妹(きょうだい)いじょうに親密なつきあいをしていたには、そこにふかい理由がある。
 というのは、このふたり、どちらもいまの亭主(ていしゅ)のところへ嫁してきてから、すでに十年にもなるのに、ともに子どもがない。
 女として子どもがないというのは、まことに寂しいもので、これが玄人あがりの女ならあきらめもつこうが、お紺もお徳も、堅気のうちからお嫁にきたのだから、ふたりともそれが苦労のたねだった。
 こういうところから、いつかふたりはむつみあって、いっしょにお寺参りや宮もうで、どうぞ子宝をさずかりますようにと、祈願を怠らなかったが、その願いがとどいたのか、ふしぎにふたりとも見るものをみなくなった。
 しかも、それが指折りかぞえてみると、ほとんど同時のことだったから、お紺お徳はいうにおよばず、ふたりの亭主も、おどろいたり喜んだり。
 これというのも、ふたりが日ごろからなかよく、心をそろえてお祈りしていたからにちがいないと、玉屋鍵屋の両家では、めいめいの女房どもを、下へもおかぬほどだいじにしていた。
 このまま、ふたりがぶじにお産をしていたら、めでたしめでたしで、市(いち)が栄えたのだが、好事魔多し、指折りかぞえて待っていたふたりの産み月もまぢかに迫ったというある日、たいへんなことがおこった。
 吉原から火を発したのである。
 江戸時代には、吉原の火事といえば、年中行事みたいになっていたもので、ある好事家の調査によると、新吉原がひらけていらい、火事にあわなかった年は数えるほどしかないという。
 しかも、吉原の火事といえばふしぎに大きくなったもので、このときも、浅草から下谷(したや)一円を焼きはらったあげく、川向こうへ飛び火して、本所深川をひとなめにしてしまった。
 あわてたのは、玉屋鍵屋の両家である。
 妊婦に火事はいみものというくらいだから、火を発したと聞くや、すぐにふたりを深川の寮にうつした。
 まえにもいったとおり、お紺お徳のふたりは、日ごろから仲よしだったから、寮も相談して、六間堀(ろっけんぼり)のほとりに、おなじような構えを二軒並べていたのである。
 このとき、玉屋からはお辰(たつ)、鍵屋からはお村という女が、それぞれおかみさんにつきそっていったが、六間堀の寮へひとまず落ちつくと、お辰のほうを吉原へ、火事のようすを見にやった。
 ところが、そのお辰がかえらないうちに、火の粉がとんで、本所深川がいちめんの火の海になったから、さあ、たいへんだ。
 それでもお紺というのは気丈な女だったので、お徳の手をひいて、永代橋のほうへ逃げてくると、ちょうどそこに、木更津(きさらづ)丸というかなり大きな船がついていた。
 この船は房州から米を積んできて、かえりに江戸から雑貨などを積んでいくのだが、いましも、房州へむけてでようとするところへ、この火事だった。
 船のなかには、はや、避難民がいっぱい乗りこんでいる。
 お紺とお徳も、船頭にたのみこんで、この船にのせてもらった。
 鍵屋の女中のお村ものった。
 さいわい、お紺には木更津に親戚(しんせき)のものがいるので、ひとまずそこへ落ちのびようと思ったのである。
 こうして船はまもなく隅田(すみだ)をでると、房州をめざしてすすんでいったが、なにしろ船中はたいへんなさわぎだ。
 親にはぐれた子どももいれば、子どもを見失った母もいる。
 夫にわかれた女房もいれば、孫を見失った老人もいる。
 というわけで、船中はごったがえすような大混雑、いずれも炎と煙におおわれた江戸の空をながめては、手放しで泣いていたが、お紺とお徳が産気づいたのは、じつにこの騒ぎのまっさいちゅうだった。
 このとき、ふたりにつきそっていたのが、お辰のほうならまだよかった。
 お辰ならとしもいっていたし、物慣れてもいたから、それほどあわてずにすんだにちがいない。
 ところが、そのお辰は、家のようすを見にいったままかえらず、ただひとり残されたお村というのは、まだ十七の小娘だから、妊婦のせわどころではない。
 じぶんのほうがぼーっとしているところへ、同時にふたりが産気づいたのだから、さあたいへん、ただ、もう、おろおろうろうろしていたが、それでも乗り合いのなかに親切なひとがいて、ともかくぶじに分娩(ぶんべん)はおわった。
 うまれたのはふたりとも男の子だった。
 そこまではともかくよかったが、さてそのあとがいけない。
 なにしろ、芋を洗うような混雑のなかだし、お村は逆上しているのだから、むりもないはなしだが、ふたりの子どもがどっちがどっちかわからなくなってしまったから、さあたいへんだ。
 それでも子どもがふたりとも生きていてくれればまだよかった。
 お紺とお徳は姉妹みたいに仲よしだから、ともかくひとりずつ育ててみて、将来、両親に似てくるだろうから、まちがっていたら、そのときとり替えてもはなしはすむのである。
 ところが、悪いときにはしょうがないもので、ふたりの子どものひとりのほうが、生まれるとすぐ死んでしまったから、はなしはいよいよ面倒になってきた。
「ほほう。すると、死んだほうが、お紺の子どもか、お徳の子どもか、わからないというわけか」
「そうなんですよ。死んだほうがわからないくらいだから、生きているほうだって、どっちの子どもだかわかりゃアしません。だから、はなしがもつれてくるんです」

……「半分鶴之助」冒頭より


購入手続きへ


*** 作品一覧へ *** ホームページへ ***