「西部戦線異状なし」

レマルク/蕗沢忠枝訳

ドットブック版 259KB/テキストファイル 193KB

600円

第一次世界大戦の西部戦線に投入されたドイツ軍志願兵たちが経験させられた「戦争」を描いた名作。相次ぐ激しい戦闘、戦友の無残な死、帰郷、負傷などのエピソードが次々に語られ、ドイツの若者が負った苦しみの深さが胸をうつ。1929年に発表されると15カ国語に翻訳されて、世界中で350万部を超える大ベストセラーとなった。

エリッヒ・マリア・レマルク(1898〜1970)はドイツのオズナブリュック生まれ。第一次大戦に従軍し、29年「西部戦線異状なし」を発表して一躍有名になる。ナチスに国籍を剥奪され、その著作はナチスの宣伝相ゲッベルスみずからの手で焚書にされた。妹は強制収容所で虐殺された。のちアメリカに移住して帰化した。代表作「汝の隣人を愛せ」「生命の火花」「愛する時と死する時」など。

立ち読みフロア
 僕たちは、戦線から九キロ後(さが)った地点で休憩していた。交代したのは昨日で、今日はじめて腹いっぱい牛肉と白隠元(いんげん)のシチューを食べた。だれもみんな満足して平和だった。飯盒(はんごう)には、もう一食分が夕食用として詰まっており、そのうえに、ソーセージとパンが普段の二倍も配給になったのだから僕たちは、すっかりいい気分になった。
 こんな嬉しい目にあうのは、近ごろまったく久し振りだ。人参のような赤っ毛の炊事上等兵は僕たちに、いくらでもたんと食べてくれと言って、誰でもそばを通りかかると、スプーンで招いて、行けば大匙(さじ)に山盛りのご馳走をふるまってくれた。彼は、いったいどうしたら、コーヒーを出す時刻までに、このシチュー鍋をからにできるだろうかと、途方に暮れている様子だった。
 そこで、チャーデンとミュッレルは、洗面器を二つ出して、これにシチューをあふれそうに盛ってもらって、後の愉(たの)しみに貯(と)っておくことにした。チャーデンは食いしんぼうのためにもらったのだし、ミュッレルは後の用意のためにもらったのだ。だが、チャーデンが、いくらこんなに大食しても、それがみんな体のどこへ入ってしまうかは謎であって、彼は相も変らず、乾し鰊(にしん)のように骨と皮ばかりである。
 こんなことより、なお一層嬉しかったのは、煙草が二人分ずつ配給になったことである。──めいめいに葉巻十本、巻煙草二十本、それに噛み煙草二個──これはたしかに相当なものである。僕は自分の噛み煙草を、カチンスキーの巻煙草と交換して、合計四十本の巻煙草を手に入れることができた。これだけあれば、一日分には充分だ。
 しかし、じつは、この棚(たな)から牡丹餅(ぼたもち)のさずかり物は、本来なら僕たちにもらえる筈のものではなかった。プロシャ人は、なかなかもって、それほど気前のいい人種ではない。これはまったく、ある誤算のおかげで、僕らが思わぬ怪我(けが)の功名(こうみょう)にあずかったまでのことなのである。
 いまから二週間まえに僕たちは、戦線部隊と交代した。そのときは、味方の塹壕(ざんごう)のあたりはかなり静かだったので、食糧係は人数だけの普通食糧を要求して、あらかじめ一中隊──百五十名分の用意をしておいた。ところが、最後の日になって、突然驚異的に多数のイギリス重騎兵軍が、僕たちの陣地に向って一斉砲撃の火蓋(ひぶた)を切り、猛烈な連続砲火をあびせてきたので、僕たちは惨澹たる敗北をなめ、やっと八十人の強い者だけが戻ってきたのだった。
 昨夜、僕たちは、ここに後退して、はじめて安眠することができた。カチンスキーは「もし、いますこしゆっくり睡ることさえ出来たら、戦争もこれほど辛いものではないんだがなあ」──と言ったが、まったくそのとおりである。前戦にいる間じゅう、僕たちは一夜としてろくに眠ることもできず、それが二週間もぶっ通したのだから、まったく永い苦痛の連続だった。
 ──この日、一番の早起き者がやっと寝床から逼(は)い出したのは、もう正午すぎだった。それから小半時(こはんとき)して、各員は手に手に飯盒をぶらさげて、ぷんぷんと脂ぎったご馳走の匂いのする炊事室に集まった。列の先頭に立ったのは、もちろん、一番腹をすかしている、小柄なアルベルト・クロップだった。──彼は僕たちの仲間では、もっとも頭脳の明晰な、したがって一番先に上等兵に昇進した青年である。


……冒頭より

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