「脂肪の塊・テリエ楼」

モーパッサン/木村庄三郎訳

ドットブック版 196KB/テキストファイル 88KB

400円

普仏戦争の混乱をのがれてルーアンを発った1台の馬車には、伯爵夫妻、紡績工場主夫妻、葡萄酒卸商夫妻、二人の修道女、若き共和主義者、そして「脂肪の塊」と呼ばれる一人の娼婦が乗っていた。だがプロシア軍に占領された町で難題がふりかかる。プロシアの将校が「脂肪の塊」に一夜の相手を要求し、それを断られると馬車が町を出るのを許そうとしない。馬車の同乗者たちはみな最初は「脂肪の塊」の味方をするが…。この出世作と、娼婦たちの生き様を鋭くえぐった代表作「テリエ楼」を収めた。

ギィ・ド・モーパッサン(1850〜93)フランスを代表する自然主義作家。「脂肪の塊」で一躍注目され、矢継ぎ早に多数の作品を生み出した。「女の一生」「ベラミ」「ピエールとジャン」など多数の小説以外にも旅行記、詩集、短編など。後年発狂し、精神病院で死去した。

立ち読みフロア
 数日間、引きもきらず、潰走《かいそう》する軍隊が市を通過して行った。それはもはや軍隊ではなく、烏合《うごう》の衆にすぎなかった。兵士たちは、髯《ひげ》ぼうぼう、服はぼろぼろ、見るかげもないありさまで、重い足を引きずって行った。軍旗もなく、隊伍《たいご》もなかった。みんな疲労困憊《こんぱい》の極《きわ》み、放心して何を決心することもできず、ただ惰性《だせい》で歩いていた。もし、いったん立ち止まったら、そのまま、ばったり倒れてしまいそうにみえた。ことに目だつのは召集された兵士たちであった。恩給や利息で安楽に暮らしていた人々で、銃の重みで、身体《からだ》をく《ヽ》の字に曲げていた。青年遊撃隊――これは若いだけに敏捷《びんしょう》で、そのかわり熱しやすく冷《さ》めやすく、攻撃、退却、ともに足の早い連中であった。彼らにまじって、赤い半ズボンがちらほら見えた。大会戦で、ほとんど徹底的な打撃をうけた師団の敗残兵だ。これら雑多な軍装の歩兵と並んで砲兵も歩いて行ったが、もともと地味な制服の砲兵は、いっそうみじめにみえた。ときどき、龍騎兵の冑《かぶと》が光ったが、歩きつけない彼らは、歩兵について行くのがやっとであった。
 義勇軍の諸部隊がつづいた。「敗戦の復讐者《ふくしゅうしゃ》」「墓場の市民」「死の同伴者」――名前だけは勇ましかったが、いずれも山賊《さんぞく》よろしくのかっこうで、ぞろぞろと引き上げて行った。
 彼らの隊長たちは、もともとラシャ商、穀物商、油脂商、石鹸《せっけん》商――それが財産と、ピンとはねあげた長い口髭《くちひげ》とに物いわせて将校になったという、いわば時局便乗型、一夜づくりの軍人であった。美々しい軍服、金モール、ピカピカ光るサーベル。口角泡《こうかくあわ》をとばせて作戦計画を論じあい、祖国の危機を救うのは俺《おれ》たちとばかり気炎をあげていた。そのくせ自分の部下さえ恐れ、その顔色ばかりうかがっていた。そのまた部下というのが、ときには猪突猛進《ちょとつもうしん》することもあったが、つねに略奪暴行、箸《はし》にも棒にもかからぬ手合いであった。
 プロシア軍がルーアンに侵入してくる――もっぱら、そういう噂《うわさ》であった。
 国民軍は二か月以来、鵜《う》の目鷹《たか》の目、付近の森を偵察し、ときには味方の歩哨《ほしょう》を射殺するほど、はやりにはやっていたが、あるとき叢《くさむら》の中で小さなウサギが一匹、ゴソゴソ音をたてると、あわてて、わが家に逃げ帰った。ついこのあいだまで国道の周囲三リュー四方を脅《おびや》かしていた彼らの武器、軍服は、たちまち、どこかに影をひそめてしまった。
 敗走するフランス軍の最後の兵士たちが、ようやくセーヌ川を渡った。サン・スヴェールからブール・アシャールへと道をとり、ポントードメールを目指しているのだ。兵士たちのいちばんあとから、将軍が左右をふたりの副官に守られながら歩いていた。将軍は絶望していた。宙を踏む心地であった。こんなぼろ切れのような軍隊では、もはや何を企てることもできないであろう。それにしても戦えば必ず勝ち、その武勇が伝説にまでなっているこの大国民が、こんな無残な敗北をこうむるとは……。
 やがてルーアン市には深い沈黙がただよった。不安な、無言な待つ気持ち――嵐《あらし》の前の静けさであった。長年の商人生活でいわば去勢されてぶくぶくと肥った商人たちは、台所の焼串《やきぐし》や庖丁《ほうちょう》まで武器に思われはしないかと、びくびくしながら、戦勝軍の侵入を、きょうか、あすかと待っていた。
 生活は停止してしまったように思われた。店々は戸を閉め、往来には人声がなかった。ときどき、付近の住民が、この沈黙に怯《おび》えきったように、こそこそ家々の壁にそって走って行った。
 焦燥感から人々は、敵軍の侵入を待ち望むような気持ちにさえなった。
 フランス軍が市を撤退した翌日の午後、プロシア軍の槍騎兵が数騎、どこからともなく現われて、風のように市を駆けぬけて行った。すると、ややしばらくして敵の一部隊が、まっ黒なかたまりとなって、サント・カトリーヌの丘をくだってきた。別の二つの部隊は、ダルネタール街道と、ボワギョーム街道とから、ひたひたと潮《うしお》のように押し寄せてきた。これら三つの部隊の先鋒《せんぽう》は、同時に市役所前の広場で相会した。やがて、広場に集まるあらゆる街路から、プロシア軍が舗道に軍靴《ぐんか》の音も高く、整然と歩調をとって広場にくりこんできた。聞きなれない、けたたましい声で叫ばれる号令が、家々にそって走った。その家々の閉めきった鎧戸《よろいど》の隙間《すきま》からは、あらゆる目が、こっそりと、それらの勝ち誇った男たちを眺《なが》めた。「戦争の法則」によって、これから、この市《まち》の主人となり、その生命財産を思いのままにする男たちである。
 住民たちは暗くした部屋の中で、さながら大洪水や大地震にあったときのように――人間の知恵や能力ではどうすることもできない大災害にあったときのように、呆然《ぼうぜん》自失していた。なぜなら秩序や安全が破壊され、人間や自然の法則によって保護されていたあらゆるものが、本能的な獣性によって蹂躙《じゅうりん》されるときにも、人々は同じ虚脱状態におちいるからだ。倒れた家々の下で全住民を押しつぶす大地震。溺《おぼ》れた農民たちを牛の死骸《しがい》や剥《は》ぎ取られた屋根もろとも押し流す大洪水。――それらの天変地異とひとしく、勝ちに乗じて侵入してくる敵軍もまた大災害だ。彼らは抵抗する人々を虐殺し、抵抗しない人々を捕虜にする。「サーベル」の名において略奪し、大砲の音によって「彼らの神」に感謝する。そして、永遠の正義や神の加護や人間の理性に対して、われわれの抱《いだ》いているあらゆる信頼を根底から狂わせてしまう。
 しかし、まもなく敵兵は、数人ずつに分かれて家々の戸口をたたき、その中に消えて行った。侵入軍、変じて占領軍になったのだ。勝者を歓迎しなければならない敗者の義務がはじまった。
 数日して、最初の恐怖が消え去ると、新しい一種の平穏がおとずれた。多くの家でプロシアの将校が、その家の家族と食卓をともにした。将校のなかには、上流家庭出身の子弟もあって、たとえ礼儀上にせよ、フランスに同情し、戦争は自分も好まない、不本意ながら参加した、などと言った。フランス人は、相手が好意を持ってくれることを喜んだ。というのは、あすにも、そういう好意にすがらないともかぎらない、と思ったからだ。相手の歓心を買っておけば、たとえば、割り当てで宿泊を引き受けなければならない兵士の数を、いくらかでも、少なくしてもらえるだろう。だいいち、絶対勝ち目のない喧嘩《けんか》を売るなどと、だれがそんなことをするだろう? そんなことをするのは、勇敢というよりも無謀というべきだ。
 無謀――そんな欠点を、もはやルーアン市民は持っていなかった。昔、勇敢に防戦して、ルーアン市の名を天下に轟《とどろ》かせたときとは時代がちがっているのだ。
 結局人々は、外国人の将兵たちとは、おおっぴらに親しくしなければ、陰では、どんなに仲好くしても差し支《つか》えない、と思うようになった。それは、いかにもフランス人らしい洗練された社交性からくる物わかりのよさ、といえなくもなかった。人々は戸外でこそ知らぬ顔をしたが、家庭内ではプロシア人たちと談笑した。またプロシア人にしても、夜ごと、しだいに遅くまで、フランス人たちと暖炉を囲むようになった

……『脂肪の塊』冒頭より

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