「箴言と省察」

ラ・ロシュフコー/吉川浩訳

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500円

「われわれの美徳は、まずたいてい、衣装を替えた悪徳にすぎない」という巻頭言に明らかなように、世間では美徳と考えられている、友情、感謝、献身、謙遜、礼儀、誠実、正義、博愛、沈着、寛大、などの徳目が徹底的に解剖され、すべてが自己愛の見せかけにすぎないことが暴露される。その人間観察の鋭さにおいて、ニーチェやトルストイやフローベール、芥川龍之介らの「枕頭の書」となったことでも知られる。

ラ・ロシュフコー(1613〜80)フランスのモラリスト。パリ生まれ。反リシュリュー陰謀に加担したあと、フロンドの乱に加わって負傷、政治の世界から遠ざかった。ラ・ファイエット夫人ら多くの女性と親交をむすび、サロンを楽しんだ。作家としては、「アンヌ・ドートリッシュ摂政時代の回想」と、モラリスト文学の傑作「箴言」によって有名になった。

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人間についての箴言《しんげん》集

 われわれの美徳は、まずたいてい、
 衣装を替えた悪徳にすぎない。


 ◆
 われわれが美徳と思い込んでいるものは、えてして、運よく身についた振舞いか、さもなければ、われわれの欲得が巧みにしつらえた打算にすぎない。したがって、男が勇敢であり、女が貞淑であるといっても、あながちそれは勇気と貞潔のせいではない。〔一〕
 ◆
 自己愛は、あらゆるおべっか使いのうち、最もしたたか者だ。〔二〕
 ◆
 自己愛の領土で、たとえいかなる発見があったにしても、まだまだ、そこには知られざる土地が残っている。〔三〕
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 自己愛は、この世で最もずるい奴《やつ》より、もっとずるい。〔四〕
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 情念は気まぐれだ。長く続くか短く終るか、われわれの力ではどうしようもない。寿命の長短と同《おんな》じだ。〔五〕
 ◆
 情念は、えてして、最も有能な人を愚《おろ》か者にする。かと思えば、最も愚かな人を有能にもする。〔六〕
 ◆
 目も眩《くら》むような偉大で華々しい、こういう行為は、雄大なる計画に基づいて生まれた、と政治家たちは言い立てる。だが、そんなものは、ふつう、気まぐれや情念の成せる業である。だから、アウグストゥス(1)とアントニウス(2)との戦いも、互いが世界の覇者たらんとした大望のゆえとされてはいるものの、そのじつは、嫉妬《しっと》の成せる業だったかもしれない。〔七〕
(1) アウグストゥス(前六三〜後一四)。前名オクタヴィアヌス。ローマの政治家。カエサルの死後、アントニウスらと第二次三頭政治を組織したが、両者はやがて反目し、アントニウスがクレオパトラへの愛に溺《おぼ》れ、その妻、すなわち、オクタヴィアヌスの姉と離婚したため、ついに覇権をかけて戦い、勝ったオクタヴィアヌスはローマ帝政初代の皇帝となった。
(2)アントニウス(前八二〜三〇)。前記オクタヴィアヌスとの戦いに敗れて自殺。
 ◆
 情熱は、必ず相手を説き伏せずにはおかぬ、唯一の雄弁家である。自然の営みにも似て、この掟《おきて》に狂いはない。どんなに芸のない人でも、情熱を抱けば、情熱なき最高の雄弁家に勝るのだ。〔八〕
 ◆
 情熱には、なんらかの不正があり、それなりの利害も働いている。これについてゆくのは危険である。いかにその情熱が理に適《かな》って見えようと、気を許してはならぬ。〔九〕
 ◆
 人間の心には、果てしなき情念の生成が続く。だから、一つの情念の消滅は、まずたいてい、別の情念の確立を意味する。〔一〇〕
 ◆
 情念は、しばしば、それとは反対の情念を生み出す。ときには、吝嗇《りんしょく》が浪費を生み、浪費が吝薔を生む。人は、しばしば、弱さによって強く、臆病《おくびょう》によって大胆だ。〔一一〕
 ◆
 情念に、敬虔《けいけん》や貞節というヴェールをかけて、いかに気をつけて隠していても、それは必ず透けて見えるものだ。〔一二〕
 ◆
 われわれの自尊心は、意見を否定されたときより、見識を否定されたときの方が、ひどく痛む。〔一三〕


……冒頭より

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