シリーズ「鎮魂の戦史」

「真珠湾攻撃」

淵田美津雄著

ドットブック版 844KB/テキストファイル 291KB

600円

旗艦の空母「赤城」の飛行隊長になり、真珠湾攻撃飛行機隊総指揮官としてみずから機上の人となり「真珠湾奇襲」を成功に導いた現場指揮官の手になる緊迫感あふれる迫真のドキュメント。太平洋戦争を知るための必読の一冊。

淵田美津雄 ふちだみつお(1902〜51)奈良県生まれ。24年海軍兵学校卒業。38年日華事変に参加。41年「赤城」飛行隊長になり、真珠湾攻撃飛行機隊総指揮官。42年ミッドウェー作戦に参加、6月戦傷にて入院。43年第一航空艦隊参謀、45年海軍総隊参謀。終戦後は復員省史実調査部部員、占領軍総司令部歴史課の嘱託として勤務。その後キリスト教徒に回心し欧米諸国を遍歴して福音伝道に従事した。本書以外の主な著書に、奥宮正武氏との共著になる「ミッドウェー」「機動部隊」がある。
立ち読みフロア
運命の開幕

 昭和一六年一二月七日午前四時……
 波高い北太平洋に、それでもしずかな夜明けが訪れようとしている。満天、雲におおわれてはいるが、水平線はほんのりと明るみ、きょうも平和な黎明であった。
 そのまだ薄暗い海面に、真白なしぶきをあげて南下する、一団の大艦隊があった。二列にならんだ六隻の空母群、その四隅にたちはだかる二隻の高速戦艦と二隻の重巡洋艦、さらにその周囲をとりかこむ九隻の駆逐艦群、そして先頭には一隻の軽巡洋艦が嚮導(きょうどう)している。
 まさに輪型陣(りんけいじん)!
 アメリカ太平洋艦隊の演習であろうか。
 位置はアメリカ太平洋艦隊の常駐基地、真珠湾の北方約二五〇カイリである。南の空、水平線のかなたにはハワイアン・ソングとワイキキの情緒で知られた常夏の島、ハワイ群島がよこたわっている。
 艦隊は全速力で走っている。
 まっ白な航跡が、まだあけきらぬ海面に太く、広く、長く、目もしるく残ってゆく。どの航空母艦の背中も、みんなピンと双翼をのばした飛行機でいっぱいにうまっている。そして発動機はごうごうとまわっていた。どの飛行機も大きな爆弾を抱いている。魚雷もある。側翼(そくよく)をつけた魚雷が、ほの白く鋼鉄の肌を光らせている。
 演習にしては殺気をはらんでいる――これこそ、真珠湾奇襲の秘命を帯びて、去る一一月二六日、千島のヒトカップを発航して、北太平洋をハワイヘと忍びよってきた日本の機動艦隊であった。
 ひきいる者は南雲(なぐも)忠一中将である。
 旗艦赤城(あかぎ)のマストには将旗がひるがえっている。旗艦であってみれば、将旗がひるがえっているのに不思議はないが、さらにその下にZ旗がハタハタと朝風にはためいているのだ。かつて東郷大将が日本海海戦のとき旗艦三笠にかかげて《皇国(こうこく)ノ興廃(こうはい)此ノ一戦ニ在リ、各員一層奮励(ふんれい)努力セヨ》と信号したあのZ旗である。
 戦闘旗が開かれた――。
 やがてあかつきの静寂をやぶって飛行機は羽ばたきをはじめ、スルスルと一番機がすべりだす。みるみる速力を増したと思うと、ふわりと離艦した。つづいて二番機、そして三番機……
 見あげる空には、あちらでも、こちらでも、ピカリ、ピカリとオルジス灯の光、そのあいだを青と赤の航空灯が行きかう。発進後の集合であろう。まもなく母艦上空にがっちりと編隊をくんだ一八三機の編隊群があらわれた。そしてオアフ島めざして消えていった。ときに午前五時であった。すなわち東京時刻では一二月八日午前一時三〇分の出来事である。
 オアフ島めざして忍びよる編隊群一八三機。
 その先頭の第一機にはハワイ空中攻撃隊の総指揮官淵田(ふちだ)美津雄中佐が搭乗している。あとにつづくのは水平爆撃隊四九機、雷撃隊四〇機、降下爆撃隊五一機、制空戦闘隊四三機の、戦雲爆連合のどうどうの陣。密雲をついて高度三〇〇〇メートル、雲上を飛んでいる。
 このころ、東京では、米国大統領ルーズベルト氏から日本天皇にあてた親電が、グルー米駐日大使を通じて東郷外務大臣に手交されていた。
 ワシントンの日本大使館では、本国から送ってきた交渉打切りの最後通告を、野村大使がハル国務長官に手交する時間であった。
 そして、真珠湾口では、日本の特殊潜航艇五隻が、湾内に侵入し、または侵入しようと潜航をつづけていた。
 だが、一般日本国民も、またアメリカ国民も、当の米国太平洋艦隊でさえ、いまやおそるべき運命のときが、刻一刻と真珠湾に近づきつつあることは知らなかった。きょうもまた、昨日と同じように平和な一日が明けていくものと信じていた。
 ホノルル時刻午前七時四〇分(東京時刻八日午前三時一〇分)、第一波の攻撃編隊群はオアフ島の北端に到達した。母艦上空を発進してから一時間半である。ここで編隊群は展開して突撃準備の態勢をとった。
 真珠湾上空は雲が切れていた。やがて真珠湾が谷間を通してはるかに眺められた。淵田総指揮官は眼鏡をとった。視野にうつるは、まさにアメリカ太平洋艦隊主力の戦艦八隻在泊のすがたである。
「全軍突撃せよ」
 ついに太平洋戦争開幕の合図はなされた。運命の時刻はホノルル時刻午前七時四九分(東京時刻八日午前三時一九分)であった。

……冒頭より


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