「縮屋新助」

河竹黙阿弥作/河竹登志夫校訂

ドットブック 175KB/テキストファイル 73KB

300円

堅気一方の越後の縮(ちぢみ)売り新助が、ふとしたことから真剣に恋した芸者美代吉(みよきち)に愛想づかしされ、うらんで殺す縁切りもの。しかも新助はその直後それが実妹だったと知り、おなじ村正(むらまさ)の妖刀で自害して果てる。──縁切りものの代表作の一つであると同時に、深川八幡の祭礼のにぎわいを背景に、江戸下町の庶民の生活をいきいきとえがき、それと対照的な地方商人の性格を的確にとらえた、リアリティーに富む生世話(きぜわ)の名作。
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【源左】 これおみよ、人(ひと)じらしの小路隠(こうじがく)れ、手前(てめえ)が居にゃあ座が白(しら)けらあ、まあ落ちついて一つ呑みゃれ。
【みよ】 ありがとうござんすが、私(わたし)ゃちっと心願いがあって願酒(がんしゅ)でござんす、どうぞ勘忍して下さんせいなあ。
【海松】 やい、おみよ、親分もお前(めえ)の来るのを待っていたのだ、野暮(やぼ)を言わずと祭りのことだ、
【皆々】 一つ呑め一つ呑め。
【みよ】 えゝも静かにして下さんせ、気のぼせがするわいなあ。
【源左】 これおみよ、手前(てめえ)がいくらぴんしゃんと振りつけても、言い出すからは何処(どこ)までもたとえ是が非であろうとも、後(あと)へ引かぬがおれが持前(もちまえ)、一度は言おうと思っていたが、長くも来ねえが此中(このじゅう)から雨の振る日も風の日ものろい(・・・)奴(やつ)だが通(かよ)っても、ついに一度いゝ顔もせず、噂に聞きゃア情人(いろ)があるということだ。してその男は何者(なにもの)だ、どんな奴(やつ)だか名が聞きてえ。
〔トこれにておみよどうなるものかという思入れにて〕
【みよ】 あい、情人(いろ)がござんす。可愛(かあい)い男がござんすわいなあ。
【源左】 なんと。
【みよ】 さあ、そう知らしゃんとしたら匿(かく)しても言わさずにはおかしゃんすまい。二世(せ)と三世(ぜ)と言い交わした男が外(ほか)にござんすほどに、お気の毒ではござんすがお前の言葉には従われぬゆえ、この広い仲町に外(ほか)にいくらもある芸妓(こども)、誰(たれ)なと呼んで下さんせ。あんまり愛想がないようだが、これも私の生得(うまれつき)でござんすわいなあ。
〔ト煙草をのみいる〕
【平馬】 して、その男は誰だ、いやさ何者だ。
【みよ】 さあ、その男というは。
【平馬】 その男の名は何と。
〔トこれにておみようじうじする、このとき海松杭(みるくい)の松つかつかと前へ出ておみよの左の腕を捲(まく)り〕
【海松】 その情人(いろおとこ)は海松杭が黒眼(くろまなこ)で睨(にら)んでおいた。さあこゝへ出せ。〔ト無理に腕を捲るをおみよ押(おさ)えて〕
【みよ】 いゝえ、それは。
【海松】 いゝや隠しても役にゃあたゝねえ、腕(かいな)に彫(ほ)ったこの新の字、なんとこれであろうがな。
【長次】 男の名を腕(うで)へ彫るとは、よっぽど時代(じだい)な女だわえ。
【みよ】 さあ、もうこう見られたら仕方がござんせぬ。あい、これが命(いのち)と二世(せ)かけた可愛い男でござんすわいなあ。
【源左】 〔思入れあって〕そう白(しら)ばけにぶちまけりゃあ、これまでおれが鼻毛(はなげ)をよまれたその野郎めは、何処(どこ)の奴(やつ)だ。
【平馬】 いや赤間待たっせえ。〔おみよに向かって〕この新の字は身が朋輩(ほうばい)、浪人なせし穂積新三郎の新の字か。〔おみよだまっている〕よいわ、新三郎なら面白い、香爐(こうろ)詮議で大切な身でありながら、その役目も打ち忘れ遊里の女に魂(たましい)奪われ、殿(との)の上意を軽しめる不所存者の新三郎、縄打(ぶ)って屋敷へ引こうか。
〔ト立ちあがる〕
【みよ】 さあ、それは、
【源左】 情人(いろ)というのは、新三郎か。
【みよ】 さあ、それは、
【海松】 但(たゞ)しは外の客だというか。
【みよ】 さあ、
【四人】 さあ、
【皆々】 さあさあさあ。
【源左】 女め返事は、どゞどうだ。
〔トおみよぐっと詰まる、この前方より新助、おつゆ出かかり居しが、このとき新助前へ出て〕
【新助】 はい、その言い交わしました男というは、わたくしでござりまする。
〔トこれにておみよ合点(がてん)の行かぬ思入れ、皆々びっくりして新助を見る〕
【源左】 汝(わり)ぁ先刻(さっき)の縮屋だな。
【海松】 この新の字の入墨子(いれぼくろ)が。
【皆々】 なんで貴様が情人(いろおとこ)だ。
【新助】 〔懐中より帳面を出して〕へい、この帳面に記(しる)しある縮屋新助、わたくしが情人(いろ)でござりまする。
【みよ】 えゝ。
〔トびっくりするを、おつゆ、おみよの袖を引き、呑み込ませる。新助源左衛門海松杭等、気味合(きみあい)の思入れ〕
【つゆ】 おみよさん、もうこうなったら仕方(しかた)がない、お前の情人(いろ)は、あの新助さん、いえさ新助さんでござんしょうがな。〔ト呑み込ませる、これにておみよ思入れあって〕
【みよ】 はい、なるほど、今の今まで隠していたれど、この彫物(ほりもの)が何もかも。私(わたし)の情人(いろ)というは新助さん、それゆえさっきも赤間さん、お前が手込めになさんす時見るに忍びず留めたのが、たしかな証拠でござんすわいなあ。
【源左】 そんならおみよが情人(いろ)といったは、あの越後者(えちごっぽう)の縮屋か、なるほど物好きなものもあるものだなあ。
【海松】 なるほど情人(いろおとこ)に見えらア、頭つきからなりのこしらえ、よっぽど粋(いき)なつくりだぜ。
【平馬】 そりゃあ越後の情人はあゝいうなりが流行(はや)ると見えるわえ。
【子一】 こりゃあてっきり(・・・・)こうだ、あの女が縮(ちゞみ)の借(かり)でもあるのだろうよ。
【子二】 道理で、面(つら)を見てちゞみ上がらあ。
【子三】 あいつがほんの越後ざらしだ。
【海松】 業(ごう)ざらしが聞いてあきれらあ。
【皆々】 むゝはゝゝゝゝ。

……序幕 「仲町野花屋(なかちょうのばなや)の場」より


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