「将軍の私生活」

三田村鳶魚著

ドットブック版 487KB/テキストファイル 133KB

800円

家康の女性関係を扱った「神君(しんくん)御寵女十七人」「甲州の女狩り」を中心にして、「春日局の焼餅戦争」、家光の男寵に触れた「家光の初恋」「月夜の三代将軍」、吉宗の素行不良を考証した「不良将軍吉宗」などのほか、綱吉・家慶ら、徳川将軍と周辺の性をめぐる隠れた私生活を描く「鳶魚江戸ばなし」。かつて「公方様の話」としてまとめられた底本の復刊。 

三田村鳶魚(みたむらえんぎょ)(1870〜1952)東京生まれ。本名、玄龍。新聞記者として日清戦争に従軍。寛永寺で得度。明治43年(1910)に『元禄快挙別録』を著して以降、考証にもとづく江戸時代の研究に従事。多くの著作をまとめ、江戸学の祖といわれる。稲垣史生氏も、鳶魚の薫陶をうけた一人である。

立ち読みフロア
 江戸の三百年を権現(ごんげん)様で通してきた徳川家康、今日でも、日光の松杉青く鎮(しずま)りましますあたりには、東照大権現の勅額、うやうやしく祭り込まれてござる。なんでも神君神君で、一切凡慮の及ばぬことにして、決して人間扱いにしなかった昔にさえ、『幕府祚胤伝(ばくふそいんでん)』『幕府釐女伝(ばくふりじょでん)』『柳営婦女伝』『将軍外戚伝』『柳営譜略』『玉輿(ぎょくよ)記』『以貴小伝(いきしょうでん)』『壺範(こはん)記』等がある。揃って月並の代物にもせよ、すこぶる凡慮の及んだ証拠にはなろう。それを一渉(ひとわた)りすれば、すぐに権現様の人間さ加減が知れる。灸所は誰にもあるはず、赤裸でなくとも、襦袢一枚にして見届けると、英雄だけに大分思い切ったところがある。


  大御所の痳病

 徳川一世の、駿府で痳病(りんびょう)に罹(かか)ったことが、渋井太室(たいしつ)の『国史』にある。これは大御所様時代、いずれにしても慶長十年以後の話でみれば、六十四五歳になっておられるのに、いかに、海道一の弓取りと、甲斐の大僧正に感服されたほどの豪傑にもせよ、あまりに武威の盛んなのを訝(いぶか)った。けれども、大御所様といわれるようになってから、たしかに、三度はオギァオギァを聞かせているのみならず、「年寄りては、男子(おのこ)のむくつけき躍(おどり)ばかりにては興にもならず、女子(おなご)の躍見たく思ふなり、と宣(のたま)ひて、俄(にわか)に阿部川の町へ仰(おおせ)ごと下りて、遊女の中にも名あるものは、そが名をしるし奉(たつまつ)れ、とありて、銘々こゝをはれと用意し、その夜にもなれば、とりどり御覧ありて後、高名の遊女どもをば、板縁(いたべり)のすへにめし上げられ、一人づゝその名を御尋あり、暇(いとま)給はる時には、御次(おつぎ)にて菓子を賜ひ、同朋福阿弥(ふくあみ)もて密(ひそか)に仰せ伝へられしは、此後とても俄に銘々が名ざして召よばるゝ事もあるべければ、いづれもかねて心得置くべしとなり」(『駿河土産』)というのでみれば、不時に名ざしで呼ぶ、油断のならない大御所は、踊りのほかに、明らかに遊女の御用があったのである。それをまた感心したがる連中は、神君が時々遊女を召されるというので、若い侍達の身持ちがお聴(みみ)に入っては大変だと、急に誰も彼もが嫖遊(ひょうゆう)をやめてしまった、まことに凡慮の及ぼぬなされかたで、容易に若輩の阿部川通いが止んだ、としきりに奉る。こう奉られても、すこぶる凡慮に及んだ結果がみえている。徳川一世は痳病になったではないか、権現様でも大御所でも、天文以来侮りがたい黴毒(ばいどく)の病勢は、何の用捨があろう。親しむべからざる娼婦に接近したが最後、当然花柳病に苦しまなければならぬ。二妻十五妾(しょう)を有する老家康が、いつも婦女に乏しいはずもない。まことに、若い侍達の身持ちを戒飭(かいちょく)するためでもありそうな話ではあるが、彼がけしかる病毒に感染したのをみると、感心屋が嘆服したのとは、ほとんど表裏の違いのある感心がしたくなる。
 晩年にも一向衰えをみせない権現様は、狩猟に出る時にさえ、常に婦女を召し連れられた。その行装が『落穂集追加』に書いてある。「御鷹野のさきさきへは、いつも女房共召連られ、そが内にて上臈たちは輿にのり、その余はいづれも乗懸馬に、茜染(あかねぞめ)の蒲団しきてのり、市女笠(いちめがさ)の下にふくめんして供奉(ぐぶ)する事なり」、公然お供をさせておられる。このお供だけでは満足されなかったとみえて、見附の安間(あんま)平次という者の方へ、中泉(なかいずみ)の鴨狩の往返(おうへん)に、しばしば宿泊された。申すまでもなく、平次の娘が美人であったためである。こうした例は沢山あろうと思われるが、伝わったのが少い。平次の家には、拝領物も多い。その目録(御器図)さえ一冊子をなすほどであったから、徳川一世の晩年の情事も、顕著なものである。薨去(こうきょ)の年は七十五、その年の正月二十一日、田中の鷹狩から還えられて発病したのである。死に至るまで、出狩をやめなかったとともに、例のお供も付いて回った。

……「神君(しんくん)御寵女十七人」冒頭より


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