「将軍家の御家騒動」

三田村鳶魚著

ドットブック版 333KB/テキストファイル 191KB

800円

江戸時代の御家騒動は各藩につきもののように次々と起こり、それらをテーマにした著作も多いが、肝心の将軍家の御家騒動をつぶさに記したものは、この三田村氏の作品を初めとする。十五代の将軍のうち、跡継ぎ問題でもめなかったのは、初代の家康以外には、九代の家重、十代の家治くらいしかない。二代秀忠の宇都宮釣天井事件から、三代家光、五代綱吉、八代吉宗、十一代家斉、十四代家茂、十五代慶喜まで、御三家、御三卿、大奥に、実権を握ろうとする幕閣を巻き込んでの騒動を綿密に考証した本書は、相続問題から見た江戸時代の政治史ともいえる快著である。

三田村鳶魚(みたむらえんぎょ)(1870〜1952)東京生まれ。本名、玄龍。新聞記者として日清戦争に従軍。寛永寺で得度。明治43年(1910)に『元禄快挙別録』を著して以降、考証にもとづく江戸時代の研究に従事。多くの著作をまとめ、江戸学の祖といわれる。稲垣史生氏も、鳶魚の薫陶をうけた一人である。

立ち読みフロア
 御家騒動というものは、大名の家に限ったことのようになっておりますが、旗本・御家人等の武士側だけではなく、町人・百姓の家にも、御家騒動はあるはずである。しかし、身上(しんしょう)の小さいものは騒動も小さいから、自然と大名の家だけにあるもののように思いなされるのかと思うと、そうでもないようだ。それなら大名の家に一番多い事柄なのかといって考えてみると、そうでもないように思われる。三百諸侯といいますけれども、実際は二百六十四大名しかなかった。この二百六十四の大名というものは、どの家でも大概御家騒動のないところはない。甚しいのになれば、一軒で三、四回以上繰り返しているのがある。そうすると、どうしても六七百の御家騒動があったはずであるが、そのうちで知られているのは甚だ少い。大名の御家騒動で誰でも知っているのといったら、三十という数には届いていまいと思う。そうしてみると、知られた数が多いから、大名には御家騒動が付きもののように思ったわけでもなさそうです。大名の御家騒動で世間に知られていないものは、知られているのよりも、よほど数が多い。その中でも最も大きいのが知られているのかというと、そうでもない。随分大きいのでも、一向知られていないのもある。
 それから、御家騒動は、必ずしも同じ型のものともきまっていないのです。世間の人のおぼえている御家騒動の型は、大概きまっている。お気に入りの悪いやつと、忠義な御家老と、寵愛されているお妾(めかけ)さんというようなものが、どうしてもなくてはならぬようになっている。そうして、その争いは忠奸正邪ということになっています。それですから、後には、新しい見方だとかいって、御家騒動は党争であるという解釈も出てきた。党争にしたところが、主家のためになるか、ならぬかというところから、吟味してゆけば、忠奸正邪の内でないわけはない。両方とも誠心誠意である場合には、善悪がないようなものでありますが、それも、謀(はかりごと)の全くない、考えの足らぬところから、思いがけない利害を与えることがあると、事件が落着した後に、大きな利害が残る。この場合は、邪正ということはないにしても、その家来達の賢愚ということはある。おのれの愚を悟らずに、主家のことに与(あずか)ったということは、忠の不足、これも不忠なのです。
 それからまた、大抵の御家騒動というものは、期間がきまっておりまして、一代かかるのは少い。二代に跨(またが)るようなことは、滅多にありません。年限にしても、大概二三十年ということにきまっているように思われます。ところが、ここに、十四代にわたり、二百年以上になり、その問題も幾度か同じことを繰り返しているのがある。そうして、御家騒動の中で一番多いところの、継嗣(けいし)問題に引っかかっている。この最も大きいと考えられるもの、その事実は誰も知っているものを、何故か御家騒動として取り扱っていない。それはほかでもありません、徳川氏の家に度々起った騒ぎで、公方様(くぼうさま)の相続問題なのであります。
 御家騒動というものは、大名・旗本・御家人、ないし、町人・百姓というふうに、どこにでもある中に、将軍の家にしばしば繰り返された継嗣問題ほど、大きな御家騒動は、あるまいと思います。それを何故御家騒動から除いているか。昔は憚(はばか)るべき筋があって、逃げていたかも知れませんが、東京の御治世になっては、何の遠慮もない話で、本筋の通りやっていいと思うのに、誰もこれを顧みておらぬというのは、実に不思議な話だ、といわなければなりません。その騒動の一番先に出てくるのは、宇都宮釣天井というもので、講談にもなれば、芝居にもなっております。

……「宇都宮釣天井」 冒頭

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