「シャム双子殺人事件」

エラリー・クイーン/石川年訳

ドットブック 237KB/テキストファイル 206KB

600円

休暇旅行の途中、クイーン父子は山火事に巻き込まれ、怪しげな山荘にたどりつく。そこには、世をしのんで奇形の研究に没頭する有名な外科医が住んでいた。外科医は何者かによって殺害され、かわいらしいシャム双子と、その母親とが残される。…火の手の迫る切迫した状況のもと、クイーン父子は初めて、検死官も刑事も指紋係もいないなかで、事件の解決に奔走する。山火事が迫るラストは、とくに圧倒的な緊迫感にあふれた物語となっている。

エラリー・クイーン
エラリー・クイーンは、従兄どうしのアメリカ人作家フレデリック・ダネイ(1905〜82)とマンフレッド・B・リー(1905〜71)の共同のペンネーム。二人は同年、ブルックリンに生まれ、典型的なニューヨーカーだった。1929年、クイーン警視の息子エラリー・クイーンが登場する『ローマ劇場毒殺事件』でデビュー、その後『ギリシア棺謀殺事件』『エジプト十字架事件』『フランスデパート殺人事件』などの「国名シリーズ」、『X』『Y』『Z』『最後の悲劇』からなる4部作の「悲劇シリーズ」など、最高の傑作を生み、アメリカ・ミステリー界を代表する作家となった。のちには「エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン」(EQMM)を創刊し、編集者・アンソロジストとしても活躍した。

立ち読みフロア


 道は粗《あら》びきの石の粉を巨大なオーヴンで焼き上げたようにでこぼこし、蛇《へび》のようにくねくねとうねり、山の横腹をぐるぐると巻いては、伸びていた。そして、やがて元気いっぱいに登りになった。路面は、太陽にいりつけられて、その一部が酵母《イースト》ででもあるかのように、ふくれ上がって、一気に五十ヤードほど、とうもろこしパンのように茶色に盛り上がっているかと思うと、次の五十ヤードは、まったく理由《わけ》もなくくぼんで、タイヤ泣かせのわだちをなしていた。偶然、こんな悪路に迷いこんだ不運なドライバーの命を縮み上がらせるかのように、道はねじれ、曲り、くぼみ、くねり、上《のぼ》り、下《くだ》り、広まり、せばまり、実に、見るからに驚異だった。
 しかも、汗まみれで這い上がる人間の肉にとっついたら最後、がっちり噛みついてやろうと待ちかまえているイナゴのようなざらざらな砂ぼこりを、まき上げるのだった。
 痛む目に、ほこりだらけなサングラスをかけ、リネンの帽子を目深かに引き下げ、リネンの上着のしわ《ヽヽ》というしわ《ヽヽ》に三つの郡の砂ぼこりをひっかぶり、むき出しになっている肌が汗ばみ、びりびりと日やけしているので、全くそれと、見分けもつかないようなエラリー・クイーン氏は、がたびしの愛車デューゼンバーグのハンドルにのしかかって、かなり死にもの狂いの思いでハンドルと格闘していた。そして、『谷』の入口といわれている四十マイル下のタッケサスから今の場所にたどりつくまでの、道とは名ばかりの悪い道の曲り角ごとに呪《のろ》いの言葉を浴びせて来たので、もう、言葉も種ぎれになっていた。
「お前のせいだぞ」と、父親はぐちっぽく「畜生、お前は山の中は涼しかろうと思ったんだろう! わしは、だれかに、からだじゅうを紙やすりで、こすられとるようだぞ」
 灰色の絹のスカーフを、埃よけのために目まで覆っている小柄な老アラビア人のようなクイーン警視は、凸凹の道路のままに、五十ヤードごとに跳ね上げられて、文句たらたらぶつぶつと小言を言うのだった。エラリーのわきの座席で、身をねじり、うめきながら、警視は、後ろにくくりつけてある荷物の山越しに通って来た凸凹道を、恨めしそうにふりかえった。そして、ぐったりともとの姿勢にもどった。
「谷の本道を行けと言ったじゃないか」と、警視は吹きつける暑苦しい空気に向かって人差指を振りまわした。「エル、だから、わしの言う通りにしろと言ったんだ――こんな、ろくでなしの山の中じゃ、どんな変てこな道に迷い込むかも分からんと、言ったのにな。言うことをきかんからだ。いやおうなしに冒険をしなければならんことになったじゃないか、そろそろ日暮れだというのに、まるで盲めっぽうのコロンブスのようにな」と、警視はぼやきやめて、影の深まる夕空を眺めながら「がんこだからな、おふくろそっくりだぞ――魂よ、安かれ」と、あわてて言い足した。警視は、根は信心深い老紳士なのだ。「さぞ満足なこったろうよ」
 エラリーは、ため息をつき、行手《ゆくて》にのびるジグザグの道から目をはなして、ちらりと空を見上げた。見上げる空は、きわめて静かに、しかもすばやく、茜《あかね》色に深まり――人々の胸に詩を呼びおこすようだった。だが、となりで疲れて、暑がって、腹を空かせて、返答もできないような屁理屈《へりくつ》をぶつぶつならべている親父だけは別だなと、エラリーは思った。
 谷に沿う麓の道から見たときには気持がよさそうだった、みどりの深い林は涼しそうだったが――全く期待はずれだったと、エラリーは、しょんぼりした。
 デューゼンバーグは、ますます憂鬱さのます中を突進して行った。
「そればかりじゃない」と、警視が、埃よけのスカーフの覆面《ふくめん》ごしに、行く手の道を、じりじりした目でねめまわしながら「休暇のどん尻というところでひどい目にあったもんだ。災難だ、まったくの災難だ。すっかり気分をこわされて――さんざんだぞ。くそいまいましいこった、エル、何から何まで気にくわんぞ。食欲がてんでなくなっちまうぞ」
「僕はちがいますね」と、エラリーが、もう一度、ため息をついて「腹ぺこで、今なら、グッドイヤー・タイヤに、フレンチ・フライにしたガスケット〔パッキング〕を添えて、ガソリン・ソースをかけてでも食べられますよ。ところで、いったい、どこなんだろうな、この辺は?」
「テピーズだろ。合衆国のどこかさ。わしに分かるのはそれだけだ」
「すてきだな。テピーズ。まさに詩的な言葉ですね。たき火の上の鹿の丸焼きを思い出させますよ……たのむぞデュージイ〔デューゼンバーグの愛称〕おや、ありゃ野菊《デイジイ》じゃありませんか」
 警視は、はね上げられて頭をふっとばされそうになっている時だったので、目をむいた。野菊《デイジイ》なんて、のんきなものを考えているひまなど、てんでなかったのだ。
「まあまあお父さん、こんなちょっとしたことなんか気にしないがいいですよ。自動車旅行には、えてしてありがちなもんです。モントリオールのスカッチ・ウィスキーを持って来なかったのが、まずかったですね、お父さん、のみ助のアイルランド人としては。……おや、あれ何んだろう、見えますか」
 車は、無数にある、思いがけぬ曲り角をまわって、台地に出ていた。エラリーはしんから驚いて車を停めた。数百フィート下の左手に横たわるトマホーク渓谷は、空にそそり立つみどりの木々のはざまから、すばやく下りて来る茜《あかね》色のマントに、とっぷりとくるまっていた。そのマントの下には、何か巨大な暖くてくにゃくにゃした生きものが、うごめいているようだった。灰色がかった條虫《さなだむし》のような道が、はるか下までくねくねとつづき、その半《なか》ばは、すでに茜色のマントにくるまれていた。見渡すかぎり、灯かげも家も、人気《ひとけ》も、てんでなかった。今や、見上げる空も暮れなずんで、谷の向こうのはるかな峰の後ろに沈む日が瓜《うり》のひとかけらのように光っていた。道の突端は十フィートほど先にあり、そこから急傾斜で、谷底のみどり色の敷布に向かってなだれ込んでいた。
 エラリーが振り返ってみると、アロー・マウンテンが頭上に大きくそそり立って、松や、いじけた樫《かし》や、敷きつめた下草《したくさ》で織りなした濃いエメラルドの壁懸《かべか》けのようだった。そのあざやかな木々の葉のたかまりは、頭上数マイルもそびえているようだった。
 エラリーは、また、デューゼンバーグを走らせた。「苦労したかいがあったというものですね」と、くすくす笑いながら「もう、気分がよくなったでしょう。さっぱりしなさいよ、警視さん。こりゃ大したもんですよ――純粋《なま》の自然という奴《やつ》は――」
「生々しすぎてかなわんな」
 たちまち夜の闇が、ふたりを押し包んだので、エラリーはヘッドライトをつけた。ふたりは黙って車をとばしていた。エラリーは夢見心地で、警視は腹立たしそうに、ふたりとも行く手を見つめていた。行く手の道につき刺さるような光線の中を妙な薄煙がただよい始めて、迷い霧のように、たなびき、うずまいた。
「こんなことになるだろうと思っとったぞ」と、警視が薄闇の中でまばたきながら文句を言った。「そろそろ下りにかかったのかな。それとも、そんな気がするだけかな」
「かなり下っていますよ」と、エラリーが小声で「少し暑くなったじゃありませんか。あの太っちょの田舎者は――タッケサスのガレージの男は――ひどい訛《なま》りで、オッスケワまでどのくらいあると言ってましたかね」
「五十マイルだ。タッケサスをオッスケワと言うんだからな。畜生、この地方ときたら、まったくうんざりさせるな」
「殺風景だと言うんでしょう」と、エラリーはにやりとして「古代インディアンの語原の美しさが分からないんですか。それが、皮肉なもんでしてね。わが同胞は海外旅行をして、『外国』の地名について、ひどくこぼしてますがね――ルヴーフ、プラーグ(今じゃ、なんだってプラハなんて味けない呼び方をするんですかね)、ブレシァ、ヴァルデペニヤス、それに、古きよき時代のイギリスのなごり、ヘーリイッチ、レスタシャーなんてのを。しかもこれがみんな一音節の言葉なんで――」
「ふふん」と、警視は変な調子で言い、また目をしばたいた。
「――これをわが国の土語のアーカンソー、ウィンネバゴ、ショーラリ、オッセゴ、スー・シティー、サスクィヘナ等々とくらべてごらんなさい。故事来歴ずばりじゃありませんか。いいですか、それらの土地を、顔に紅殻を塗りたくったレッド・インディアンどもが、山を越え、谷を渡って徘徊《はいかい》していたんですよ。しかも馬に打ちまたがって、われわれの頭の皮をはぎに殺到したんですよ。皮靴《モカジン》をはき、鹿のなめし皮を着、髪を辮髪《べんぱつ》にし七面鳥の羽かざりをつけたインディアンどもがね。合図ののろしの煙を――」
「ふふん」と、警視はもう一度言って、急にきっと身がまえた。「すぐ近くだぞ、奴らは、まだ煙を上げとるらしい」
「えっ?」
「煙だぞ、煙だ、エル。見ろ」と、警視は立ち上がって行く手を指さし「そこだ」と、大声で「まん前だ」
「ばかな」と、エラリーがとがった声で「こんな所に、煙が上がるなんて、いったいどうしたのかな。たぶん夕方の霧のせいでしょう。こんな山は、時々妙ないたずらをするもんですよ」
「こりゃただごとじゃないぞ」と、クイーン警視は生《き》まじめに言った。埃まみれのスカーフがいつのまにかひざの上にずり落ちていた。鋭い小さな目は、もはや、疲れてぼんやりした色ではなかった。首をのばして、かなり長い間、振り向いていた。
 エラリーは眉をしかめて、防風ガラスの鏡をちらりと見てから、すぐにまた行く手に目をやった。道は谷に向かって急な下りになり、下がるにしたがって妙な霧は深まっていた。
「どうしたんです、お父さん」と、低い声で言った。小鼻がふるえていた。妙に気に入らない刺激的な匂いが、空気の中に、かすかにただよっていた。
「どうも」と、警視が腰を下ろしながら「どうも、急いだ方がいいようだぞ、エル」
「すると――?」と、エラリーが弱々しい声で言い、ごくりと唾《つば》をのんだ。
「たしかにそうらしいな」
「山火事?」
「山火事だぞ。匂いがするじゃないか」
 エラリーの右足がアクセルを踏みしめた。デューゼンバーグが前へとび出した。警視は、不平もどこへやら、座席のそばの、車のへりに身を乗り出して、強力なサイドランプのスイッチをひねった。さっとばかりに、その光が、山の斜面をひとなでした。
 エラリーは唇をかみしめ、どちらも口をきかなかった。

……巻頭より


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