「シルクロード」

スウェン・ヘディン/長尾宏也訳

ドットブック版 433KB/テキストファイル 183KB

500円

ヘディンは1933年、南京中央政府から西域の新疆(シンキアン)と中国本土のあいだに、2本の自動車道路を設計するための予備調査を委託される。このときの探検旅行の報告書は、戦争と政治、交通機関、進行しつつある地理および水路の変化の3つの観点からまとめられた。『馬仲英(マチュンイン)の逃亡』『シルクロード』『さまよえる湖』の三部作がこれで、本書はこの『シルクロード』の全訳である。足かけ3年にわたったこのヘディンの第五次アジア内陸探検の、北京からハミ、アンシー(安西)を経て、シーアン(西安)にいたる横断路は、かつてシナ絹を西域欧州方面へ運んだ、あの「シルクロード」と呼ばれた道であった。ヘディン独自の感性が息づく本書は、探検記の古典といってよい。

スウェン・ヘディン(1865〜1952)スウェーデンの探検家・地理学者。ベルリン大学で地理学をリヒトホーフェンに学んだ。1893〜1937年の間に5回にわたって中央アジアの探検を企てた。楼蘭の遺跡の発見、トランス・ヒマラヤ山脈の発見などともに、ロプ湖の周期的移動を確認する地理学上の画期的な業績をのこした。「中央アジア探検記」「シルクロード」「さまよえる湖」はヘディンの探検記を代表する3部作となっている。

立ち読みフロア
 一九三三年十月二十一日、朝のうち、私たちは、フンメル博士といっしょに、シーチーメン(西直門)に通じる黄葉した並木道をぬって車を駆った。停車場には、自動車探検隊の面々を見おくるために、おおぜいの友人、知人がつめかけてきていた。リンフー(林福)教授、シューピンチャン(徐炳昶)、パウル・スティーヴンソン、ボシャード、タイムズ紙特派員のマクドナルドその他であった。列車が北西に向かって動き出すと、これら見おくりの人々のなかには、これがこの世での最後の別れになると思ったものもいるにちがいない。
 北京市の城壁は、そこにそびえている壮麗な堂宇とともに、まもなく見えなくなっていった。列車は、灰色にくすんだ、落莫《らくばく》たる荒野を走り、南口路を越え、ゆるやかに波打つ丘陵は丘陵につづき、蜿蜒《えんえん》とのたくりつらなる万里の長城のそば近くを走り、その日の夕方、カルガン(張家口)で片時停車して、ふたたび走りつづけていった。夜がふけるとともに車室は冷えてきて、ベッドには毛布を敷くという始末であった。
 あくる朝、それは六時ごろであったろうか、母国語で話している大声に目をさましてみると、一人の青年が飛びこんできて、若やいだ大きな声で、万歳を叫んでいるのであった。そのそばには、すこし年取った婦人が熱いコーヒーを煎《い》れてもってきていた。この若々しい目の碧《あお》い青年はカール・エフレーム・ヒル君、この地の伝道師の息子であった。彼は、アメリカ人の技師から自動車修理工の一等免許証をもらっていたが、惜しくもわれわれの遠征隊に加わることはできなかった。婦人は私の見知りごしの人、一八九七年の探検の途上、ニンシヤ(寧夏)で会ったことがある。列車が動きだしたので、青年はデッキから飛びおり、ホームを走りながら、故郷の歌――汝がふるき、自由なる、さちゆたかに恵まれたる北の国よ――をうたってくれた。何時間すぎたであろうか。気がつくと、行くて南西に当たって帰化(クェイファ)の城壁とそこにそびえる堂塔が波濤のかなたに見えてきた。
 列車が帰化につくと、色とりどりの服装をした一団の人々が、がやがやしゃべりながらやってくる。
 それらの群衆のなかに、ひときわ体躯堂々たるゲオルク・ゼーダーボムがいるのが見てとれた。つづいてフンメルが走ってくる。ゲオルクは、小声でなにかいったようだったが、フンメルはいきなりびっくりした表情で、叫ぶように「なんだって? 彼が死んだって……」
 それを聞いて、私は強いショックをうけた。それというのも、ベクセルとベーケンカンプとは、いまなお荒野のほうにあって、われわれはもうながいこと、彼らからなんのたよりも受け取っていなかった。ゲオルクは、きっとこれらの行方不明になっている連中の運命について、なにか近況を手にしたにちがいない。あるいは彼らが不慮の襲撃をうけたということも考えられ、その一人はすでに虐殺されたとか、一人は匪賊《ひぞく》の手によってさらわれたとでもいうのであろうか。砂漠のどこかで、そうした惨劇がくりひろげられたということも、なきにしもあらずである。いまや大探検旅行の門出に当たって、しょっぱなから、流血の惨状を呈するなんて、とんでもない。私は、ゲオルクを呼んで、
「いったい、どうしたというんだ?」と、せきこんで聞いた。
「私は、恐ろしい出来事を、お知らせしなければなりません」
(ベクセルのことだ……)
 私は、またしてもそう思った。しかし、ああ神よ! そうではなかった。その災難というのは、科学探検隊員に関するものではなかった。とはいえ、結局、われわれの新しい企画につながることには、変わりがなかった。


……「
二 悲しみの第一歩」より

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