「皇帝の嗅ぎ煙草入れ」

ジョン・ディクスン・カー/宇野利康訳

ドットブック版 218KB/テキストファイル 174KB

500円

カーこそは謎解きの妙味を骨の髄まで心得ている作家である。謎はとうてい解決不可能だと読者に信じこませれば、それだけあざやかに解決したときの感銘は深い。それを十分承知しているからこそ、彼は思いきり大胆な謎を提出するのである。「皇帝の嗅ぎ煙草入れ」について江戸川乱歩は、物理的に絶対なし得ないような不可能を、不思議な技巧によってなしとげているといい、カーが処女作以来十二年を経ても、トリック小説に旺盛な意欲を持ち続けていたことを激賞した。 (中島河太郎)

ジョン・ディクスン・カー(1906〜77)
米国生まれだが英国に長く住み、一九三十年代に「密室トリック」ものの第一人者となり、その後は怪奇性を強調した作風の多数の作品を残した。代表作「火刑法廷」「黒死荘殺人事件」「三つの棺」など。

立ち読みフロア
 イーヴ・ニールとネッド・アトウッドの離婚訴訟は、問題となるほどの争点もないままに終結した。提訴の理由は、夫ネッドがある有名な女流テニス選手と不貞を犯したことにあったが、それすら、イーヴが心配したほどのスキャンダルにならずにすんだ。
 その理由の一つは、二人の結婚がパリのジョルジュ五世街にあるアメリカ教会で行なわれたことから、パリで離婚手続きをとるだけで、イギリスでも法的に有効と認められたところにある。もちろんイギリスの新聞にも報道されたが、それも一行か二行の記事で終った。イーヴとネッドは、その結婚生活のあいだ、ラ・バンドレットの町で暮らしていた。ラ・バンドレットとは《細紐(ほそひも)》の意味で、イギリス海峡に面して銀色の砂浜が細紐のようにつづき、おそらく、平和だった、よき時代のフランスでは、社交人士のもっとも集まる海水浴場であった。したがって、ロンドンの社交界とも多少のつながりはあって、そこかしこで話題の種となったことはいなめないが、とにかくこの事件は、片づいたように思われていた。
 しかし、イーヴにとって、離婚訴訟を提起する仕儀(しぎ)に立ちいたったのは、その被告となるよりも、自尊心の傷つく問題であった。
 そのような考え方が病的であるのはいうまでもない。だがこれも、離婚問題で神経を磨(す)り減らしたことの結果で、元来は楽天的な性格の彼女が、ヒステリー患者になりかねない状態であったのだ。そして、それからの彼女は、彼女の不幸な美貌に対する世間の判決と闘わなければならなかった。
 一人の女がいった。「ネッド・アトウッドみたいな男と結婚したら、この程度の女出入りは覚悟していていいのじゃなくて?」
 もう一人の女が答えた。「さあ、どうかしら? 片方ばかり責めるのはどうかと思うわ。彼女の写真をごらんになって? ネッドに負けないことをしているみたいよ!」
 当時のイーヴは二十八だった。十九の齢(とし)に父親が死亡して、ランカシャーにあるいくつかの紡績工場その他の資産と、その父親の娘である大きな誇りを相続した。二十五のとき、ネッド・アトウッドと結婚したのだが、その理由は、(a)ネッドが美貌であったこと、(b)彼女が身内もなくて、孤独をかこっていたこと、(c)彼がまったく真剣に、この申し込みを拒絶されたら自殺するとおどかしたことにあった。
 お人好しというにちかい善良な性格で、他人を疑うことを知らぬ彼女であったのに、世間からは、つねに男性に泣きをみせる冷酷非情な美人と見られていた。ほっそりとした、からだつきだが、見かけよりは長身で、妖女キルケーを思わせるものがあった。頭髪は明かるい栗色。ゆたかで長いその髪を、エドワード朝スタイルに似た結い方に結っていた。血色のいい白い肌、グレイの目に半ば、ほほえんだ口もとが、妖女めいた印象をさらに強めていた。とくにフランス人はその効果を意識するとみえて、彼女の離婚訴訟を扱った判事でさえ、これは現代に出現した魔女でないかと、ちらっとではあるが、考えたくらいだった。

……巻頭より


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