「あるスパイの墓碑銘」

エリック・アンブラー/田村隆一訳

ドットブック版 202KB/テキストファイル 194KB

500円

第二次世界大戦直前の緊迫した情勢をバックにした、巨匠の記念碑的作品。南仏のホテルに滞在する語学教師が、とつぜん身におぼえのないスパイの嫌疑をかけられる。持参のカメラに、いつのまにかツーロン軍港を撮影した写真がおさめられていたのである。みずから真犯人をつきとめなければ、彼には国外追放が待っている…

エリック・アンブラー(1909〜98) ロンドン生まれ。コピーライターをしながら脚本や小説に手を染め、1936年に長編「暗い国境」でデビュー。アクション満載のスパイ小説ではなく、登場人物の心理を重視するスリルとサスペンス感のある現代のスパイ小説を完成させた。代表作は本書のほか、「ディミトリオスの棺」「武器の道」など。

立ち読みフロア
 わたしが、ニースからサン・ガシヤンにたどりついたのは、八月十四日、火曜日。そこで、一人の警官と一人の私服の警部に逮捕され、警察署へ連行されたのは、八月十六日、木曜日、午前十時四十五分のことである。
 ツーロンからラ・シオタへ向かう途中の数キロメートルでは、線路が海沿いに走っている。このあたりには、たくさんの短いトンネルがあり、汽車がトンネルを縫(ぬ)って疾走して行くと、眼下では、めくるめくほど青い海や赤い岩、それに松林のあいだの白い家々などが一瞬のうちにとび去って行く。まるで短気な係員が捜査しているカラースライドの映写を見ているようなものだ。眼は細かいところまで見ている暇がない。もしあなたがサン・ガシヤンを知っていて、景色をじっくり見たいと思っても、見えるものといったら、レゼルヴ・ホテルの薄黄色の漆喰(しっくい)壁と鮮紅色の屋根ぐらいのもの。
 ホテルは岬(みさき)のいちばん高い所にあり、建物の南側一面にはテラスが張りだしていた。テラスのむこうは、十五メートルほどの垂直な崖(がけ)である。下からのびてきた松の枝は、欄干(らんかん)の柱に達している。もっとも、さらにそのかなたでは、地面がふたたび高くなっていた。乾いた緑の潅木帯には、赤い岩の裂け目が見える。海の強烈な青さに対しては、風に吹きさらされた数本の御柳(タマリスク)が、そのたわんだ枝を黒々と波打たせている。ときどき、下の岩からは、白い水けむりがあがった。
 サン・ガシヤン村は、ホテルが建っている小さな岬の風下にひろがっている。家々の壁は、大方の地中海沿岸の漁村で見られるように、白っぽい卵殻色のブルーか、バラのようなピンクで塗られていた。岩の多い高台からのびている、松におおわれたスロープは、湾の反対側の浜辺にむすばれ、ときおり、北西から強烈に吹いてくる南仏特有のミストラルから、この小さな港を守っていた。人口七百四十三。そのほとんどが漁業で生計をたてている。コーヒー店二軒、酒場三軒、店舗七軒それに湾をかなりまわった所に警察署がある。
 しかし、あの朝、わたしが坐っていたテラスの端からは、村も警察署も見えなかった。もう暑くなっていて、ホテルの横のテラスをしつらえた庭では、蝉(せみ)が単調にないていた。頭を少し動かすと、欄干越しに、ホテル用の海水浴場が見えた。華やかな色の大きなビーチ・パラソルが二本、砂浜に立っている。一本のパラソルから男と女の脚が二組、突きだされている。若い人たちの脚らしく、よく日焼けしていた。ここからは見えない海岸の日蔭のあたりにも、ほかの宿泊客たちがいるらしく、話し声がかすかにきこえてくる。頭と肩を日光から守る大きな麦わら帽子をかぶった番人は、台へあおむけにのせたボートの舷側に、ペンキで一筋の青線を塗っていた。湾のかなたから、岬をまわり、一隻のモーターボートが海岸目指してやってくる。ボートが近づくにつれ、舵柄によりかかっているホテルの支配人ケッヘのやせた姿がはっきりしてきた。ボートの中のもう一人は、村の漁師である。二人は明け方から海に出ていたにちがいない。きっと昼食には、獲物のヒメジがつくさ。湾の外には、マルセイユからヴィルフランシュへ向かうネーデルランド・ロイド会社の商船が走っている。なにもかも心地良く、平和を絵に描いたようなものだ。
 そうだ、明日の晩、スーツ・ケースの荷造りをし、土曜の朝早くにバスでツーロンへ出て、パリ行きの汽車に乗らなければ、とわたしは考えていた。汽車は日中の暑いときにアルルの傍を通るだろうから、わたしのからだは三等のコンパートメントのコチコチの革椅子にひっついてしまうだろう。それに、そこいら辺は、埃(ほこり)と煤(すす)でいっぱいなはずだ。ディジョンにつくころには、さだめしクタクタになって、のどがカラカラさ。水を一びん忘れるなよ、そうだ、少し葡萄酒をまぜとくか。パリについたらさぞかしホッとするだろうが、そう思うのも束(つか)の間(ま)。ガール・ド・リヨン駅から地下鉄の駅まで歩かなくちゃならない。そうなると、スーツ・ケースが重いぞ。ヌーイ行きでコンコルドまで。乗り換え。メーリ・ディシー行きでガール・モンパルナスまで。乗り換え。ポルト・ドルレアン行きでアレジアまで。下車。モンルージュ。シャティヨン通り。オテル・ド・ボルドー。そして、月曜日の朝はカフェ・ド・ロリヤンのカウンターで朝食を立ち食いして、ふたたび地下鉄でのご出勤となる。ダンフェール・ロシュローからエトワールへ、最後にマルソー街までテクテク歩く。マチス氏はもうきているはずだ。「おはよう、ヴァダシー君! たいへんお元気そうですな。今学期はあなたに初級英語と高等ドイツ語、それに初級イタリア語を受け持ってもらいましょう。高等英語はわたしがやります。新しい生徒は十二人で、実業家三人と給仕九人。みなさん英語をとられます。ハンガリー語の希望者はありません」これで、また一年、過ごすわけだ。
 しかし、目下のところは、松林と海と赤い岩と砂があるだけ。わたしは気もはればれと、のびをした。と、そのとき、一匹のトカゲがテラスのタイル張りの床をす早く横切った。トカゲは、わたしの椅子が投げかける影を抜け、急にパタッと止まって日光の中でぬくもっている。のどがピクピク脈打っているのが見える。しっぽがきれいな半円を描き、タイルを斜めに分ける切線となっている。トカゲという代物(しろもの)は、デザインなんかに不思議なセンスを持っているな。
 と、わたしに写真のことを思いださせたのは、このトカゲであった。
 この世でわたしの貴重品といったら、たった二つだけ。一つは、カメラ。もう一つは、デアク(ハンガリーの中道派の政治家。一八〇三―七六)からフォン・ボイスト(オーストリアの政治家。外交官。一八〇九―八六)にあてた一八六七年二月十日づけの手紙である。もしだれかが、この手紙を金とかえようといってくれたら、わたしはありがたくその申し出を受けるだろう。だが、カメラにはすごく愛着があるから、飢えでもしないかぎり、手放すわけにはいかない。べつにわたしはとくに腕のいい写真家ではないが、まんざら捨てたものじゃないぞと己惚(うぬぼ)れられるだけでも、ずいぶん楽しみなものである。
 わたしは、このレゼルヴ・ホテルでも写真をとっている。前の日にも、写し終わったフィルムを一本、村の薬屋へ現像にだした。普通だったら現像を他人に任せるなど思いもよらない。アマチュア写真の楽しみの半ばは、自分の暗室で、いろいろ仕事するところにあるのだ。ところが、わたしはこのところ写し方の実験をしていて、サン・ガシヤンを発つ前にその結果がわからないと、せっかくの実験を利用する機会に恵まれそうもなかった。そこで、フィルムを薬屋においてきたのである。十一時までには、現像も終わり、乾きあがっているはずだ。

……冒頭より

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