「スタイルズ荘の怪事件」

アガサ・クリスティ/能島武文訳

ドットブック版 199KB/テキストファイル 160KB

500円

イギリス中の興味と関心をあつめたスタイルズ荘の事件は、ヘイスティングズ大尉が友人の別荘に招かれたときに起こった。再婚して間もない友人の義母エミリーが毒殺されたのである。嫌疑は一族のみんなにかかる。ベルギーから英国に亡命しエミリーに住まいを世話された元探偵ポアロは、恩義も感じて事件解決に乗り出す。…不滅の探偵を生み出した「ミステリの女王」の新鮮さのあふれる処女作。

アガサ・クリスティ(1890〜1976)「ミステリの女王」の名を冠されたイギリスを代表するミステリ作家。ベルギー生まれの名探偵エルキュール・ポアロの登場する 本作品でデビュー。「ABC殺人事件」「三幕の殺人」「ハーゼルムアの殺人」など、ポアロもののほか、田舎住まいの詮索好きなおばあちゃんミス・マープルが登場するシリーズなど、膨大な作品を残した。

立ち読みフロア



 ひところ、『スタイルズ事件』として評判になったあの事件が、世間にまきおこしたはげしい好奇心も、いまではもう、どうやら下火になってしまったらしい。といっても、この事件にともなって、あまり広く世間に悪評が流布しているので、事件の全貌を書きとめておいてくれるようにと、友人のポアロや、当の一族の人々からも、わたしはたのまれていたのだ。そうすれば、いまだに跡を絶たない無責任な噂《うわさ》を、封じてしまうのにも効果があると、わたしたちは信じているというわけなのだ。
 そこでまず、わたしが、この事件にまきこまれることになったいきさつを、簡単に述べることにしよう。
 わたしは、その時、傷病兵として、前線から後送されていた。そして、ちょっと気の滅入るような陸軍病院で数か月を過ごしたのち、一か月の療養休暇をあたえられたのだ。近い関係の親戚も友だちもなかったので、どうしたものだろうかと心をきめかねていたとき、ジョン・カヴェンディッシュに、ふと行き会ったのだ。もう何年か、ほとんど会ったこともなかったし、じつのところ、とくによく、彼を知っていたというわけではなかった。ひとつには、見たところ、彼は四十五そこそこにしか見えなかったが、わたしよりは十五は年上だったからでもある。もっとも少年時代には、エセックスにある、彼の母親の邸の『スタイルズ荘』に、たびたび、泊めてもらったものだった。
 わたしたちは、長いこと昔のことを語り合ったが、最後に彼は、スタイルズに来て、休暇を過ごすようにと招いてくれた。
「おふくろも、きみにまた会えたらよろこぶだろうし――それに、久しぶりだからね」と、彼はつけ足した。
「お母さんは、お元気なんだろうね?」と、わたしはたずねた。
「ああ、おかげさまで。おふくろが再婚したことは、知ってるだろうね?」
 わたしは、自分の驚きを、ちょっとあからさまに示しすぎたのではないかと、気になった。カヴェンディッシュ夫人という人は、二人の息子をかかえて、やもめ暮らしをしていたジョンの父親と結婚したのだが、わたしがおぼえているそのころの彼女は、中年の美しい女性だった。だが、いまではもう七十になっているはずだ。わたしは、婦人の精力的で、専横な支配者じみた性格のことや、バザーを開いたり、婦人慈善家を気取ったりするのが何より好きな、どこか慈善とか社交とかに身を入れたがる、夫人の気性を思い出した。おそろしく気前のいい婦人で、自分でもかなりの財産を持っていた。
 夫妻の別荘のスタイルズ荘は、結婚早々、カヴェンディッシュ氏が買い入れたものだった。彼は、あらゆる点で夫人の尻に敷かれていたので、臨終にのぞんで、その財産からはいる収入の大部分とともに、この別荘を、彼女の生涯の隠居所として遺《のこ》したのだった。このとりきめは、二人の息子にとっては、明らかに不当なことだった。だが、継母は、いつも二人の息子にとてもやさしかったし、事実、父親が再婚をした時には、ふたりともほんの子どもだったので、二人は、いつも彼女を、ほんとの母親だと思っていたほどだった。
 弟のローレンスは、生まれつきデリケートな若者だった。医者としての資格をとったのだが、さっさとそんな職業はすててしまって、家にひきこもって、文学的野心を追いつづけていた。もっとも、その詩は、まだ一度も成功したことはなかった。
 ジョンのほうは、しばらく弁護士をやっていたが、これも結局、田舎地主として、自分の性分に似合った生活に、身を落ち着けてしまった。彼は、二年前に結婚して、妻を連れて帰って、スタイルズに住まっていた。が、わたしは、自分の家を持てるぐらいに手当を増やしてもらいたいと、母親に申し出ていたのではないだろうかと、そんないたずらっぽい疑いを、ひとりたのしんでいた。だが、カヴェンディッシュ夫人は、自分で計画を立てることの好きな婦人で、他人がみんな、それに従ってくれるものと思いこんでいた。で、こんな場合には、いうまでもなく、彼女の人を制する力こそ、つまりは、財布の紐というわけだった。
 ジョンは、母親の再婚の話を聞いて、わたしが驚いたのを見て、ちょっと悲しそうな微笑を浮かべた。
「まったく、いやらしいみだらな話さ!」と、彼は、荒っぽい口調でいった。「ねえ、ヘイスティングズ、おかげで、われわれも、毎日がおもしろくなくなっているのさ。それに、エヴィにしたところで――きみ、エヴィをおぼえているだろう?」
「いいや」
「ああ、そうか。きみがよく来ていたころより、後だったんだな。おふくろの世話役というかな、なんでも屋というやつさ。よろず屋だよ! 大したもんさ――エヴィ婆さんというのは! まさに若くもなけりゃ、美人でもないんだが、これが、なかなかのしたたかものなんだな」
「それで、いま、いいかけていたのは――?」
「ああ、あの野郎のことだったな! 奴はどこからともなくあらわれて、エヴィのまたいとこ《ヽヽヽヽヽ》だとかなんだとかいうんだが、そのくせエヴィのほうじゃ、親戚関係を認めるほど、特別に親しそうなようすもないんだ。奴がまったくの赤の他人だってことは、だれにだってわかるさ。大きな、黒いあごひげをはやしていて、降っても照っても、エナメル革の長靴をはいてるんだ! ところが、問題は、おふくろがすぐに、そいつが気に入って、秘書にしたことなんだ――ねえ、きみ、おふくろが、しょっちゅう、いろんな会にかかりあって忙しい目をしていることは、きみも知ってるだろう?」
 わたしは、うなずいた。
「それが、もちろん、戦争のおかげで、その会というやつが、以前の十倍にもなったんだ。その男が、おふくろにとって重宝だったにはちがいないさ。ところが、三か月前に、おふくろが、突然、そのアルフレッドと婚約したと発表した時のわれわれときたら、きみが、一本の羽根でちょいとさわっても、ぶっ倒れてしまっただろうね! だって、そいつときたら、どう見たって、おふくろより二十は年下にちがいないだろうからね! まったく、見えすいた、恥知らずの財産目当てさ。だが、ね、そうだろう――おふくろは、人のいうことなんか聞く人間じゃないし、それに、そいつと結婚しちまったんだからね」
「じゃあきみたちみんなにとっちゃ、きっと厄介なことになるわけだね」
「厄介どころか! 万事おしまいさ!」
 そういうわけで、三日後に、緑の野っ原と田舎道のまん中に、あってもなくてもいいようにぽつんと置いたような、ばからしいほど小さなスタイルズ・セント・メアリー駅で、わたしは汽車を降りた。ジョン・カヴェンディッシュは、プラットフォームに待っていて、わたしを車のところへ案内して行った。
「それでも、まだ、ガソリンの一滴や二滴は手にはいるよ、ねえ」と、彼はいいながら、「それが、ほとんど、おふくろの働きのおかげときているんだ」
 スタイルズ・セント・メアリーという村は、その小さな駅から二マイルほどのところに位置していて、スタイルズ荘は、その村からさらに一マイルほど離れたところにあった。七月の初めの、静かな、暑い日だった。午後の陽ざしの下に、緑したたるばかり平和に横たわっている平坦なエセックスの田園を眺めると、さほど遠くはなれていないところで、大戦争が決定的な段階に進みつつあるということが、ほとんど信じられないほどだった。わたしは、突然、自分が別の世界に迷いこんだような気がした。車が、番小屋の門の方へ曲がりこんだとき、ジョンがいった。
「ここは、きみには静かすぎるんじゃないだろうかね、ヘイスティングズ」
「いやあ、きみ、それこそ、ぼくが望んでいたところですよ」
「ああ、まあ、きみがぶらぶら過ごしたいと思うんなら、おあつらえ向きだね。ぼくは一週に二回、勤労奉仕の人たちの訓練を受け持っているのと、農園の手助けだ。ぼくのワイフは、きちんと『百姓仕事』をしているよ。毎朝、五時には起きて、乳しぼりにかかると、昼飯の時間までずうっとつづけるんだ。まったく、何もかもすてきな楽しい生活さ――ただ、あのアルフレッド・イングルソープの野郎さえいなけりゃね!」そういったと思うと、急に車をとめて、ちらっと腕時計を見て、「シンシアを迎えに行ってやれるといいんだがな。いいや、もういまごろは、病院を出かけてしまったろうな」
「シンシアって! 奥さんじゃないんですね?」
「そう、シンシアというのは、おふくろが後見人になっている娘なんだ。彼女の母親というのは、おふくろの昔の学校の友だちなんだが、たちのよくない弁護士と結婚しただけならいいが、その男が大しくじりをやらかしてね、娘は、一文なしの、みなし児として取り残されたんで、おふくろが救いの手をさしのべたというわけさ。それで、シンシアは、もうかれこれ二年、ぼくたちのところにいっしょにいるんだ。いまは、七マイルばかり離れた、タドミンスターの赤十字病院で働いているのさ」
 彼がそういいおわった時、車は、立派な古めかしい邸の前にとまった。でっぷりした、ツイードのスカートをつけた婦人が、花壇にかがみこんでいたが、わたしたちの近づくのを見て、身をおこした。
「やあ、エヴィ、これがわれわれの傷つける勇士だ! ヘイスティングズ君――こちらは、ミス・ハワード」
 ミス・ハワードは、心のこもった、痛いほどの力で、わたしの手を握った。その陽に焼けた顔の、深い青い目の色が印象的だった。彼女は、四十ぐらいの快活そうなようすの婦人で、太い声には、ほとんど男性的と感じられるほどの力強い調子があり、大柄の、きびきびした体つきに、脚もその体つきにふさわしく――その脚の先は、見事な厚い長靴の中におさまっていた。彼女の話し方は、わたしはすぐに気がついたが、電報式にいい表わされるのだった。
「雑草が火事のように燃えひろがります。綺麗にしておくのは、ことです。手伝わせるかもしれませんからね。用心なさいね!」
「いやもう、お役に立てば何よりです」と、わたしはこたえた。
「そんなこと、いいっこなし。けっしてできっこないんですから。後で、後悔しないでね」
「皮肉だね、エヴィ」と、大きな声を立てて笑いながら、ジョンがいった。「きょうは、お茶はどこ――中でかい、表でかい?」
「外で。こんなすてきな日に、とじこもってなんかいられません」
「じゃ、来たまえ。もうきょうは、庭いじりは、それでたくさんだろう。『働く者は、自分にふさわしいだけ働け』さ。さ、来て、休みなさい」
「そうね」と、ミス・ハワードは、庭仕事用の手袋をぬぎながら、いった。「おっしゃる通りにしましょうかな」
 彼女は、先に立って、邸の横をまわって、大きな大楓《かえで》の木陰に用意のできた、お茶のテーブルのところへ行った。
 一人の人が、柳の枝でつくった椅子の一つから立ちあがって、二、三歩近づいて、わたしたちを迎えた。
「ぼくのワイフだよ。ヘイスティングズ」と、ジョンがいった。
 メアリー・カヴェンディッシュを見た時の印象を、わたしは、生涯忘れることはないだろう。明るい陽ざしに向かってくっきりと浮かび出た、彼女のすらりとした丈高い姿。彼女の、美しい褐色の瞳の中にだけあらわれたような、眠れる焔《ほのお》とでもいうべきあざやかな感覚。わたしがいままでに会った、どの女性の瞳ともちがった、すばらしい瞳だった。彼女は、激しい力といったものを、落ち着いた態度の中にひそめていたが、それにもかかわらず、優雅な洗練された肉体に宿る、あらあらしい野性の精神といった印象をあたえるのだった――こういうことがみんな、わたしの記憶の中で、いまもなお燃えている。わたしは、それらをけっして忘れることがないだろう。
 彼女は、低い澄んだ声で、二言、三言、歓迎の言葉を述べて、わたしに挨拶した。わたしは、ジョンの招待に応じてよかったと思いながら、柳の枝で編んだ椅子に身をしずめた。カヴェンディッシュ夫人は、わたしにお茶をすすめてくれたが、彼女の物静かな言葉は、すばらしい婦人だというわたしの第一印象を、いっそう高めるばかりだった。理解ある聴き手というものは、いつでも刺激をあたえてくれるもので、わたしは、ユーモラスな態度で、陸軍病院でのいくつかの出来事を話して聞かせ、女主人を大いに喜ばせたろうと得意になっていた。ジョンは、もちろん、好人物ではあったが、才気のある座談家とはいえなかった。
 その時、すぐそばの開けはなったフランス窓から、聞きなれた声が聞こえてきた。
「じゃ、お茶の後で、妃殿下にお手紙を書いてくださるわね、アルフレッド? わたしは、タドミンスター夫人にお手紙を書いて、二日目のことをお願いするわ。それとも、妃殿下からお返事があるまで、待ってましょうか? おことわりがきたら、タドミンスター夫人に初日を開けていただいて、二日目がクロスビー夫人よ。それから、公爵夫人がいらっしゃる――学校の園遊会のことですものね」
 つぶやくような男の声がして、それから、イングルソープ夫人の声が、高く返事した。
「ええ、そうねえ。お茶の後で結構ですとも。あなたは、ほんとうに考え深いわね、アルフレッド」
 フランス窓が、前よりすこし広く開いて、美しい白髪の老婦人が、いくぶん見識張った態度を見せながら、芝生に現われた。その後から現われた一人の男は、おつきという態度をにおわせていた。
 イングルソープ夫人は、あふれ出るような感情をうかべて、わたしに挨拶した。
「まあ、なんてうれしいんでしょう、またお目にかかれるなんて、ヘイスティングズさん、ほんとうに久しぶりですわね。ねえ、アルフレッド、こちらはヘイスティングズさん――こちら、あるじですの」
 わたしは、多少の好奇心をもって、『ねえ、アルフレッド』氏をながめた。彼には、たしかに、やや異国人らしい印象をあたえるものがあった。この男のあごひげ《ヽヽヽヽ》を気にしているジョンの気持ちを、わたしは、無理もないと思った。これまで見たうちでは、一番長く、一番まっ黒なあごひげ《ヽヽヽヽ》だ。金ぶちの鼻眼鏡をかけていて、妙に無神経な風貌をしている。舞台に立てば自然に見えるだろうが、実生活では、変に場違いだという感じが、わたしにはぴんときた。彼の声は、ちょっと深みがあって、うわべだけのものやさしい調子があった。彼は、ごつごつした手を、わたしの手にかさねて、いった。
「ようこそおいでになりました、ヘイスティングズさん」それから、夫人の方を向いて、「かわいい、エミリー、そのクッションは、すこし湿っているんじゃないかね」
 彼が、このうえなしの心づかいを見せて、かわりのクッションを取り替えていると、夫人は、さもいとしげな微笑を、夫に投げていた。ほかのことにはあくまでも分別のある夫人にしては、不思議なほどののぼせ方だ!
 イングルソープ氏が現れたので、気まずさと、かくれた敵意との感じが、一座におおいかぶさったような気がした。中でも、ミス・ハワードは、その気持をかくそうともしなかった。だが、イングルソープ夫人は、そんな異常なものには、まるきり気づいたようすもなかった。昔からおぼえている彼女の饒舌は、この長い年月にも、いささかも衰えずに、彼女は、おもに近く開かれるはずの自分の主催するバザーを問題にして、たてつづけにしゃべりまくるのだった。時々、日付や時間についての質問を、彼女は夫に向けるのだった。彼の注意深く、心をこめた態度は、けっして変わらなかった。そもそもの最初から、わたしは、彼に対して強い、根強い嫌悪感をいだいたが、自分の最初の判断が、いつもかなり鋭いものだと、わたしはうぬぼれているのだ。
 やがて、イングルソープ夫人が向きなおって、イヴリン・ハワードに手紙のことで指示をあたえていると、彼女の夫は、骨を折ったわざとらしい声で、わたしに話しかけた。
「あなたは、職業軍人でいらっしゃるのですか、ヘイスティングズさん?」
「いいえ、戦前は、ロイド保険にいました」
「すると、戦争が終われば、そちらへおもどりになるのですね?」
「たぶんね。もどっても、新しい仕事で出なおしても、同じことですよ」
 メアリー・カヴェンディッシュが、身を乗り出した。
「もしも、あなたの好みにしたがってえらべるとしたら、職業として、ほんとうは何をおえらびになりまして?」
「そうですね。いちがいにはいえませんね」
「こっそり道楽がおありじゃないんですの?」と、彼女はたずねた。「ねえ――何かに心を惹かれていらっしゃることがおありなんでしょう? どんな人だって――なにか、とほうもない夢があるものですわ」
「いったら、お笑いになるでしょう」
 彼女は、にっこり笑いを浮かべた。
「そんなことはありませんわ」
「そうですね、わたしは、探偵になりたいという、ひそかな望みを持ちつづけているんです!」
「まあ、ほんとう――スコットランド・ヤードですの? それとも、シャーロック・ホームズ?」
「そりゃ、むろん、シャーロック・ホームズですよ。ですが、ほんとうのところ、真剣に、わたしは、それにすごく心を惹かれているんです。いつか、ベルギーで一人の男に会ったことがあるんですが、非常に有名な探偵でしてね、すっかり熱中させられてしまったんです。驚くべき小男でしたがね。彼は、口癖のように、立派な探偵の働きというものは、たんなる理論的な方法の問題だといっていました。わたしの組織的な方法は、彼の方法を基礎にして――といっても、もちろん、それよりもずっと進んでしまったんです。彼は、奇妙な小男で、たいへんおしゃれで、だが、すごく頭のよい男でしたよ」
「好きよ、よい探偵小説は、わたしだって」と、ミス・ハワードが口を出した。「うんとばかばかしいことが書いてあるわね、でも。犯人が、最後の章で見つかる。みんな、あきれてものもいえない。ほんとの犯罪なら――すぐに、わかってしまいますよ」
「迷宮入りの事件も、非常にたくさんありますね」と、わたしは反ばくした。
「警察のことじゃなく、事件の渦中の人。家族よ。その人たちの目はくらませません。知ってますもの」
「それでは」と、わたしは、ひどく興を催していった。「たとえば、あなたが犯罪に、そうですね、殺人事件にまきこまれたら、すぐに犯人を指摘できると思っていらっしゃるんですね?」
「むろん、できますとも。裁判官の前では証明できないかもしれません。でも、たしかに自分にはわかるわ。犯人がそばへ寄って来れば、指先にピリッと感じますわ」
「『女』かもしれませんよ」と、わたしはそれとなくいった。
「かもしれませんね。でも、殺人といえば、暴力犯です。ずっと男のほうを、連想させますわね」
「毒殺の場合は違いますわ」という、カヴェンディッシュ夫人の澄んだ声が、わたしを驚かせた。「きのう、バウエルスタイン博士がおっしゃってましたわ。医薬関係の専門家のあいだでも、ごく稀にしか使われない毒薬については、一般に知られていないから、全然疑われない毒殺事件が、おそらく、数えきれないほどあるだろうって」
「まあ、メアリー、なんて気味の悪いお話!」と、イングルソープ夫人が、叫ぶようにいった。

……巻頭より


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