「日はまた昇る」

ヘミングウェー作/高村勝治訳

ドットブック 166KB/テキストファイル 161KB

400円

「ロスト・ジェネレーション(失われた世代)の聖書」とみなされ、独特の「乾いた文体」でヘミングウェーが一躍作家としての名声を確立した処女長編。「武器よさらば」とならぶ生涯の代表作。戦争で性的不能におちいった青年ジェイクはパリ暮らしで知り合った仲間とともにスペインを旅し、釣りを愉しみ闘牛見物に興じるが……虚無のまぼろしはいつまでつづくのか。

アーネスト・ヘミングウェー(1899〜1961)  イリノイ州生まれのアメリカの作家。第一次大戦後、新聞記者としてパリに行き、パウンド、スタインなどとの交流のなかから『日はまた昇る』を完成、一躍「失われた世代」の代表作家となった。独特の簡潔な文体は、文学界のみならず、人々のライフスタイルに大きな影響を与えた。釣と狩猟を愛したことでも知られる。

立ち読みフロア
 ある晩、ぼくたち三人がいっしょに夕食をしたあと、彼に対するこのご婦人の態度に、ぼくははじめて気がついた。ぼくたちはラヴェニューで食事をし、それからカフェ・ドゥ・ヴェルサイユへコーヒーをのみに行った。コーヒーのあとで、フィーンヌ〔甘口のリキュールブランデー〕を何杯か飲んだ。ぼくは帰らなければならないといった。コーンはぼくたち二人で週末の旅行にどこかへ行こうと話していた。彼は町を出て、気持よく歩きたかったのだ。ぼくはストラスブールへ飛行機で行って、サン・トディールか、アルザスのどこかへ歩いて行こうと提案した。「ストラスブールでは町を案内してくれる女の子を知ってるよ」とぼくはいった。
 だれかがテーブルの下でぼくを蹴った。偶然に足があたったのだと思い、ぼくは話しつづけた。「二年もあそこにいるから、町で見るべきものはなんでも知っている。すてきな娘(こ)だぜ」
 テーブルの下でまた蹴られたので、見ると、ロバートの恋人のフランセスが顎(あご)をあげて、顔をこわばらせていた。
「おいっ」とぼくは言った。「ストラスブールじゃなくてもいいぜ。ブリュージュ〔ベルギー北西部の都市〕か、アルデンヌ〔フランスとベルギーの間の山間地帯〕でもいいんだ」
 コーンはほっとした顔をした。ぼくはもう蹴られなかった。おやすみ、と言って外へ出た。コーンは新聞を買いたいから角までいっしょに行こう、と言った。「ねえ君」と彼は話しかけてきた。「なぜストラスブールのあの女のことなんか言いだすんだい? フランセスの顔が見えなかったのか?」
「ううん、見えるわけないじゃあないか? ストラスブールに住んでいるアメリカの女の子を知ってたって、フランセスにどうだっていうんだい?」
「同じことだよ。どんな女だって。ぼくは行けないよ」
「ばかなこと言うな」
「君はフランセスを知らないんだよ。女ってものを知らないんだ。あいつの顔が見えなかったかい?」
「まあ、いいや」とぼくは言った、「サンリス〔パリから東北三十二マイルの町〕に行こう」
「怒るなよ」
「怒っちゃいないよ。サンリスはいいとこだし、グラン・セールに泊って、みんなでハイキングして、帰ってこれるよ」
「よし、そいつはいい」
「じゃあ、あした、テニス・コートで会おう」とぼくは言った。
「おやすみ、ジェイク」と彼は言って、カフェへもどりかけた。
「新聞を忘れてるぜ」とぼくは言った。
「そうか」彼は角の新聞売店にぼくと歩いていった。「怒っちゃいないだろうね、ジェイク!」彼は手に新聞をもってふりむいた。
「いや、怒るもんか」
「じゃあ、テニスで」と彼は言った。ぼくは彼が新聞をかかえてカフェにもどるのをじっと見ていた。ぼくはどちらかといえば彼が好きだったが、どうやら彼女は彼を尻にしいているようだった。

……第一章より

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