「スイート・ホーム殺人事件」

クレイグ・ライス/長谷川修二訳

ドットブック版 273KB/テキストファイル 222KB

600円

女手一つで3人の子どもを育てる忙しい流行推理小説作家のマリアン・カーステアズ。そんなある日、子供達はお隣りの奥さんの射殺事件に遭遇する。もしもママが事件の謎を解いて犯人を見つけたら本も売れるに違いない。…こうして3人組の活躍がはじまる。警察の巡査部長もなんのその、事件の核心へと近づきながら、その一方では独身で孤独なビル・スミス警部とママをくっつけようとさえ画策する。本格推理とユーモアとが渾然となって仕上がったライスの傑作。

クレイグ・ライス(1908〜57) アガサ・クリスティの独創性、ダシール・ハメットのスピード感、ドロシー・セイヤーズのウィットを複合して独特の語り口で結合させたと評される、アメリカを代表する女性作家。笑いのある本格ミステリというユニークな作風は、他の追随をゆるさない。他の代表作に 「大あたり殺人事件」「大はずれ殺人事件」「こびと殺人事件」「幸運な死体」など。

立ち読みフロア
「馬鹿も休み休み言いなよ」アーチー・カーステアズがいいました。「いくら母さんだって、十二ポンドもある七面鳥をなくすはずがないよ」
「あら、はずがあるの!」姉貴のダイナがセセラ笑いました。「前なんか、グランド・ピアノをなくしたんですからね」
 アーチーは嘘ばっかりといわんばかりに笑ったのです。
「本当になくしたのよ」エープリルが口添えしました。「イーストゲート広小路から引越した時よ。母さんがピアノの運送屋に新しい所番地を教えるのを忘れ、運送屋はほかの荷物がみんな出てしまった後で来たもんで、母さんが会社に電話するまで、車をただグルグル走らせていたの。おまけに、母さんは運送会社の名前と所を書いた紙をなくしちゃったんで、電話帳に出ているピアノ運送会社を端から呼び出して、やっと探しあてたのよ」
 話はちょっととぎれました。「母さんは本当はボンヤリではないのよ」やがてダイナがいいました。思いやりのある声でした。「ただ忙しすぎるの」
 カーステアズ家の三人の子供は玄関脇のヴェランダの手すりに腰かけて、おそい午後の陽ざしの下で、日に焼けたむきだしの脚をブラブラさせていました。しっくい塗りの古い大きな母屋の二階から、全速力でうつタイプライターの音がかすかにきこえました。クラーク・キャメロンとか、アンドルー・ソープとか、J・J・レインとかいろいろなペン・ネームを持っているマリアン・カーステアズが、またもや新しい推理小説を書きあげかかっているのです。書きあがれば、次の一日はお休みにして、髪を洗い、子供たちに何か買ってくれるのです。外で豪勢なご馳走をたべさせたり、町で一番の劇場に連れていってもくれます。それから、次の朝、また別の新しい推理小説を書きはじめるのです。
 この順序には幼いカーステアズ三姉弟は馴れきっています。事実、ダイナはアーチーがまだ揺籃(ゆりかご)の中にねていた頃からこうだったのをよくおぼえている、といいます。
 生暖かいものうい午後でした。家の前には、木のよく繁った谷があって、柔らかい靄(もや)が漂っています。木の間には、ところどころに屋根が見えるのですが、ほんのかぞえるくらいです。静かで、近所と離れているからこの家にきめたわけなのです。近くにあるのはただ一軒、ウォレス・サンフォード一家のピンク色のイタリア風の屋敷が、二、三百ヤード離れた所に立っているのですが、両家の間は空地と小さな木立と高い生籬(いけがき)があるのです。
「アーチー」突然エープリルがボンヤリした口調でいいました。「お砂糖箱を見てきてごらん」
 アーチーはものすごく抗議しました。彼女が十二で自分が十(とう)にしかならないというだけで、言われるとおりに走り使いをする必要があるもんか。お砂糖箱を見にいきたいなら自分でいけばいいじゃないか。彼はさんざん文句をいったあげく、こう結びました。「なぜさ」
 エープリルがいいました。「あたしの命令よ」
「アーチー」ダイナが十四歳の権威をしこたまこめて、しっかりといいました。「がんばるのやめなさい」
 アーチーはブスクサいいながら行きました。年にしては小柄で、言うことをきかない髪はトビ色、無邪気にも見え、同時に不敵にも見えるという顔をしています。いつでもすこし汚れているのですが、お風呂から出たての五分間は別なのです。今は、テニス靴の紐が片ッぽほどけ、コールテンのスラックスの膝に小さいカギ裂(ざ)きが出来ています。
 ダイナは十四で、エープリルが軽蔑していう「健全型」です。十四にしては背が高く、均整もとれています。トビ色の髪は柔らかで、豊かに、トビ色の眼はすごく大きく、きれいな顔はいつも笑いか姉さまらしい心配の色で塗られています。冴(さ)えた赤のスカートに、チェックのオーキー型のシャツ、草色のソックスという当世風のスタイルに、汚(よご)れたコンビネーションの靴をはいているのです。
 エープリルは小柄で、実際よりは弱々しくみえる子です。まっすぐな髪は金色で、その眼は――この子も大きな眼なのですが――曇った灰色なのでした。ことによると、大きくなると大変な美人になるかも知れないのですが、うっかりすると、仕事ぎらいな姫さまタイプになりそうなのを、どうやら当人も心得ている様子です。白いシャークスキンのスラックスもシャツもシミ一つなく、赤紐のサンダルをはいて、髪に赤いゼラニュームの花を一輪ピンでつけています。
 アーチーは走る仔馬のような足音をさせて戻ってきました。大声でわめきながら表のドアからとび出し、手すりの上にはねあがりました。「七面鳥を冷蔵庫に入れといたよ」と彼は大きな声でいいました。「お砂糖箱にあるのがどうしてわかったの?」
「単なる推理よ」エープリルがいいました。「今朝、母さんが食料品をしまった後で、新しいお砂糖の袋が冷蔵庫にはいっているのをみつけたからよ」
「頭がいいわね!」ダイナがいいました。彼女は溜息をついたのです。「母さんが再婚するといいわね。うちには男手がいるんだわ」
「母さんは気の毒よ」エープリルがいいました。「お仕事をするばかりなんだから。世の中で独りぽっちなんだわ」
「僕たちがあるじゃないか」アーチーがいいました。
「そんなこといってんじゃないわ」エープリルが高慢ちきな調子でいいました。彼女はボンヤリ谷の上を見渡しました。「母さんが本物の殺人事件を解かないかしら」彼女はいいました。「ウンと宣伝になるでしょう。そうすれば、あんまりたくさんご本を書かなくってもよくなるんだわ」
 アーチーは靴の踵を壁にぶつけながらいいました。「母さんが両方するといいな」
 あとでエープリルのいったことですが、たしかに神さまが聴いていらしたに相違ないのでした。彼らが銃声を耳にしたのがちょうどこの瞬間だったからなのです。
 銃声は二発で、間隔が短く、サンフォード邸の方角からきこえてきました。エープリルはダイナの腕をギュッとつかんで、息をひそめて聴き耳を立てました。「ききなさい!」
「サンフォードさんが鳥を撃ってるのかも知れないわ」ダイナは懐疑的でした。
「まだ帰ってないよ」アーチーがいいました。
 一台の自動車がすごい音で道を走り去ったのですが、灌木の繁みにかくれてカーステアズ三姉弟には姿は見えませんでした。アーチーは手すりから滑りおりて、空地のほうに駆けていこうとしました。ダイナはその襟(えり)がみをつかんで引き戻しました。もう一台、車が通りました。その後はすっかり静まりかえって、二階のタイプライターの音がするばかりです。
「人殺しだ!」エープリルがいいました。「母さんを呼ぼう!」
 三人のカーステアズ家の子供たちは互いに顔を見合わしました。折からタイプライターはことさら、速度を増しました。
「あんた呼んどいで」ダイナがいいました。「自分で思いついたんじゃないの」
 エープリルは頭(かぶり)を振りました。「アーチー、呼びにいっといで」
「いやだい」アーチーの返事は断乎たるものでした。
 とどのつまり、三人そろって、鼠のように足音を忍ばせて、階段をのぼっていきました。ダイナが母の部屋のドアを二、三インチあけると、三人は覗きこみました。
 母者人(ははじゃひと)は――目下はJ・J・レインです――顔もあげませんでした。傷だらけの褐色の机の向うにいるのですが、なにしろ机の上ときたら、紙やら原稿やらノートやら参考書やら使ったカーボン紙やら煙草の空箱やらが、ものの六インチも厚くほうぼうに積み上げてあるので、姿は半分しかみえません。靴は脱いでしまっていて、両脚で小さいタイプライターの台の脚をからみ込んでいるのですが、彼女のタイプするのにつれてその台まで踊っているようです。黒の勝った髪は、方向などおかまいなしに、ピンで頭のてっぺんにとめてあり、鼻の頭には黒いシミまで一つついています。部屋は煙草の煙でいっぱい。
「人殺しでもとてもだめ」ダイナが声をひそめました。彼女はソッとドアをしめました。幼いカーステアズ三姉弟は爪さき立って階段をおりました。
「いいわ」エープリルが自信たっぷりの口調でいった。「あたしたちで下検分しておきましょう。あたし母さんのご本はみんな読んでるから、どういうふうにするものかわかってるわ」
「警察に電話したほうがいいわよ」ダイナがいいました。
 エープリルは断乎かぶりを振りました。
「あたしたちが調べてしまうまではだめ。J・J・レインの物(もの)の中のドン・ドレクセルのやり口はいつもそうなのよ。母さんに教えてあげる重要な手がかりがみつかるかもしれないから」芝生を横切って走りはじめた時、彼女はいいました。「それから、アーチー、あんたは静かにして、お行儀よくしてなけりゃだめよ」
 アーチーは地団駄ふんでわめきました。「そんなことあるかい!」
「じゃ、家にいなさい」ダイナがいいました。
 アーチーは静かになって、ついて来ました。
 サンフォード家の境界のところで、三人は足をとめました。きれいに刈りこんだ生籬の向うに蔓草のからんだ庭門があって、その向うによく手入れの行き届いた芝生があり、雛菊の花壇で縁がとってあるのです。家の正面には派手な色の園芸用品がありましたが、エープリルは一目みて、ピンク色のしっくいにはふさわしくない色だな、と思ったことでした。
「もし人殺しがなかったら」ダイナが思案しました。「サンフォード夫人(さん)きっとカンカンになるわよ。いつだったか、芝生にはいって、追い払われたじゃないの」
「鉄砲の音がきこえたじゃないの」エープリルがいいました。「今さら何よ」彼女は庭門を抜けるまで先頭に立っていましたが、そこで足をとめました。「車は二台だったわね」彼女は考えこみながらいいました。「二台とも鉄砲の音がしてから車道から出て、往来に曲がっていったわねえ。ことによると、もう誰かが殺人犯人の正体を知っていて、追っかけていったのかも知れないわね」彼女はチラとアーチーの方を盗み見してから、つけ加えたものです。「犯人が戻ってくるかもしれない。あたしたちが見ていたのだと思って、三人とも撃たれてしまうかも知れないわ」
 アーチーは小声で悲鳴をあげました。怖がっている真似にしてはあまり上出来ではありませんでした。ダイナは眉をひそめました。「犯人はそんなことしないと思うわ」
「ダイナ」エープリルがいいました。「あんたは含みということのわからない人ね。母さんがいつもそういってるわ」
 三人は芝生を横切って車道に出ました。セメントにはタイヤの跡がいろいろと交差しています。
「これを写真に撮っとかなければいけないんだわ」エープリルがいいました。「でもカメラはないし」
 芝生にも庭にも人影はありませんでした。ピンク色のしっくいで塗った屋敷からは物音一つ立たず、人のいる気配も感じられませんでした。しばし三人はガラス張りのヴェランダの角に立って、今度はどうしたらいいのか、と考えたのでした。この時、突如、長い灰色のコンバーティブルが車道にはいって来たので、幼い三人は急いでヴェランダの向う側に姿をひそめました。
 その車から出てきた若い女は、背が高く、すんなりしていて、きれいでした。髪はいわば赤毛と金髪の中間で、それが大きなゆるいカールをしながら肩に落ちています。花模様をプリントしたドレスを着ていて、縁(へり)の広い麦わら帽をかぶっています。
 エープリルがハッと息をのみました。「見なさい!」小声で囁きます。「あれはポリー・ウォーカーよ。女優の。とてもシャンだわねえ!」
 ちょっとの間、この若い女は、車と家の中途で迷っていました。やがて思いきってドアまで歩いて行って、呼鈴を押しました。長い間待って、また何度も呼鈴を押したあげく、ドアをあけて、中にはいりました。
 三人の子供はヴェランダの窓ごしに、用心しながら覗きこんだのでしたが、ボンヤリながら向う側の広い居間が見えるのでした。ポリー・ウォーカーは玄関のドアからはいって来ると、途端に足をとめ、金切り声をあげました。
「ほれごらん」エープリルが小声でいいました。
 若い女はゆっくりと二、三歩部屋にふみこんで、それから身体を前にまげたので、見ている連中の視界から一瞬間姿を消しました。また身体を起こすと、電話のところへ行って、彼女は受話器を取ったのでした。
「巡査を呼んでいる」ダイナが囁きました。
「かまわないわよ」エープリルが小声で答えました。「手がかりは警察がみんなみつけるのよ。そして母さんがそれに解釈をつけるのよ。クラーク・キャメロン物に出てくるビル・スミスはそういうふうにするのよ」
「スーパーマンは違うふうにやらぁ」アーチーが甲高い声でいいました。「スーパーマンなら――」
 ダイナが彼の口に手のひらを押し当てて、鋭い声で叱りました。「おだまり!」それから彼女は言ったものです。「J・J・レイン物の中では、探偵がいろいろとにせの手がかりを作って歩いて、警察を混乱させるのよ」
「母さんもきっとそうするわ」エープリルがいいました。それから、予言するようにつけ加えたのです。「もし母さんがしないなら、あたしたちがする」

……巻頭より

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