シリーズ「鎮魂の戦史」

「帝国海軍の最後」

原 為一著

ドットブック版 322KB/テキスト版 136KB

600円

シリーズ「鎮魂の戦史」第3弾! 著者は太平洋戦争開始時に駆逐艦「天津風(あまつかぜ)」艦長としてミンダナオ島(フィリピン)のダバオ攻略作戦に参加、以来多くの駆逐艦の司令として激闘百数十回におよんだ。最後は巡洋艦「矢矧(やはぎ)」艦長として戦艦大和らとともに沖縄特攻作戦に参加し、その目で帝国海軍の最後をみた。「ソロモン海域の死闘」「沖縄特攻作戦」の貴重な実戦の記録。本書は英仏伊語に翻訳されて海外にも紹介された。

原為一 はらためいち(1900〜80)香川県出身。海軍兵学校(49期)を卒業。「秋風」「吹雪」「韓崎」の各水雷長を経て、33年、海軍少佐。「夕凪」「長月」「綾波」艦長などを歴任し、太平洋戦争を「天津風」艦長として迎えた。第19駆逐隊司令、第27駆逐隊司令を経て、43年、海軍大佐。44年、「矢矧」艦長に就任。45年、「大和」以下駆逐艦8隻と共に沖縄へ出撃し、乗艦は沈没するが生還した。
立ち読みフロア
[山本連合艦隊司令長官の決意]

「艦隊・W・Y・Z」
 昭和一六年一〇月九日午前九時、連合艦隊旗艦長門に掲揚されたこの一連の旗旒(きりゅう)信号によって、各級指揮官は、ただちに旗艦長門に参集を命ぜられた。
 秋晴れの波静かな広島湾には、戦艦長門以下百数十隻の大艦隊が、ゆったりと錨をおろし、右往左往に飛びかうカモメの姿も、いとのどかな景色であった。
 ここ数年来、世界の情勢は複雑微妙、混沌として定まらず、日支事変以来の日米関係も相当険悪で、わが連合艦隊内においてもなんとなく物情騒然たるものがあった。
「何事だろうか、きょうの指揮官集合は。いよいよ開戦かな!」
 旗艦長門の広い後甲板に集った少佐級の若い駆逐艦長、潜水艦長などのあいだには、時節がらいろいろの臆測が小声でささやかれている。天津風(あまつかぜ)駆逐艦長として、私もその中の一員であったことはもちろんである。将官級のいかめしい顔や、各艦隊戦隊の幕僚連中もしだいにみえてきた。
 近藤第二艦隊司令長官をはじめとし、南雲中将、栗田中将、高木中将、田中少将などいずれもがっちりとして堂々たる体躯、潮やけしたあから顔、炯々(けいけい)たる眼光、まことに頼もしい限りである。さすがにきょうは何事か重大なことを期待してか、引き締った口もとにただならぬ緊張がうかがわれた。時鐘(じしょう)がカーンと午前九時を報ずると、副官山口中佐が、
「みなさん、お集りを願います。まもなく長官がお見えになります」
 と声をかけた。一同が列を整えると、しばらくしてコトコトと靴音がきこえ、中甲板のハッチから連合艦隊司令長官山本五十六大将が、例のあたりを圧するような荘重精悍(せいかん)な姿を現わした。備えつけの高い号令台の上にさっそうとして直立し、一同に挙手の答礼をされたあと、いとも厳粛につぎのように訓示された。
「わが連合艦隊はいよいよ戦備を完了し、きょうよりまた訓練を再興する。このときに当たって各級指揮官の英姿に接し、欣快(きんかい)のいたりである。思うにわが国は、自衛の活路を見出すため、ついに米・英・蘭・仏・豪など数カ国に対し、積極的武力発動のやむなき事態にたちいたらんとしつつある。この未曾有の難局に対処し、わが連合艦隊は大命一下、衆敵を破って皇国を泰山の安きにおくべき重責を有する。諸士はまず必勝の実力を涵養し、遠謀深慮、画策を密にし、将兵一心となり、つらぬくに忠誠の一念をもってし、勇猛果敢ことに当たらば、また何事かならざらん。各級指揮官は本職と死生をともにし、わが連合艦隊の使命達成に万遺憾なからんことを期せよ」
 つづいて連合艦隊参謀長宇垣纏(うがきまとめ)中将は、わが国の内情その他を詳細説明して左のごとくのべた。
「資源に乏しいわが日本は、米国の経済封鎖によって燃料、鉄鉱、ゴム、亜鉛、錫、ニッケルその他重要資材の枯渇を招来しつつある。このまま退いて自滅するよりも、進んで自活の道を開拓するため、やむをえず未曾有の大作戦を展開せざるをえない実情にたちいたっている。連合艦隊の会合も、おそらくこれが最後となるだろう(事実これが永遠に連合艦隊の最後の会合となった)。われら軍人は君国の難局に処して、いかに死すべきかの覚悟を固むべきである。なお兵器、機関の整備など戦備の万全を期するとともに、指揮官自体の技能向上に対し、とくに研究工夫を重ね、些細のようであるが乗員の休養、睡眠などにも留意し、事故を未然に防止されたい」
 うすうすながらかねて聞きおよんでいたところであるが、きょう山本長官の訓示および参謀長の口述により、わが国は連合諸国の高圧的な経済圧迫に対し、独立国家として自衛自活上、断乎として反撃作戦実施の決意を明示せられたので、各級指揮官一同は粛(しゅく)として声もなかった。
 無敵を誇る連合艦隊ではあるが、相手はわれに数倍する大海軍国である。これをむこうにまわしていつまで互角に戦いうるか。わが軍令部、大学校あたりでは、頭脳明敏な主脳部が幾度か兵棋演習、図上演習で、十分研究しつくしていることだろうが、私はなんだか不安にたえなかった。そこで意を決し生意気ながら一人で参謀長室にいたり、
「米英をあわせて戦うこと、われにとってはなはだ不利と思う。フィリッピンには手をつけず、資源地帯、とくに石油資源の蘭印(オランダ領インド)だけを押える手はないのですか」
 と質問すると、宇垣中将は微笑しながら、
「それも一法だが、途中から面倒が起きて非常にやりにくくなるだろう」
 と答えられた。それもそうだと私も一応は思ったが、十分納得はできなかった。
「戦うならば速戦速決だ。先制奇襲、寡(か)をもって衆敵を破るのはわが水雷戦隊の主任務だ。勝敗はわれわれ夜戦部隊の双肩にかかっている」
 と帰りのボートの中で、各水雷戦隊の若い駆逐艦長などは、いずれも意気軒昂たるものがあった。とはいいながら、私が艦に帰って一人で静かに考えてみると、そうなまやさしい問題ではなかった。
「いったい勝てるだろうか?……否、どう考えても勝てそうにない。なにしろ相手は米英などの連合軍、わが一隻で敵三隻を撃沈しても勝負なしの引分けだ。勝つためには最小限わが一隻で敵四隻を撃沈しなければならない。むずかしい! おれには自信がない。しかしどうしても勝たねばならん。負けたら日本は滅亡だ。はてどうしようか。海戦要務令にも秘策はない。海軍大学校の戦術書にも名案はのっていない」
 どうしたものかと一晩中考えたが答はでない。二、三日同じことを繰り返してみたものの艦務多忙で名案も浮かばなかった。
 しかし、ある日ふとつぎのようなことばを思い出した。「真に一騎当千の剣豪が昔日本におらなかったろうか? そうだ武蔵だ! 六十数回の真剣勝負に一度も敗れたことのない宮本武蔵を研究すれば、なにか秘術があるに相違ない。ようし、これで勝ちぬいてやろう、武蔵のごとく」
 わが意を得て一瞬身ぶるいを感じた。ときあたかもドイツ軍は破竹の勢いをもって、遠くソ連の奥深く進撃していた。
 モスクワ陥落あと二ヶ月!
 ヒットラーの意気また衝天の勢いであった。

……冒頭より


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