「転身物語」全巻目次

「転身物語」(上下)

オウィディウス/前田敬作・田中秀央訳


(上)ドットブック 1952KB/テキストファイル 261KB

(下)
ドットブック 1842KB/テキストファイル 245KB

各 1200円

ギリシア・ローマ神話について少しでも詳しく、面白く書かれた物語を求めるとすれば、この「転身物語」以上の作品はない。作品のテーマは「不思議な転身を物語る」ということになっている。しかし、そうした物語は一部にすぎず、全体はギリシア・ローマの神話・伝説の一大収集であり、宝庫であって、まさにその百科全書。この作品ほど後世に多く読まれ、数多く翻訳されたラテン文学作品はなく、ヨーロッパ人の神話的教養のほとんどは、この作品(ないしこれを再話した作品)に負っている。
 この作品に影響を受けた文学者には、チョーサー、ダンテ、ボッカッチオ、ゲーテ、モリエール、シェイクスピア、バイロン、ホーソンなどがあり、画家や彫刻家ではミケランジェロ、ティツイアーノ、ラファエロ、ルーベンス、レンブラントに始まり、現代のピカソやダリにまでおよぶ。
 目次一覧を見れば全容は明らかであるが、混沌(カオス)が秩序ある世界に変る「世界の創造」神話にはじまり、パエトンが太陽神の車を走らせて焼けおちる話、ナルキッススとエコ、プロセルピナの略奪、オルペウスとエウリュディケ、テセウスやヘルクレスの冒険、トロイア戦争の挿話から最後はカエサルが星に変わった話まで、どこかで聞いたことのある登場人物がめじろ押しで、これ一冊あれば、ギリシア・ローマ神話辞典としても役立つ。そして、どの辞典よりも面白い。
 ドットブック版には、さまざまな時代のエッチング、リトグラフ、絵画の名作40点以上を解説つきで収録しています。

オウィディウス(前43〜後17頃) ローマの代表的詩人。中部イタリアの町の、騎士階級の裕福な家庭に生れた。当初は法律を学んだが満足できず、詩作への道を選んだ。豊かな財産とめざましい機知、驚くべき記憶、巧みな社交によって、彼はたちまち社交界の花形となった。だが、詩集を公にしたのはようやく30になってから。彼は女性心理の分析に秀で、のちにこれは『愛の手ほどき』として集大成された。だが、この作品は皇帝アウグストゥスによって風紀紊乱の烙印を押されて、黒海沿岸の町に追放された。代表作「転身物語」はそのころすでに書かれていた。彼は以後も詩を書き続け、結局ローマに帰ることなく、流刑の地に没した。

立ち読みフロア

 やがてヒッポテスの子〔風神アエオルス〕は、風どもをふたたびその永遠の牢屋にとじこめ、ルキフェルは、あかるい光をはなちながら高い空にのぼり、人びとに仕事をはじめるように呼びかけていた。ペルセウスはふたたび両の足に翼をつけ、逆鉤《さかかぎ》のついた剣を腰におび、翼を一搏すると、たちまち澄みわたった大空を真一文字にとび去った。やがて眼下や周囲に多くの国々をかすめすぎると、アエティオピアの人びとやケペウスの国が見えた。そこでは、非情なアムモンの命令で、アンドロメダが母の傲慢な言葉のつぐないとして身におぼえのない罰をうけていた。アバスの子孫〔ペルセウス〕は、かの女がかたい岩にしばりつけられているのを見ると(もしそよ風がこの乙女の髪をなびかせなかったら、また、あつい涙がその眼にこぼれていなかったら、かれはそれを大理石の像かとおもったことであろう)、われ知らず燃える思いにこころをとらえられて驚いた。そして、あまりの美しさの呆然となり、あやうく空中で翼をうごかすのを忘れてしまうところであった。
 かれは、地上に降りると、こういった。「美しい乙女よ、このような鎖は、あなたにはふさわしくない。あなたにふさわしいのは、恋に焦がれる男たちをたがいにしばる恋の鎖です。どうかわたしの問いに答えて、あなたの名前とあなたの国の名をなのり、どういうわけでこんな鉄の鎖につながれているのかを話していただきたい」
 アンドロメダは、初めのうちはだまっていた。乙女の身であってみれば、見知らぬ男と口をきくのもはばかられ、もし鎖につながれていなかったら、はにかむ顔を両手でかくしたことであろう。けれども、いまのかの女には、ただ眼にいっぱい涙をうかべることしかできなかった。ペルセウスは、くりかえし訊ねた。すると、乙女は、だまっていては口にいえない罪をおかしたのだとおもわれるかもしれぬと心配になって、ついに自分の国と自分の名前を告げ、母がみずからの美貌を非常に鼻にかけたのだという話をした。ところが、その話がまだおわらないうちに、急にものすごい海鳴りがして、大波のなかから一匹の怪物があらわれ、その胸で広い海面をおおった。
 乙女は、恐怖の声をあげた。そのそばには、悲しみにやつれた父と母がいた。ふたりとも不幸な身の上であったが、ことに母親は、こうなったことの張本人であるだけに、なおさら不幸であった。しかし、かれらは娘に救いの手をさしのべることはできず、この場の有様にふさわしく涙と嘆きにかきくれ、鎖につながれた娘を抱きしめるばかりであった。このとき、異国の男〔ペルセウス〕はこういった。
「涙ならば、あとでいくらでもゆっくり流せましょう。けれでも、娘さんを救うのは、いましかできないのです。わたしは、ペルセウスといって、ユピテルと、ユピテルが黄金の雨となって牢屋で愛撫した乙女との息子です。わたしは、あの蛇の髪をしたゴルゴを退治し、また、翼をはばたいて広い荒天を翔《か》けめぐることもしました。そのわたしが娘さんをいただきたいといったら、あなたがたはだれよりもわたしを婿《むこ》にえらんでくださるでしょうね。さいわいにして神々のお恵みが得られたら、わたしはこれまでの数々の手柄にさらに新しい功績をつけくわえようとおもいます。そうです、わたしの勇気によって娘さんの命が救われたら、娘さんはわたしがいただきます――これがわたしの希望条件です」
 両親は、この申し出でを承諾して――というのは、だれが躊躇《ちゅうちょ》などしよう――一切をたのみ、娘ばかりか、この国をもさしあげましょうと約束した。
 そのうちに、汗まみれの若い水夫たちの腕に押されて、舳《へさき》につけた衝角《しょうかく》で水をきりながらまっしぐらに進んでくる船のように、その巨大な胸で波をおしわけながら、見よ、怪物は岩に近づいてくる。そして、もうバレアレスの投石器を使えば石も空をきってとどくほどの距離にせまったとき、たちまち若者は大地を蹴って、空たかく飛びあがった。怪物は、海面にうつった若者の影を見るや、たけり狂ってその影めがけてとびかかっていった。すると、ちょうどユピテルの愛鳥〔鷲〕が木のない野原で鉛いろの背を陽にさらしている蛇を見つけると、背後からおそいかかり、そのおそろしい口に咬みつかれないように鱗のはえた頭部にするどい爪をつきたてるように、イナクスの子孫〔ペルセウス〕は、まっしぐらに天空を舞いおりてくるなり、怪物の背におそいかかり、剣をふるって柄まで通れとばかり吼《ほ》えわめく怪物の右肩をふかくつきさした。この深手《ふかで》に怪物は、空たかく立ちあがったり、水ふかくもぐったりして、吠えたてる犬どもに追いつめられた死にものぐるいの猪のようにのたうちまわった。ペルセウスは、翼を使って敵のするどい口をかわしながら、隙《すき》のあるところは、牡蠣《かき》の殻におおわれた背中といわず、
脇腹といわず、魚の尾のような恰好をした臀部といわず、いたるところに半月形の剣できりつけた。怪物は、口から深紅の血のまじった水を吐きだした。そのしぶきがかかって、ペルセウスの翼はずぶぬれになった。ぬれた翼には、もはやたよるわけにはいかなかった。そこで、波のしずかなときは海面に頭をあらわし、波がたかまると水中に没してしまう暗礁を見つけると、そこを足場にして左手で岩の端にしっかりとつかまりながら、剣をいくども怪物の腹に突きさした。
 喝采と歓声が岸にどよめき、天にまでとどいた。カッシオペアとケペウスは、たいへんよろこんで、ペルセウスを花婿としてむかえ、かれを一家の恩人であり支柱であるとほめたたえた。この大手柄の原因であるとともに褒賞でもあるアンドロメダも、いまは鎖をとかれて、みなのそばに歩みよった。ペルセウスは、勝利にかがやくその手を水で洗い、かたい小石が蛇髪の首をきずつけてはいけないので、やわらかい木の葉を地面に敷き、さらに海のなかに生えている植物のかるい茎をならべ、その上にポルキュスの娘メドゥサの首をおいた。ところが、いま海からとったばかりの、まだ髄に水分をたくさんふくんでいる茎が、メドゥサの首にふれると、たちまちその妖《あや》しい魔力を受けて、枝も葉も石のようにかたくなってしまった。海の妖精たちは、このふしぎな魔力をためすために、つぎつぎに海中の植物をとってきた。そして、そのどれもが実験に成功したのを見てよろこんだ妖精たちは、これらの枝からとった種子をいくども海のなかに投げこんだ。それで、いまでも珊瑚はこのおなじ性質をもっていて、空気にふれるとかたくなり、水のなかではやわらかな枝であったものも、水からとりだすと石になってしまうのである。

……巻四の九 「アンドロメダ/海の怪物」より


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