「恐るべき子供たち」

コクトー/佐藤朔訳

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500円

エリザベート、ポール、ジェラール、アガートの四人の子供たちがパリの下町で繰り広げる夢幻的な背伸びした暮らし。その陰には見えない美少年ダルジュロスの幻影がつきまとっていた。奇才コクトーの数少ない小説の代表作。

ジャン・コクトー(1889〜1963)フランスの詩人・作家・劇作家・画家・映画監督。現代芸術のあらゆるジャンルに大きな足跡を残した。ストラビンスキー、サティ、ラディゲらとの交友もよく知られている。映画では「美女と野獣」、自作の戯曲を映画化した「オルフェ」などが代表作である。

立ち読みフロア
 モンティエ広場は、アムステルダム街とクリシー街にはさまれている。クリシー街からは、格子門を通って、アムステルダム街からは、いつも開いている大門と、建物のアーチを突き抜けてそこに入れる。
 建物の中庭が広場というわけで、その細長い中庭には、独立した小さなアトリエがあって、それが家々の高い平壁(ひらかべ)の下に隠れている。小さなアトリエには、写真屋のような暗幕付きのガラス屋根があるが、それは画家たちの住居にちがいない。そこはおそらく武器や金襴や籠に入った猫とか、ボリヴィアの閣僚の家族とかを描いた画布(カンバス)で一杯だろう。そしてアトリエの主人には、無名、有名がいて、註文が多すぎるとか、政府の褒賞(ほうしょう)がうるさいとかこぼしながら、この田舎ふうの広場の静かなおかげで、世間の荒波からまもられて暮らしている。
 しかし、日に二回、午前十時半と午後四時に騒ぎがはじまってその静けさを破る。コンドルセ高等中学の低学年校が、アムステルダム街七十二番地Bに面している門を開くからである。すると生徒たちは、広場を彼らの総司令部にしてしまう。それは彼らのグレーヴ広場〔現在のパリ市庁広場。昔はストライキの集合場で、また罪人の処刑場だった〕でもある。一種の中世風の広場で、恋や競技や奇蹟劇が行なわれ、切手やビー玉の取引所になり、裁判官が罪人を裁き、刑を執行する首斬り場であり、またここで新入生をいじめる計画がゆっくり練られ、そのあとで教室で実行に移し、その用意周到なことに教師たちもびっくりするほどだ。この点、中学二年の子供たちには恐るべきものがある。来年、三年になれば、コーマルタン街のほうに移り、アムステルダム街を軽蔑し、こんどは兄貴面(づら)をして、カバン(折りカバンも)をやめて、四冊の本を革バンドと四角の布に包むようになるにちがいない。
(中略)
 その夕は、雪だった。雪は前の晩から降っていたので、景色は当然一変していた。広場は昔に帰ったようだった。雪は、暖かい土地からは姿を消して、ほかの場所のどこにも降らず、ここばかりに降り積っているかのように思えた。
 学校へ出かけた生徒たちが、こねたり、砕いたり、詰めたり、滑って掘り返したりしたので、地面はもう固くなり、泥んこになっていた。汚れた雪が、溝(みぞ)に沿って、わだちを作っていた。結局雪は、アトリエの階段や、庇(ひさし)や、玄関の上に積っていた。窓のすき間ふさぎや、軒蛇腹(のきじゃばら)には、軽い雪がずっしり積っていたが、線を重苦しく見せるどころか、周囲に一種の情緒を与え、予感を漂わせていた。そして、夜光時計のように柔かに、自分で光る雪のおかげで、石の壁を貫いて豪華な中心部までありありとさせ、広場を小さく見せるビロードとなり、広場のなかに家具を備えつけ、魔法をかけて、幻想のサロンに変えてしまった。
 下の方の眺めは、それほど快くはなかった。ガス燈がいわば無人の戦場をぼんやり照らしていた。生皮を剥がれた地面には、雨氷の裂け目の下からでこぼこの敷石が見えていた。下水口の前では、汚れた雪が傾斜していて、待ち伏せには持ってこいだった。ときどき、いまいましい北風がガス燈をほの暗くした。そして、暗い片隅には、もう戦死者をかくまっているみたいだった。
 この視点からは、眺めが変って見えた。アトリエは、奇妙な劇場の棧敷ではなくなり、敵軍の通過を防ぐために、ことさら完全に消燈した住宅になっていた。
 というのは、雪が降ったために、曲芸師、手品師、首斬り役人、商人たちに開放された広場の様子ががらりと変ったのだ。雪は広場に特別な意味を与える。つまり戦場専用ということだ。
 四時十分から、戦闘開始となり、そのためにポーチを通り抜けるのは危険となった。このポーチの下には予備兵がひしめき、なお新手の戦闘員が、一人、二人と来るたびに人数がふくれあがった。

「ダルジュロスに会ったか?」
「うん……いや知らないね」

……巻頭より

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