「遺志あるところ」

レックス・スタウト/大村美根子訳

ドットブック版 327KB/テキストファイル 142KB

600円

米国実業界の大物ノエル・ホーソーンが、義弟の国務長官の別荘近くの森で死体となって発見され、ショットガンの事故として処理された。遺書の内容はショッキングだった。妻デイジーに50万ドル、3人の娘たちには長女のジューンつまり国務長官夫人にはリンゴ1個、次女でヴァーニイ・カレツジの学長であるメイにはナシ1個、三女で女優のエイプリルにはモモ1個、ジューンの2人の子供アンドルーとセーラにそれぞれ10万ドル、ナオミ・カーンなる女性、つまり愛人に700万ドル、を遺贈するとあったのだ。未亡人デイジーは遺言無効の申し立てをすると主張するが、3姉妹は兄の遺書が公にされスキャンダルになることを恐れてウルフを訪ね、ナオミに遺産の半分を放棄するよう説得してほしいと依頼する。やがてノエルの死が殺人である可能性が浮上する……

レックス・スタウト(1886〜1975) 米国インディアナ州生まれ。両親はクエーカー教徒。若いころは多数の職を転々としながら、詩や小説を書く。30歳頃にあるアイデアから大金を得たが、大恐慌で破産。1934年、48歳のときに発表したミステリー「毒蛇」でたちまち人気作家に。以後この「ネロ・ウルフ」シリーズは、長編だけでも34作に達した。この探偵は、古今の探偵のなかでも、最も魅力のある人物のひとりである。

立ち読みフロア
 アメリカ名士録の一九三八〜一九三九年版を、ぼくはページを開いたままデスクの垂れ板に置いた。暑い日ゆえ手がだるくなったのだ。
「彼女たちは慎み深い間隔で散らばってます。ネタを提供する際にごまかしをやったんでなけりゃ、エイプリルは三十六、メイは四十一、ジューンは四十六歳です。五年間隔ですな。両親はカレンダーのまんなかを出発点にして逆へむかったわけだ。ジューンは一八九三年の六月(ジューン)生まれだから、これは誕生月にちなんだ命名です。でも、そのあとは想像力の産物ですね。ママのほうの思いつきじゃないかなあ。二月に生まれた赤ん坊の名前をメイにするなんて……」
 椅子にもたれて眼を閉じたネロ・ウルフは、いっこうに聞いているそぶりを示さなかった。ぼくはともかく言葉を続けた。その七月の暑い日には、フリッツが上等な昼食を用意してくれたとはいえ、十セント玉をもらう程度のことでも世界を売り渡していただろう。ぼくの休暇はもう終わっていた。ヨーロッパからニュースが届くたび、海岸に沿って十ヤードおきに「私有地。鮫や政治家は立入禁止」と立て札を出したい気分にさせられる。カナダでブヨに血を吸われた腕には包帯が巻いてある。とりわけひどいのは、ネロ・ウルフが一連の途方もない遠征を行ったため預金残高がここ何年かで最低をマークし、しかも探偵商売が低調なことだ。彼はつむじ曲がりにも、心配事を分かち合うどころか、自然の法則への干渉は的はずれなりとの態度を採用している。これがぼくには癪の種だった。彼はニュー・ディール政策に基づくWPA(公共事業促進局)の事業を個人レヴェルで実験し、その状態に喜びを見出すほど奇矯な人物かもしれないが、言わせてもらえばWPAの真の意味は長年にわたり、「ウルフはアーチーに支払う(Wolfe Pays Archie)」と決まっているはずだ。
 というわけで、ぼくはしつこく発言を続けた。「すべては彼女たちが抱えてる問題によりけりですね。かなりな難問に違いない。でなければ、全員揃ってあなたを訪ねたいなんて申し入れはしませんよ。兄のノエルが死んで、なんであれ財政上の悩みは片がついたでしょうし。ノエルについての記述もありますよ」ぼくは眉根を寄せて名士録に視線を落とした。「彼は四十九歳、ジューンより三つ年上で、ダニエル・カレン社ではカレン当人に次ぐ地位を占めてました。一九〇八年に週給十二ドルの使い走りとして雇われ、独力でここまで到達したんです。一昨日のタイムズに死亡記事が載りました。読みましたか?」
 ウルフは微動だにしない。ぼくはしかめっつらをしてやった。
「客が来るのは二十分後ですから、ぼくの調査結果をお教えしときましょう。この雑誌には名士録よりもたくさんの情報が載ってますよ。豊かにして生彩に富む内容です。たとえば、メイはジャップが上海を爆撃して以来、木綿のストッキングをはいているとか。ママは四人の比類なき子供を持った驚くべき女性だったとか。こういう場合にパパの貢献が無視されるのはなぜだろうと、つねづね疑問を感じてるんですが、今はその点を論じる時間がありません。われわれの相手は比類なき子供たちなんです」
 ぼくは雑誌のページをめくった。「火曜日に死んだノエルの件をまとめておきます。ウォール街にあるダニエル・カレン社の彼のデスクにはボタンがずらりと並び、それぞれがヨーロッパとアジア、そしてもちろん南アメリカの各国につながっていた。彼がボタンを押すと、その国の政府は退陣し、後釜は誰にいたしましょうと電話がかかってきた。これを比類なきと言わずしてなんと言いましょう。長女のジューンは一八九三年の、さっきも言ったように六月の生まれです。二十歳のとき、大胆にしてセンセーショナルな『裸馬にまたがって』という本を書き、一年後には『四十雀(シジュウカラ)の情事』ってのを発表しています。それから、ジョン・チャールズ・ダンなるニューヨークの優秀な若き弁護士と結婚。彼は現在、アメリカ合衆国の国務長官です。先週は日本に対して断固たる書簡を送りましたね。雑誌によると、ダンの急速な出世はすばらしい妻の尽力によるところが大だとか。またしてもママのテーマです。ジューンは実際に母親で、息子のアンドルーは二十四、娘のセーラは二十二歳です」
 ぼくは片脚を持ち上げた。「あと二人の比類なき子供たちはまだホーソーン姓を名乗ってます。メイ・ホーソーンは一度も結婚したことがありません。脳細胞の独占行為に対して、反トラスト法による訴追が考慮されています。二十六にして、泡だか滴(しずく)だかに関するコロイド化学に革命を起こしたんですからね。一九三三年以来、ヴァーニイ・カレッジの学長を務め、この六年間に基金の額を千二百万ドル以上にふやして、コロイドを巨大な規模に拡大しました。その知的能力たるや比類なきものだそうです。
 あと二人がまだホーソーン姓を名乗ってると言ったのは間違いでした。女優のエイプリルは《まだ》じゃなくて《また》なんです。一九二七年にロンドンを席捲した際、足もとに平伏する貴族どもを一瞥(いちべつ)し、ロザーノ公爵を選びました。彼を除く公爵四人、伯爵と男爵の一団、石鹸製造業者二人が自殺を図りました。ところが、なんと。彼女は三年後、パリを席捲している最中にロザーノと離婚し、私的にも公にもエイプリル・ホーソーンに戻ったのであります。過去現在を問わず、ジュリエットとノラの両方を演じられる女優は彼女だけですね。目下はニューヨークを八度目に席捲しているところです。ぼくはこの目で確かめました。ひと月前に大枚五ドル五十セントをはたいて『スクランブル・エッグ』を見物しましたんです。あなたも是非行くべきだと力説したのを憶えてるでしょう。エイプリル・ホーソーンはアメリカ演劇界の女王と認められているんだから、観劇は自己に対する当然の義務だと思いまして」
 彼はまばたきすらしない。覚醒する気がないのだ。

……「冒頭」より


購入手続きへ


*** 作品一覧へ *** ホームページへ ***