「木曜日の男」

G・K・チェスタートン/橋本福夫訳

ドットブック版 243KB/テキストファイル 159KB

500円

無政府主義者のグループは「日曜日」と呼ばれるボスによって統括され、幹部はそれぞれ曜日の名前を冠された7人で構成されていた。たまたまメンバーの「木曜日」が急死したため、まぎれこんだ詩人のサイムは「木曜日」に任命された……スパイもの? ファンタジー? 思想小説? チェスタートンならではのエンターテインメント。

G・K・チェスタートン(1874〜1936)ロンドンのケンジントン生まれ。G・Kは、ギルバート・キース。セントポール校を卒業後、画家を志し、美術学校に入るが挫折し、ジャーナリズム・文学を志すようになる。自由主義派の論客としてイギリスの政治・社会を糾弾・諷刺する一方、作家としても、「ブラウン神父もの」を著して評判をとった。江戸川乱歩は「チェスタートンのトリック創案率は探偵小説随一」と賞賛している。

立ち読みフロア
一 サフラン公園の二人の詩人

 サフラン公園地域はロンドンの日没側にあって、夕焼雲のような赤い色彩と凸凹(でこぼこ)とした外観を持っていた。そのあたり一帯が明るい色の煉瓦で造られているせいもあった。空から見おろした時の輪廓も異様なものだったが、平面図までが常軌を逸していた。このあたりは多少芸術家的な肌合(はだあ)いのある瞑想的な建築家が、思いきり自分の独創性を発揮して設計した地域だった。
 もっともこの建築家は、ここの建築物を時にはエリザベス朝ふうだと言ってみたり、時にはアン女王朝ふうだと言ってみたりするところを見ると、どうやらこの二人の女王を同一人だとでも思っているらしいのであった。
 ここが芸術的な地帯と呼ばれているのももっともな点もあるが、そうかと言ってここから何らかのはっきり形をとった芸術が生み出されたというわけではなかった。しかしここを文化村だと誇称(こしょう)するのはその呼び方に少々あいまいな点がないでもないが、ここが気持の好い場所だという主張には全く異論がなかった。初めてこのあたりの奇妙な赤い家々を見た人は、こういう家に似つかわしく住める人たちはさぞ風変わりな服装をしているに相違ないと思ったことだろう。また事実、このあたりの人間に逢ってみれば、その点で失望させられるようなことはなかったに相違ない。
 ここは気持の好い場所だっただけではなく、ここを人工のこしらえたものだと思わず、一つの夢だと思って眺めさえすれば、申し分のない場所だった。
 かりにここの人間は「芸術家」ではないとしても、この地域全体は芸術的だった。あの長い鳶色(とびいろ)の髪をし、人を人とも思わんような顔をした青年――あの青年も実際には詩人ではないのだろうが、たしかに彼そのものが一つの詩になっていた。あの乱れた白髪の、ゆがんだ白い帽子をかぶった老紳士――あの風格のありそうなイカサマ師も実際には哲学者でも何でもないのだろう。だが少なくともあの男は、ひとを哲学へいざなう何かを持っていた。あの卵のような禿げ頭と鳥のようなひょろ長いむき出しの首をした男も実際にはあんなふうに科学者風を気取る何の権利も持っていないのだろう。何一つ生物学上の新しい発見をしたこともないのにきまっている。だがそのご当人にまさるほどの珍しい生物が一体発見できるものだろうか?
 まあこういった調子に眺めてさえ行けば、この土地にふさわしい眺め方ができるというものだった。ここは芸術家の仕事場というよりは、それ自身が一つのこわれ易くはあるが完成された芸術品であると見なすべき場所だった。ここの社交的な雰囲気の中へ足を踏み入れた人間は、一つの喜劇の戯曲の中へ登場したような気がするのだった。
 こういったこの土地の非現実的な魅力が何よりも発揮されるのは、たそがれ時、異様な形の屋根屋根が夕映えを背景にして黒ずみ、この気狂いじみた村全体がひとかけらの漂い雲のように孤立して見える時だった。それからまた、この村の数多い祝祭日の夜に至っては、なお一層そうした非現実的な魅力が発揮されると言ってよかった。そういう夜には小さな庭々にも明かりがかけ連ねられ、ちっぽけな樹に大きな支那提灯がまるで獰猛(どうもう)な馬鹿でかい果実のように輝くのだった。
 特に、何時にもましてこの村がこの世のものならぬ魅力に輝いたのは、土地の人が今なおおぼろげに記憶している、さっきの鳶色の髪の詩人が立役者として活躍したあの夜のことだった。もっとも、この詩人が立役者になるのは必ずしもその夜に限ったことではなかった。この詩人の小さな裏庭のそばを通りがかった人たちは、彼が幾夜もかん高い声をふり上げて男たちや女たち、特に女たちに何か偉そうに述べ立てているのを耳にしたに相違ない。そういう場合の女たちの態度もまた、この土地の不思議の一つだった。
 ここの女性の大部分は漠然とした言い方だが、いわゆる解放された女性と称されるタイプの連中で、男性の優越に多少なりと抗議しない者はなかった。そのくせこの新しい女たちが、普通の女たちでもしたことのないようなへりくだったお追従(ついしょう)をいつも一人の男性に捧げているのである。つまりその男性が喋っているあいだ傾聴してやるのだった。もっともこの赤い髪をした詩人リュシアン・グレゴリー氏は実際(ある意味では)傾聴に値(あたい)する人間だった、聞いてしまった後ではばかばかしくなるにしても。
 彼は芸術の無法則性、無法則の芸術、という昔ながらの理論を、少なくとも聞いているあいだは耳を愉しませてくれる大胆不敵な新鮮さで語った。彼はある程度までは人を惹きつけるその一風変わった風貌でも助けられていて、自分でも自分の風采を、ありふれた文句を使えば、最大限に利用しようとしていた。真ん中で分けた彼の暗赤色の髪は文字通り女の人の髪そのままで、ラファエル前派の絵の中の処女の巻き毛のようにゆったりと顔のまわりに垂れていた。
 ところがこの聖女的なとでも言いたいような楕円形の中から突如として幅の広い野獣的な顔が飛び出し、顎がわがままっ子風な軽蔑の表情を浮かべて前へ突き出ていた。この奇怪な組合わせは神経質なここの住民の神経をくすぐってにやにやとさせもするが、同時にぞっと寒気を起こさせもした。この男は冒涜(ぼうとく)の権化か、天使と猿との混血児なのかと人に思わせるような風貌をしているのだった。
 その問題の夕方は、ほかに記憶に残るようなでき事が何も起こらなかったにしても、その晩の不思議な夕焼けのことで土地の人はおぼえているに相違ない。あの時はまるで世界の終わりかと思うようだった。

……冒頭より

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