高原の泥沼中に陥る

「チベット旅行記(上)」

河口慧海/壬生台舜校注

ドットブック版/1MB

htmlファイル/1MB

テキストファイル 220KB

900円


 仏僧河口慧海(かわぐち・えかい)は明治三〇年(一八九七)、三十一歳のときにチベット旅行に出発した。その目的を彼はこう語っている。「私は世の冒険家にならって、探検の功をあげることを目的にチベットへ行ったわけではない。あくまでも、我が国未伝の経典(きょうてん)を得たいがために出かけたのだ。したがって探検家の資格は私にはない。……ただ、今回の旅行では、宗教に関すること以外にも、社会学、経済学、歴史学、地理学、あるいは動植物分布などに関する様々なことを観察することができた」。こうして六年(!)にわたった第一回目のチベット旅行について、友人たちの熱心なすすめに従って口述した旅行談がこの「チベット旅行記」である。
 チベットは当時、他国人の入国を禁ずる国であった。慧海は中国の僧侶に変装し、平均六、七千メートル級の山が無数に連なるヒマラヤの道なき道を苦心の末にたどり、日本人として初めてこの「秘密の国」に潜入した。
「チベット旅行記」は意気軒昂な明治人の気概に溢れた、ユニークで抜群におもしろい体験記・見聞記である。なお、ドットブック版、HTML版には、明治37年博文館刊行本に収められた挿し絵を挿入した。

参考:河口慧海の「チベット潜行ルート」

立ち読みフロア
 さて西北の方に高い山が見えている。しかし、ほかの方を見るとドウも行けそうな道がないから、とにかくかの西北の雪の峰を踰(こ)ゆれば、必ず目的地のカン・リンボ・チェ、すなわちマウント・カイラスの辺に達することができるであろうという考えを起しました。後で聞いてみると、その雪の峰はコン・ギュ・イ・カンリという二万二千六百五十尺の高い山であったです。
 その山にだんだん進んで急坂を四里ばかり登ってまいりますと、もはや午後五時頃でまた暴風が起って大雪が降り出した。ソコで考えたことは、これからこの山をドシドシ登って行ったならば、今夜はこの高山の積雪のために凍えて死ぬようなことが起るであろう。だから目的地へ指して行くことは後のことにして、差し当り山の麓(ふもと)の川へ向って降(くだ)って行かなければならんと思い、それから方向を転じて北東の方へ降って行くと、雪はますます降りしきり日も追々暮れて来たです。のみならず、坂は非常な嶮坂(けんぱん)でなかなか降るに困難である。あたりには泊るに都合の好い岩もないものですから、どこかそういう場所の見つかるまで降ろうという考えで進んでまいりました。どこを見ても雪ばかりで、岩もなければ隠れ場も分らない。途方にくれたが、トいってその辺に坐りこむ場所もなし、雪はすでに一尺ばかり積っておるです。とにかくドンな処か見つかるまで行こうという考えで羊を追い立てますと、余ほど疲れたとみえて少しも動かない。無理もない。相当の荷物を背負っている上に、今日昼までは草を喰っておりましたけれども、その後は高山に登って来たのですから草も得られなかった。サア進むことができないといって進まずにゃアいられないから、可哀そうではございますけれども、押し強く後から叩きつけてみたりいろいろなことをしたが、羊はモウ動かない、坐っちまって……。ようやくのことで首にかけてある綱を引っ張って二間ばかり進むと、また

《羊が雪中に坐り》 こんでしまって一歩も動かない。ドウもしてみようがない。ハテどうしようか知らん。この雪の中に寝れば死ぬにきまっている。モウすでに自分の手先に覚えがないほど凍えておりますので、羊の綱を持っているその手を伸ばすことができないほど、苦しゅうございます。けれども、このまま積雪の中に立ち往生するわけにいかんから、ドウかこの羊を起して進ませなければならんという考えで、また一生懸命に力をこめて、羊と戦いながら半町ばかり行きますと、またドッカリ倒れていかにも苦しそうな息をついているから、コリャ今晩ここで凍え死ぬのか知らん。ドウにか方法がつかないか知らん。どこにかテントのある処が分っていれば、羊を棄てて出かけるけれども、この間聞いたところでは十四、五日も人に逢わんであろうというから、どこへ行ってみたところがドウせ人のいる処に着かないにきまっている。コリャもう、ドウしても羊と一緒に死なねばならんのかと途方にくれておりました。ドウもしてみようがないから、羊の荷物をおろして夜着を取り出してそれを被(かぶ)り、ソレから頭の上から合羽を被ってしまいまして、ソコで羊の寝転んでいる間へ入って

《積雪中の坐禅》 ときめこんだです。羊もその方がよいとみえて、ジーッと私の側へ寄って寝ていました。これが随分暖かみを持つ助けになったろうと思う。その羊も余ほど私に慣れているものですから、まるで私の子のような工合に、二つが左右に寄り添うて寝ておったです。可愛(かわい)いようでもあり可哀そうでもあり、ジーッと見ていると、二疋ともさも悲しそうな声を出して泣いている。いかにも淋しく感じましたが、ドウもしてみようがない。何かやりたいと思ってもそこらに草もなし、自分はもとより午後は一切喰わんのが規則ですから、ただ懐中から丁子(ちょうじ)油を出して、夜着を着ている窮屈な中で身体へ塗りつけました。スルと大分に温度が出てまいりました。一体油を塗るということは、外界の空気の侵入を禦(ふせ)ぐと同時に、体温を保つ効能があるようです。殊にこの丁子油は、体温を保つ目的をもって拵(こしら)えたものであるから、非常に暖みを感じたです。ソレからまた口と鼻から出るところの呼吸を止めるような塩梅(あんばい)にしておりましたが、それはこの呼吸が当り前に外へ出たり内に入ったりして、外界と交通しますと、身体の温度を保つに困難であろうという考えであったです。こうして余ほど温度を保っておりましたが、十二時頃からドウもだんだんと寒さを感じて、非常に感覚が鈍くなって、何だかこう気が変になってボンヤリして来たです。人間の臨終(いまわ)の際(きわ)というものは、こういう工合に消えて行くものであろうかというような感覚が起って来たです。

《雪中の夢うつつ》 こりゃドウも危ない。しかし今さら気を揉(も)んだところでしかたがないから、このまま死ぬよりほかはあるまい。仏法修行のためにこの国に進行して来た目的も達せずに、高山積雪の中に埋れて死ぬというのも因縁であろう。仏法修行のため斯道(しどう)に倒れるのは是非がない。ソウ歎くにもおよばないが、ただ自分の父母、親族および恩人に対して、その恩を報ずることのできんのは残念である。ドウか生れ変ってから、この大恩に報じたいものであるという考えを夢心に起しましたが、それから後はドウなったか少しも知らない。もし人があってこの境遇を評したならば、全く無覚である、我を失っているものである。或いは死んだ者であるといわれるような状態に陥ったものであろうと、後で想像されたです。その時は全く何も知らなかった。スルと自分の端で動くものがあるから不意と眼を覚してみると

《羊の身顫(みぶる)いに夢を破る》 二疋の羊が身顫いし雪を払っておるです。それがちょうど私の身体の雪を払うようになっておるのです。フッと現(うつつ)にかえりましたが、まだ夢路を辿(たど)っているような心地で、コリャ奇態だという感覚が起った。その中に羊は自分の雪を払い終ってしまいましたから、私も雪を払おうと思って身体を動かしかけると、何だか身体が固くなって容易に動かない。それから例のごとく摩擦をして空を見ると、夜前降った雪の後の空に、まだ恐ろしい黒雲が斑(まだら)に飛んでおりまして、その雲間に太陽が折々光っているという凄まじい空模様である。

……第二十六回 「山上雪中の大難」より

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