「タバコ・ロード」

アースキン・コールドウェル/龍口直太郎訳

ドットブック版 235KB/テキストファイル 147KB

500円

長年、ろくに肥料もやらずにタバコ栽培を続けた結果、不毛の地と化した南部の農村。その土地にしがみついて生きるジーター老人は棉花栽培の夢を捨てきれない。娘の兎口の手術費用の工面もできず、末娘のパールは口べらしのため、十二歳で嫁に出される。貧困と絶望がもたらす堕落と人間本来の欲望。アメリカ南部のプア・ホワイト(白人貧農)の暮らしを赤裸々に描き、社会に衝撃を与えたコールドウェルの代表作。

アースキン・コールドウェル(1903〜87)ジョージア州生まれのアメリカの作家。南部社会の貧農白人と黒人の暮らしを風刺とユーモアをまじえて赤裸々に描いた。「タバコ・ロード」(1932)、「神の小さな土地」(1933)で一躍注目され、今日でもこの2作が代表作とみなされている。

立ち読みフロア
 ラブ・ベンシーは冬蕪(かぶら)の袋を肩に、雨に洗われた煙草道路(タバコ・ロード)〔タバコの葉をつめた大樽をころがして運ぶための道路〕の深くて白い砂地を、重い足取りで、わが家の方へ歩いていた。その蕪を手に入れるために、彼はずいぶんと骨を折ったのだった。はるばるフラー村までいって、また戻って来るだけでも、うんざりするほど長い道のりだった。
 その前日、ラブは、冬蕪一ブッシェルを五十セントで売っている人がその村にいると聞いたので、さっそく朝早く、半ドルの金を持って買いに行ってきたところなのだ。もう七マイル半も歩いてきたのだが、石炭場にある自分の家までは、まだ一マイル半もあった。
 レスターの家の者が四、五人、前庭に立っていて、ラブが袋を降ろして家の前でひと休みするのを眺めていた。一時間も前、二マイル近くも向こうの砂丘の上にラブが姿を現したときから、ずっとそれを見守っていた彼らは、いよいよラブが本当に手の届きそうなところまでやって来たので、もうその蕪をそこから先へはちょっとでも運ばせまいと、身構えていたのである。
 一方ラブは、自分一人の他に、養っていかなければならない女房があったので、レスターの家のものがだれにしろ、蕪(かぶら)の袋に近より過ぎることのないように用心していた。いつもは、蕪にしろ、サツマ芋にしろ、とにかく食べ物と名のつくものを持ってレスターの家のそばを通るときには、半マイルも離れたあたりで道路から離れ、畑伝いに大まわりをして、安全な距離をへだててから、また道路にもどることにしていた。ところが今日は、どうしてもジーター爺さんに話しておきたい大事な用件があったので、これまで蕪やサツマ芋を持って帰る途中、そんなことをしたためしがなかったのに、覚悟をきめて、レスターの家へ立ち寄ったわけだった。
 ラブの女房というのは、ジーター・レスターの末娘パールで、前の夏、ラブに貰われていったときには、まだやっと十二歳だった。
 レスター一家の人たちは、道路のまん中に突っ立っているラブをじっと見まもっていた。ラブは袋を肩からおろしたが、袋の口は両手でしっかりと握りしめていた。庭の中に立っていたものは誰ひとり、この十分間というもの、身動きひとつしなかった。すべては、ラブがつぎにどういう出方をするかにかかっていた。
 もともと、ラブがレスターのところへわざわざ立ち寄ったというのは、やむ得ない理由があったからで、そうでもなければ、彼は声の掛けられるところへなど近寄るはずがなかった。パールのことで、ジーター爺さんに、ぜひ相談したいことがあったのである。
 パールがどうしても口をきこうとしないのだった。ラブがどんなに下出(したで)から出ようが、またどんなに怒って見せようが、彼女はただの一言も口をきこうとしなかった。それどころか、ラブが石炭場から帰って来ると、見えないところに隠れてしまい、探し出してつかまえようとすれば、その手からすり抜けて、帚木菅(ホウキスゲ)の茂みのなかに逃げ込んで姿をかくしてしまった。ときによると、一晩じゅうホウキスゲの中に入ったまま、翌朝ラブが仕事に出しまうまで、そこに隠れていたりするのである。
 そう言えば、パールはいままで口をきいたことがまるでなかった。それも、口がきけないからではなく、ただ、口をきく気がないからだった。ラブと一緒になる前、まだ親元にいたころでも、家族のほかの者からぽつんとひとりだけ離れて、夜が明けてからあくる日まで、めったに口を開こうともしなかった。さすがに、母親のエーダとだけは言葉を交わすこともあったが、それとても、言葉少なに否定か肯定の返事をするのが関の山だった。しかし、じつは母親のエーダ自身も、むかしはそんなふうだった。エーダーが自分からすすんで口をきくようになったのは、ついここ十年ばかりの間で、それまではやはり、いまパールがラブを困らせているように、ジーター爺さんを手こずらせたものであった。
 ラブはパールに、なんとか口を開かせようとして、ものを尋ねてみたり、足げりにしたり、はては、水をぶっかけるやら、石ころや棒きれを投げつけるやら、ありったけのことをやってみた。パールはよく悲鳴をあげ、ひどく痛いときには、声をあげて泣いたりしたが、ラブにしてみれば、そんなのは口をきいたことにはならなかった。背中が痛くはないかとか、いつ散髪に行くつもりかとか、雨はいつごろまた降るかとか、そんなことを話しかけてもらいたかった。ところがパールはいっこうそういう話をしようとはしなかった。


……冒頭より


購入手続きへ


*** 作品一覧へ *** ホームページへ ***