「探偵が多すぎる」

レックス・スタウト/村上博基訳

ドットブック版 239KB/テキストファイル 98KB

400円

電話盗聴事件の事情聴取という用件で、ウルフら6人のニューヨークの探偵がオールバニー市に呼び出される。その最中、かつてウルフに盗聴を依頼したことのある男が同じビルの別室で絞殺されて見つかる。なぜ? どうして? ウルフはニューヨークの48人の探偵を動員する空前の企てを実施する……この表題作のほか、「ゼロの手がかり」を収めた。ネロ・ウルフ中編シリーズ。

レックス・スタウト(1886〜1975) 米国インディアナ州生まれ。両親はクエーカー教徒。若いころは多数の職を転々としながら、詩や小説を書く。30歳頃にあるアイデアから大金を得たが、大恐慌で破産。1934年、48歳のときに発表したミステリー「毒蛇」でたちまち人気作家に。以後この「ネロ・ウルフ」シリーズは、長編だけでも34作に達した。この探偵は、古今の探偵のなかでも、最も魅力のある人物のひとりである。

立ち読みフロア
 ぼくは原則的に女流探偵に反対だ。いついかなるときもきびしい稼業だとはいわないが、大体においてそうであり、やさしい思いやりやら、無邪気な衝動やらをいれる余地はみじんもないのだ。だから女流探偵たるもの、厚い面(つら)の皮を持たなきゃならないが、女のそんな肌はとてもふれる気にならない。といって皮が薄くては、つめたい眼と図太い神経が必要なときにひとたまりもなく、それでは探偵はつとまらない。
 が、原則には目をつむってもらわなきゃならないときがあるもので、あのときもそうだった。ネロ・ウルフとぼくをいれて居合わせた七人の私立探偵のうち、ふたりは女性で、部屋の隅にならんですわっていた。シオドリンダ(略してドル)・ボナーは、ぼくと同年配。糖蜜色の目の上に、長い黒い自家製まつげが、廂(ひさし)になってそり返っている。公認探偵の看板をかかげて数年、なかなかよくやっている。仕立ても見ばえもいい茶のツイードのスーツは、《バーグドーフ》あたりで買ったものか。ミンクのジャケットもたぶんそうだろう。彼女とははじめてじゃないが、もうひとりのサリー・コルトという名を知ったのは、あつまった面々がジェイ・カーの提案で、名前とあいさつの交換をしたからだった。
 ぼくは椅子を立って隅へ行き、相手が見あげるとしゃべった。
「ミス・コルトですね。ぼくの名をききとめてくださったでしょうか。アーチー・グッドウィンです」
「ええ、もちろん」こたえる彼女の皮は厚そうでなく、声にも厚味がない。としのころはぼくの妹にぴったりだが、ぼくはべつに妹なんかほしくない。ウールのドレスとラクダのコートは、《バーグドーフ》のものではないが、ぼくには《バーグドーフ》の高級品なんかどうでもいい。
 ぼくは腕時計を見てから、また相手の顔を見て「十一時十五分ですね」といった。「あとどれぐらい待たされるかわかりません。下にカウンターがあったから、てつだっていただければみんなにコーヒーを持ってきてあげたいんですが。ミス・ボナーは、コーヒーなどいかがでしょう」
 ミス・コルトが雇用主であるミス・ボナーの顔をうかがうと、ミス・ボナーはうなずき返してから、いただきましょうと、これはぼくにいった。ぼくはふりむき、コーヒーをご所望でない方はと声をはりあげると、だれもいらないといわないので、サリー・コルトが立ちあがり、ぼくたちは部屋を出た。
 ぼくはうそじゃなしにコーヒーを飲みたかった。それに、ミス・コルトの物腰表情が、女流探偵にたいするぼくの態度に欠陥があるのではないかと思わせたので、それをたしかめたくもあった。が、いちばんには、ネロ・ウルフの顔の見えないところに、しばししりぞきたかった。なにしろ彼のあれほどにがりきった顔ははじめてだし、そのうえ不愉快千万な状況が、その顔をよけい美しいものにしていなかった。
 たいへん嘆かわしいことだった。かさなる盗聴スキャンダルが、私立探偵にかんするさまざまな事実に注目をよんでいた。すなわち、ニューヨーク州行政局長からライセンスをうけた私立探偵は五百九十人であること。五百九十人中四百三十二人はニューヨーク市にいること。認可申請者は筆記試験も課されず、べつに身上調査もなされないこと。州当局は公認探偵の下にどれぐらいの助手がいるものか、彼らがライセンスをうけていないので実数をつかんでいないこと。その他あれこれ。
 そこで局長は調査にのりだすことにし、五百九十人全員が、具体的には盗聴活動の事実があればそのことについて、一般的には全体的実情について、出頭して事情聴取をうけることになった。ウルフもぼくもライセンス保有者なので喚問され、わずらわしいことにはちがいないのだが、それは他の五百八十八人もおなじなのだから、あるいは彼もせいぜい呻(うめ)きと唸(うな)りの連発にとどめていたかもしれないが、そうはさせないふたつのことがあった。ひとつは、事情聴取はニューヨークとオールバニー〔ニューヨーク州の州都〕で半々におこなわれ、ぼくたちはともにオールバニーによばれたから、彼はニューヨークに変更を願い出たのだが、それが却下されたこと。いまひとつは、彼がかつて手をそめた唯一の盗聴行為は、彼の名誉にも銀行預金にもまるでプラスにならず、彼にとっては思いだすさえいとわしかったことである。
 そんなわけで、あの冬の朝五時、ウルフの古い褐色砂岩の家で、フリッツが朝食を部屋へはこび、ぼくがドライブ可能の天気につき汽車旅の危険をおかさなくてもいいむね告げに行ったとき、彼はもう唸り声も出ぬほど沈みきっていた。
 オールバニーへの四時間百六十マイル、例によって彼は衝突したとき風防ガラスからとびだすのがいやでバックシートにすわり、ぜんぶで二十語もしゃべったろうか、一語としてふきげんならざるはなく、ぼくが、あたらしい高速道路の景物に彼が接するのははじめてだから、いろいろおしえてやっても、そのつど目をつむるばかりだった。出頭先であるオールバニーの建物に着いたのは、指定の時刻より五分はやい九時五十五分、ぼくらは三階の一室に通され待たされた。むろん彼の巨体をゆったりおさめてくれる椅子はなかった。彼はさっと見まわしてから立ちどまり、すでにきている面々に「おはよう」と唸るようにいうと、いちばん奥の壁ぎわの椅子へ行ってかけ、それから一時間十五分、苦虫をかみつぶしていた。

……「探偵が多すぎる」冒頭より


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