「遠野物語」

柳田国男著

ドットブック版 451KB/テキストファイル 153KB

400円

本書は、岩手県遠野町出身の民話蒐集家、佐々木喜善氏によって口述された遠野近辺に伝わる民話・伝承を、著者が書きとめ、編纂して1910年(明治43)に自費出版したもので、柳田国男の原点をなす著作となった。内容は河童、天狗、ザシキワラシなど妖怪にかかわるもの、山人、神隠し、死者などに関する怪談、さらには祀られる神、各種の行事など多岐にわたる。『遠野物語』は全部で119話からなるが、続いて発表された『遠野物語拾遺』には、299話が収録されている。

柳田国男(やなぎたくにお)(1875〜1962)現在の兵庫県神崎郡福崎町生まれ。日本における民俗学の開拓者。東京帝大卒業後、農商務省にはいり、仕事の関係で各地を旅行、同時に早稲田大学で農政学を講義する。山地の民俗に興味をいだき『遠野物語』を著わすが、以降は幅広く各地の民俗を研究・調査、「方言」「昔話」「伝説」「童謡」などをテーマにした多くの著作を著わした。  

立ち読みフロア

一 遠野郷(とおのごう)は今の陸中上閉伊(かみへい)郡の西の半分、山々にて取り囲まれたる平地なり。新町村にては、遠野、土淵(つちぶち)、附馬牛(つくもうし)、松崎、青笹(あおざさ)、上郷(かみごう)、小友(おとも)、綾織(あやおり)、鱒沢(ますざわ)、宮守(みやもり)、達曾部(たっそべ)の一町十ヶ村に分つ。近代あるいは西閉伊郡とも称し、中古にはまた遠野保(とおのほ)とも呼べり。今日郡役所のある遠野町はすなわち一郷の町場にして、南部(なんぶ)家一万石の城下なり。城を横田城ともいう。この地へ行くには花巻の停車場にて汽車を下り、北上川を渡り、その川の支流猿(さる)ヶ石川(いしがわ)の渓(たに)を伝いて、東の方へ入ること十三里、遠野の町に至る。山奥には珍しき繁華の地なり。伝え言う、遠野郷の地大昔はすべて一円の湖水なりしに、その水猿ヶ石川となりて人界に流れ出でしより、自然にかくのごとき邑落(ゆうらく)をなせしなりと。されば谷川のこの猿ヶ石に落ち合うものはなはだ多く、俗に七内八崎(ななないやさき)ありと称す。内(ない)は沢または谷のことにて、奥州の地名には多くあり。
○遠野郷のトーはもとアイヌ語の湖という語より出でたるなるべし、ナイもアイヌ語なり。

二 遠野の町は南北の川の落合(おちあい)にあり。以前は七七十里(しちしちじゅうり)とて、七つの渓谷おのおの七十里の奥より売買の貨物を聚(あつ)め、その市(いち)の日は馬千匹、人千人の賑(にぎ)わしさなりき。四方の山々の中に最も秀でたるを早池峯(はやちね)という、北の方附馬牛(つくもうし)の奥にあり。東の方には六角牛(ろっこうし)山立てり。石神(いしがみ)という山は附馬牛と達曾部(たっそべ)との間にありて、その高さ前の二つよりも劣れり。大昔に女神あり、三人の娘を伴いてこの高原に来たり、今の来内(らいない)村の伊豆権現(いずごんげん)の社(やしろ)ある処に宿りし夜、今夜よき夢を見たらん娘によき山を与うべしと母の神の語りて寝たりしに、夜深く天より霊華降りて姉の姫の胸の上に止りしを、末の姫眼覚(めざ)めてひそかにこれを取り、わが胸の上に載せたりしかば、ついに最も美しき早池峯の山を得、姉たちは六角牛と石神とを得たり。若き三人の女神おのおの三の山に住(じゅう)し今もこれを領したもうゆえに、遠野の女どもはその妬(ねた)みを畏(おそ)れて今もこの山には遊ばずといえり。
○この一里は小道すなわち坂東道なり、一里が五丁または六丁なり。
○タッソベもアイヌ語なるべし。岩手郡玉山村にも同じ大字あり。
○上郷村大字来内(らいない)、ライナイもアイヌ語にてライは死のことナイは沢なり、水の静かなるよりの名か。

三 山々の奥には山人住めり。栃内(とちない)村和野(わの)の佐々木嘉兵衛(かへえ)という人は今も七十余にて生存せり。この翁(おきな)若かりし頃猟をして山奥に入りしに、遥かなる岩の上に美しき女一人ありて、長き黒髪を梳(くしけず)りていたり。顔の色きわめて白し。不敵の男なれば直ちに銃(つつ)を差し向けて打ち放せしに弾(たま)に応じて倒れたり。そこに馳け付けて見れば、身のたけ高き女にて、解きたる黒髪はまたそのたけよりも長かりき。後の験(しるし)にせばやと思いてその髪をいささか切り取り、これを綰(わが)ねて懐に入れ、やがて家路に向いしに、道の程にて耐(た)えがたく睡眠を催しければ、しばらく物蔭に立ち寄りてまどろみたり。その間夢と現(うつつ)との境のようなる時に、これも丈の高き男一人近よりて懐中に手を差し入れ、かの綰(わが)ねたる黒髪を取り返し立ち去ると見ればたちまち睡(ねむ)りは覚めたり。山男なるべしといえり。

四 山口村の吉兵衛という家の主人、根子立(ねっこだち)という山に入り、笹を苅(か)りて束となし担(かつ)ぎて立ち上らんとする時、笹原の上を風の吹き渡るに心付きて見れば、奥の方なる林の中より若き女の穉児(おさなご)を負いたるが笹原の上を歩みてこちらへ来るなり。きわめてあでやかなる女にて、これも長き黒髪を垂れたり。児を結び付けたる紐(ひも)は藤の蔓(つる)にて、着たる衣類は世の常の縞物(しまもの)なれど、裾(すそ)のあたりぼろぼろに破れたるを、いろいろの木の葉などを添えて綴(つづ)りたり。足は地に着くとも覚えず。事もなげにこちらに近より、男のすぐ前を通りて何方(いずち)へか行き過ぎたり。この人はその折の怖(おそ)ろしさより煩(わずら)い始めて、久しく病みてありしが、近き頃亡(う)せたり。
○土淵村大字山口、吉兵衛は代々の通称なればこの主人もまた吉兵衛ならん。

五 遠野郷より海岸の田ノ浜、吉里吉里(きりきり)などへ越ゆるには、昔より笛吹峠(ふえふきとうげ)という山路あり。山口村より六角牛の方へ入り路のりも近かりしかど、近年この峠を越ゆる者、山中にて必ず山男山女に出逢(であ)うより、誰も皆怖ろしがりて次第に往来も稀(まれ)になりしかば、ついに別の路を境木峠(さかいぎとうげ)という方に開き、和山(わやま)を馬次場(うまつぎば)として今はこの方ばかりを越ゆるようになれり。二里以上の迂路(うろ)なり。
○山口は六角牛に登る山口なれば村の名となれるなり。

六 遠野郷にては豪農のことを今でも長者という。青笹村大字糠前(ぬかのまえ)の長者の娘、ふと物に取り隠されて年久しくなりしに、同じ村の何某という猟師、ある日山に入りて一人の女に遭(あ)う。怖ろしくなりてこれを撃たんとせしに、何おじではないか、ぶつなという。驚きてよく見ればかの長者がまな娘なり。何ゆえにこんな処にはおるぞと問えば、ある物に取られて今はその妻となれり。子もあまた生みたれど、すべて夫が食い尽して一人かくのごとくあり。おのれはこの地に一生涯を送ることなるべし。人にも言うな。御身も危うければ疾(と)く帰れというままに、その在所をも問い明らめずして遁(に)げ還(かえ)れりという。
○糠の前は糠の森の前にある村なり、糠の森は諸国の糠塚と同じ。遠野郷にも糠森糠塚多くあり。

七 上郷村の民家の娘、栗を拾いに山に入りたるまま帰り来たらず。家の者は死したるならんと思い、女のしたる枕を形代(かたしろ)として葬式を執(と)り行い、さて二三年を過ぎたり。しかるにその村の者猟をして五葉山(ごようざん)の腰のあたりに入りしに、大なる岩の蔽(おお)いかかりて岩窟のようになれる所にて、はからずこの女に逢いたり。互いに打ち驚き、いかにしてかかる山にはおるかと問えば、女の曰(いわ)く、山に入りて恐ろしき人にさらわれ、こんな所に来たるなり。遁げて帰らんと思えど些(いささか)の隙(すき)もなしとのことなり。その人はいかなる人かと問うに、自分には並(なみ)の人間と見ゆれど、ただ丈きわめて高く眼の色少し凄(すご)しと思わる。子供も幾人か生みたれど、われに似ざればわが子にはあらずといいて食うにや殺すにや、皆いずれへか持ち去りてしまうなりという。まことに我々と同じ人間かと押し返して問えば、衣類なども世の常なれど、ただ眼の色少しちがえり。一市間(ひといちあい)に一度か二度、同じようなる人四五人集り来て、何事か話をなし、やがて何方(どちら)へか出て行くなり。食物など外より持ち来たるを見れば町へも出ることならん。かく言う中(うち)にも今にそこへ帰って来るかも知れずというゆえ、猟師も怖ろしくなりて帰りたりといえり。二十年ばかりも以前のことかと思わる。
○一市間は遠野の町の市の日と次の市の日の間なり。月六度の市なれば一市間はすなわち五日のことなり。

八 黄昏(たそがれ)に女や子供の家の外に出ている者はよく神隠しにあうことは他(よそ)の国々と同じ。松崎村の寒戸(さむと)という所の民家にて、若き娘梨(なし)の樹の下に草履(ぞうり)を脱ぎ置きたるまま行方を知らずなり、三十年あまり過ぎたりしに、ある日親類知音(ちいん)の人々その家に集りてありしところへ、きわめて老いさらぼいてその女帰り来たれり。いかにして帰って来たかと問えば人々に逢いたかりしゆえ帰りしなり。さらばまた行かんとて、再び跡を留(とど)めず行き失(う)せたり。その日は風の烈(はげ)しく吹く日なりき。されば遠野郷の人は、今でも風の騒がしき日には、きょうはサムトの婆(ばば)が帰って来そうな日なりという。

九 菊池弥之助(やのすけ)という老人は若き頃駄賃(だちん)を業とせり。笛の名人にて夜通しに馬を追いて行く時などは、よく笛を吹きながら行きたり。ある薄月夜に、あまたの仲間の者とともに浜へ越ゆる境木(さかいぎ)峠を行くとて、また笛を取り出して吹きすさみつつ、大谷地(おおやち)という所の上を過ぎたり。大谷地は深き谷にて白樺(しらかば)の林しげく、その下は葦(あし)など生じ湿りたる沢なり。この時谷の底より何者か高き声にて面白いぞーと呼ばわる者あり。一同ことごとく色を失い遁げ走りたりといえり。
○ヤチはアイヌ語にて湿地の義なり、内地に多くある地名なり。またヤツともヤトともヤともいう。

……冒頭より


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