「捕物の話(一)」
――与力・同心・岡っ引

三田村鳶魚著

ドットブック版 511KB/テキストファイル 89KB

400円

江戸学の祖、鳶魚(えんぎょ)が口述筆記でまとめた「捕物の話」の前編。町奉行に所属する定廻り、臨時廻り、隠密廻りの、いわゆる三廻りの役割と実務をのべたもので、その後の捕物研究の出発点となった記念すべき作品。口述のためもあって、話がよく脱線して横道にそれるが、それがまた楽しい読み物となっている。

三田村鳶魚(みたむらえんぎょ)(1870〜1952)東京生まれ。本名、玄龍。新聞記者として日清戦争に従軍。寛永寺で得度。明治43年(1910)に『元禄快挙別録』を著して以降、考証にもとづく江戸時代の研究に従事。多くの著作をまとめ、江戸学の祖といわれる。稲垣史生氏も、鳶魚の薫陶をうけた一人である。

立ち読みフロア
 チャンバラの興味

 剣劇というものがはやるのも随分久しいことでありますが、実は恐れ入ってしまって、ろくに見もしないようなわけであります。それがまた映画の方へも入り込んで、なかなか喜ばれているらしい。私が剣劇というものを見ましたのは、沢田正二郎が大隈会館の庭で、野外劇とでもいうのですか、高田の馬場をやって見せてくれました、後にも先にもこれがただ一回ですが、剣劇という方からすると、なかなか沢田は有力な役者であったようである。その沢田のやったのを見ますと、高田の馬場へ斬り込んで行く、後も先もない、そこに二三十人ばかりも出ている役者を、片っ端から斬り倒して、すぐおしまいになったのでありました。
 どこがおもしろいんだか、私にはわからなかった。芝居のことですから、写実といってみたところが、程度のある話でありますけれども、何にしても、あんなに一遍に人が斬れるものではありません。現にその高田の馬場で堀部安兵衛が斬りましたのは、村上庄右衛門兄弟とほかに二人、四人だけの話なのです。そればかりではない。例の『伊賀越(いがごえ)』〔『伊賀越道中双六』のこと〕などでも、三十六番斬りなんていうことをいっておりますが、実際はというと、相手の河合(かわい)又五郎の方で四人、渡辺数馬(かずま)の方が一人、両方でたった五人しか死んでいない。新吉原の百人斬りといわれる佐野次郎左衛門でも、死傷わずかに二人でありました。
 こんな例を尋ねていけば沢山ある話で、何程の手利きであったにしたところで、また、相手が大勢あるにしたところで、一人でそう大勢斬れるわけのものではない。例のチャンバラの興味というやつも、単に一人の強いところを見せるだけでなしに、斬合い・打合いをする凄じい光景を見せるところに、興味があるのかと思われる。子供等がチャンバラで嬉しがるのも、つまり敲(たた)き合いをするところにあるので、もう少し前の子供は、いくさごっこをやっておりました。それも、二十七八年戦役〔日清〕、三十七八年戦役〔日露〕と、大きな戦争が二つありましたが、その戦争なるものが機械的であって、一人の強さを見せるものでありませんから、どうも昔の武者絵で見るようなわけにはゆかない。間柄(まがら)十郎左衛門とか、本多平八郎とかいう強い人が出てきて、斬りまくる。それが華やかにも見える。一騎打ちの勝負なんていうものもありはしないのですから、武者絵に現われている様子というものは、少くとも四五百年以前のもので、伝えられているところの、戦記や軍書の興味からきているのです。
 それはまた、子供等がおもしろがるばかりではない。講釈の方でも修羅場(しゅらば)と申しまして、戦いの話を盛んにやる。真打(しんうち)になる者は、必ず一席は修羅場を読まなければならぬくらいのものでありましたが、それもいつしか衰えました。これは時世の変化のみならず、戦争の模様が変ったために、それから、受け取る興味が現代の人になくなったためでありましょう。なるほど、子供等もその後いくさごっこというものを致しません。そうして、わずかにチャンバラの興味をむさぼるに過ぎぬようになってしまった。戦争が機械的になったから、剣劇という一人の強さを見せるものがおもしろがられる。それには、またいろいろな趣向をつけて、なるべくみんなにおもしろいように見せもするのですが、それとても、大勢斬れるとか何とかいうことよりも、一体斬合いというものが、そうおもしろいわけのものではない。それは考えてみなくてもわかる話だと思います。

 歌舞伎の立回り

 新しく剣劇という名前で出てこない前、すなわち、歌舞伎でも、すでにチャンバラの模様を舞台へ持ち込んでおります。しかし、歌舞伎の時分には、まだ実際に斬合いということが、全く絶えたわけでありませんから、どうしても実際に引っ張られる。従って、今の剣劇のようなことは出来ない。今日の剣劇は、全くそういうことを知らない人間どもに向ってのみ、空想的に喜ばれるものであります。斬合いの興味というものは、実際おもしろくないものだけれども、歌舞伎ではおもしろいようなものにしてやっている。それはどういうのかといいますと、従来は、これを「立回り」といいまして、その方を担当する役者をタテ師という。これにはまたいろいろな法則や規則があり、特別な名称もあります。誰も知っているだけでも、

 千鳥・大回り・むなぎば・腹ぎば・横ぎば・ぎば・入鹿腰(いるかごし)・ひともかえり・二ッがえり・つづけがえり・逆立・杉立(すぎたち)・そくび落し・胸がえり・手這(てばい)・猿がえり・あとがえり・重ねどんどん・飛越(とびこえ)・ほくそがえり・死人がえり・かわむき・水車(みずぐるま)・一ッとこがえり・仕ぬき。

 なんていうような名目(みょうもく)が伝えられております。が、このうちの「ぎば」というのは、宙返りをすることなのです。こういういろいろな名目があります通り、立回りの仕方もいろいろある。それは、ただ人を多く斬るだけではおもしろくないから、斬られる方の人間どもが、いろいろなことをして引き立ててゆく。そこで、その方にタテ師というようなものも出来、中通(ちゅうどお)りの役者は、「蜻蛉(とんぼ)返り」ということを、必ず知っているのであります。
 一体「蜻蛉返り」という名は、進んで来た位置で、そのまま後ろへ退(さが)ることが出来るのは蜻蛉だけで、その他の動物にはない、そこから起こったものだという。今いったように、いろいろな名目はありますが、もとはといえば「蜻蛉返り」一つで、それからいろいろに変じてきたのです。ただ斬るだけでは興味がないから、斬られる方へ趣向をつけて、いわゆる舞台効果を多くする。その立回りなるものは、いかにもそらぞらしい、ばかばかしいものでありまして、考えたらとても見ていられるものではありません。
 ところで、昔の芝居すなわち歌舞伎の方で、この立回りを最も利用したものは、捕物であります。剣劇の方でも、しまいにはそこまでゆかなければならないから、どうしても捕物になるのですが、特に歌舞伎の方では、最も立回りの烈(はげ)しい、人間が多く出るのは捕物に限られている、といってもいいように思われます。

……冒頭より

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