「Yの悲劇」

エラリー・クイーン/田村隆一訳

ドットブック版 280KB/テキストファイル 277KB

500円

一九三二年、バーナビー・ロスという無名の新人が『Xの悲劇』という作品を発表してミステリー界にセンセーションをまきおこした。つづいてロスは本書『Yの悲劇』を発表し、前作にまさるともおとらない熱狂的な大好評を博した。これはやがて『Zの悲劇』『ドルリー・レーン最後の事件』の四部作として完結する。しかし、この作品が当時の新進作家エラリイ・クイーンの変名であることには、だれひとり気づかなかった。『Yの悲劇』はミステリー史上の傑作中の傑作という名に恥じない。

エラリー・クイーン
エラリー・クイーンは、従兄どうしのアメリカ人作家フレデリック・ダネイ(1905〜82)とマンフレッド・B・リー(1905〜71)の共同のペンネーム。二人は同年、ブルックリンに生まれ、典型的なニューヨーカーだった。1929年、クイーン警視の息子エラリー・クイーンが登場する『ローマ劇場毒殺事件』でデビュー、その後『ギリシア棺謀殺事件』『エジプト十字架事件』『フランスデパート殺人事件』などの「国名シリーズ」、『X』『Y』『Z』『最後の悲劇』からなる4部作の「悲劇シリーズ」など、最高の傑作を生み、アメリカ・ミステリー界を代表する作家となった。のちには「エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン」(EQMM)を創刊し、編集者・アンソロジストとしても活躍した。

立ち読みフロア
 まるでみにくいブルドッグを思わせる深海トロール船、ラヴィニアD号は、この問題の二月の午後、はるばると大西洋の波濤(はとう)をついて、サンディ岬をまわり、ハンコック堡塁(ほうるい)を横目ににらみ、船首を泡立(あわだ)て、船尾(せんび)に白い航跡をひきながら、まっしぐらにニューヨーク下湾へと入ってきた。漁の成績はさっぱりあがらず、汚(よご)れはてたデッキは屠殺場(とさつじょう)そのもの、船は大西洋の荒波にもみぬかれ、水夫たちは船長を、海を、魚を、鉛色の空を、そして左舷(さげん)に見えるスタテン島(ニューヨーク湾内の島)の荒涼とした海岸を呪(のろ)うばかりだった。酒壜(さけびん)が水夫たちの手から手へ渡った。水しぶきを浴びた防水外套(がいとう)の下で、水夫たちはガタガタと身をふるわせた。
 と、手すりにもたれながら、泡立つ緑のうねりを、うつろな目でながめていた大男が、突然、身をこわばらせると、その潮焼けした顔の目をむいて、大声でわめいた。水夫たちは、いっせいに大男の指さした方向に目をやった。一〇〇ヤードばかりはなれたところに、なにやらちいさな、黒いものが浮かんでいた。まぎれもなく人間、いや、まぎれもない人間の死体が湾内に漂っているのだ。
 水夫たちはとびあがった。「面舵(おもかじ)いっぱい!」舵手(だしゅ)がからだをねじるようにまげると、大声でどなった。ラヴィニアD号は、ありとあらゆる関節をきしませながら、いかにもぎこちなさそうに左に大きくまわりはじめた。それから、すごく慎重(しんちょう)な獣(けもの)のように、獲物(えもの)を遠巻きにしながら、じわじわとにじりよっていった。すっかり生気をとりもどした水夫たちは、この日の獲物のなかでも、いちばん珍妙な獲物をつりあげてくれようとばかりに、潮風のなかに鉤竿(かぎざお)をさかんにふりまわした。
 それから十五分後、その獲物は、水びたしのデッキの、悪臭を放つ海水だまりのなかにころがされてあった。ふにゃふにゃした、まるでぼろきれのような、原型をとどめぬ物体、だが、あきらかにこれは人間だった。死体の惨状からみて、何週間も深い海底で、潮にもてあそばれていたのにちがいなかった。水夫たちはだれひとり、口をきこうとするものもいなかった、ただ両手を腰にあて、足をひらいてデッキに立ちはだかっているばかりだった。死体にさわろうとするものもいなかった。

 かくして、死せる鼻孔(びこう)に魚と潮風のにおいをかがされながら、ヨーク・ハッターの最後の旅がはじまった。いわば、この男の棺(ひつぎ)は、うすぎたないトロール船、棺のにない手は、うろこだらけの作業服を着たひげ面(づら)のあらくれ水夫たち、鎮魂歌は水夫たちのぶつくさつぶやく呪い声と、ニューヨーク港へと吹きぬけてゆく風の音だった。
 ラヴィニアD号は、ぬれた鼻づらで泡立つ海面をかきわけてすすみ、バタリー公園(砲塁跡)の近くのちいさな桟橋(さんばし)につながれた。海から、思いもよらぬ船荷をつんで帰投したのだ。水夫たちはとび出し、船長がしわがれ声でどなった。港の役人たちはうなずいて、水びたしのデッキに目をやった。バタリーのせまくるしい港湾事務所では、ひっきりなしに電話のベルが鳴りだした。そして、ヨーク・ハッターは、防水布の下で、しずかに横たわっていた。さして時間はかからなかった。救急車がやって来た。白衣(びゃくい)の男たちがずぶぬれの船荷(・・)を運んだ。やがて死の行進は海をはなれた、挽歌(ばんか)は救急車のサイレンによって歌われた。ヨーク・ハッターは、ブロードウェイの下手(しもて)を通って、死体公示所へと運ばれた。

……冒頭部分より

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