「トリフィドの日」

ジョン・ウィンダム/志貴宏訳

ドットブック版 369KB/テキストファイル 268KB

700円

緑色の流星雨という珍しい天体ショーに見とれた人々は、みな盲目となった。そのとき有用植物トリフィドの栽培場で働いていたビルは、たまたまトリフィドの毒を持った鞭で目をやられて入院中で、眼帯をかけていたため、盲目をまぬがれた。盲目の人でいっぱいの大都市ロンドン! 追い討ちをかけるように、得体の知れない疫病が発生し、3本足で歩行するトリフィドが次々と脱走して人間を襲いはじめる……イギリスの鬼才SF作家によって1951年に書かれた破滅テーマの傑作SF。

ジョン・ウィンダム(1903〜69)イギリスのSF作家。全寮制私立学校を卒業後、いろいろな職業についたあと、SFをパルプ・マガジンに発表しはじめる。第二次大戦中は情報省に勤務。戦後の51年、「トリフィドの日」を手がけて一躍、破滅テーマSFの第一人者に。この作品はペンギンブックスに収録された最初のSFという名誉に輝いた。他の代表作に「海竜めざめる」「さなぎ」などがある。

立ち読みフロア
一 破局がはじまる

 今日は水曜日だとはっきり分かっているのに、まるで日曜日のように静かに一日がはじまる――こんなときには、どこかで、なにか、ただならぬ事態が発生しているものだ。
 そのことを、わたしは目が覚めたとたんに感じていた。それなのに、多少とも頭がはっきりしはじめると、もうその直感を疑っているしまつ――けっきょくのところ、へんなのはわたしのほうで、ほかのだれでもないのかもしれない――とはいえ、なぜ日曜日の朝みたいにひっそりしているのか、わかったわけでもない。わたしは疑問をいだいたままじっと待った。が、すぐさま、客観的証拠なるものの最初のかけらが手にはいった――遠くで時計が鳴り、たしかに八つ打ったように聞こえたのである。わたしは神経を集中して耳をすました。まもなく別の時計が鳴りはじめる。大きく、くっきりした音色で、のんびりと、まちがえようもなく、八時を告げる。そのとき、わたしは、なにか異変が起こったことを、はっきり悟ったのだった。
 わたしが世界の終わりを、つまり、ほぼ三十年ちかく暮らしてきたあの世界の終わりを見そびれたいきさつは、まったくの偶然である。多くの生存者の場合と同様に、理由を考えてみると、そうとしか言いようがない。世のつねとして、病院にはいつもかなりの数の患者が入院しているものだが、そのときは確率の法則がわたしを拾いあげ、一週間ばかり前から病院に放りこまれるめぐりあわせになったのだった。入院はそのさらに一週間前でも同じように起こりえただろうし、その場合には、いま、わたしがこの手記を書くこともなかった――いや、そもそも、わたしはもはやこの世に存在していないだろう。だが偶然は、たんにあの特別な時点でわたしが病院にいるようにしむけただけでなく、わたしの両眼が、というより実際はわたしの頭全体が包帯でぐるぐる巻きにされているように事をはこび――まさにそのことのために、わたしは確率をそのようにきめた何者かにたいして、心から感謝しなければならないのである。けれどもその朝はまだ、わたしはただいらいらしながら、いったいなにごとが起こったのかと疑惑にさいなまれていただけだった。なにしろ時計とは、病院では婦長のつぎに神聖で犯すべからざるものだということを学ぶには、じゅうぶんすぎるくらい入院していたわけだから。
 時計なしでは病院はまったく箍(たが)がはずれてしまう。どの瞬間にも、出産、死亡、投薬、食事、点燈、消燈、談話、勤務、睡眠、休息、診察、着替え、洗面などをめぐって、時計を見まもる者がいる――そして、それまでは、律法さながらに、かっきり午前七時三分にはだれかがやってきて、わたしに洗顔させ、きちんと身づくろいしてくれたのだった。個室の最大の長所のひとつにこのことがある。相部屋では、このさえない行事が、意味もなく、たっぷり一時間も早くはじまるからだ。が、この日は、正確度がそれぞれにちがう時計がひっきりなしに四方八方で八時を打っているというのに――まだだれも姿を見せなかった。
 例のスポンジ洗顔というやつはどうにも好きになれなくて、浴室まで手を引いていってくれればそんな手数をかけなくてすむのにと、聞きいれてもらえないことはわかっていても一度は言ってみなければ気がすまないほどだったのだけれど、さて、じっさいにそれがはじまらないとなると、まったく調子が狂ってしまった。それに、ふだんはそのすぐあとに朝食がはじまることになっていて、すでに空腹感があった。
 たぶん、どんな日の朝でも、こんなあつかいを受ければ憤慨したにちがいないが、とりわけこの日、五月八日水曜日という日は、わたし個人にとって特別に重要な意味をもっていた。だからこそ、なおさら、こういったうるさい日課が一刻も早く終わってほしいとじりじりしていた。その日、わたしは、包帯をはずしてもらうことになっていたからである。
 しばらく手さぐりして呼びりんのボタンをさがしあてると、連中にわたしがどう思っているか思い知らせてやるために、たっぷり五秒間、そのけたたましい音をくらわせてやった。それから、そんな半鐘さながらの音が当然引きおこすはずのかなり頭にきた反応を待ちうけながら、わたしはじいっと耳をすました。
 その日の外の気配は、そのときはじめてはっきりと気づいたのだが、わたしが思っていたよりもいっそう異様であった。街の騒音、というより騒音の欠如は、日曜日そのものよりもさらに日曜日らしかった。そこでわたしは、もういちどじっくり考えなおして、たとえなにごとが起きたにせよ、その日が水曜日であることだけはまちがいがないことを確認したのである。
 なぜ、セント・メリン病院の創立者たちは、病院を建てるにあたって、わざわざ地価の高いオフィス街の大通りの交差点をえらび、結果として患者の神経をたえまなく逆撫(さかな)でするようなことをしでかしたのか、この短所はどう考えてみてもわたしにはすっきり納得できない。だが、まあ、運よく病気の苦しみだけが問題で、跡切(とぎ)れることのない車の往来の耳ざわりな騒音など気にならない患者にとっては、たしかに、ベッドに寝ていながらなおかつ、いわば生活の流れから切りはなされないでいられるという長所になっていたと言えなくもない。きまって西行きのバスが交差点の信号を先越ししようと、すさまじい音をたてて病院のそばを走り、二度に一度は豚の悲鳴に似たブレーキの軋(きし)みと一斉射撃のようなマフラーの爆発音をたてて――この場合は信号をすりぬけるのに失敗したことを知らせてくれる。と、つぎは信号が青に変わったほうの道路で車がいっせいにエンジンをふかし轟音をひびかせて坂をのぼりはじめる。しかも、しょっちゅう幕間がはいる。すさまじい軋みにつづいて衝突する音が聞こえ、そのあとでいっさいの動きが止まってしまう――わたしのような状況におかれている者にはひどくじれったい時間だ。事故の大きさを、ただそのあとにつづく罵詈雑言(ばりぞうごん)の程度によって判断するしかないのだから。たしかに、昼はもちろん、夜もほとんどのあいだ、セント・メリンの入院患者にとって、まさしく自分ひとりがそのとき病床にあるせいで世の中の回転が止まってしまった、などという印象を受けるチャンスはまったくなかった。
 しかし、その朝はちがっていた。ちがっている原因がわからないために、おちつかなかった。くるまの音ひとつせず、うるさいバス一台とおらず、どんな種類の自動車の音も、まったく聞こえなかった。ブレーキの軋みも、ホーンの音も、いまだに時おりはとおっていた数少ない馬の蹄(ひづめ)の音も、なにひとつなかった。それだけならまだしも、この時刻には当然聞こえてくるはずの大勢の通勤者の足音さえない。

……冒頭より


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