「七面鳥殺人事件」

クレイグ・ライス/ 小笠原豊樹訳

ドットブック版 296KB/テキストファイル 224KB

700円

街頭写真師ビンゴとハンサムの両人は、ピカピカのロードスターに乗りこんで、意気揚々とハリウッドをめざしていた。まだ軍資金もあるしハリウッドに着きさえすれば成功の端緒をつかめるだろう。前途は明るかったが、サーズテイという田舎町で、二人は道路に飛び出してきた七面鳥を轢き殺してしまった。この突発事故で、詐欺には引っかかる、虎の子の金は奪われる、おまけ降って沸いたような殺人事件にまで巻き込まれてしまう…10年前の銀行強盗事件をめぐり、脱走犯、狂った美女、兇暴な七面鳥などが入りまじって、奇想天外の大騒動! クレイグ・ライスの真骨頂。

クレイグ・ライス(1908〜57) アガサ・クリスティの独創性、ダシール・ハメットのスピード感、ドロシー・セイヤーズのウィットを複合して独特の語り口で結合させたと評される、アメリカを代表する女性作家。笑いのある本格ミステリというユニークな作風は、他の追随をゆるさない。他の代表作に 「大あたり殺人事件」「大はずれ殺人事件」「こびと殺人事件」「幸運な死体」「スイートホーム殺人事件」「サンデーピジョン殺人事件」など。

立ち読みフロア
  白いセメントの道路は、小さな木立の脇をカーブし、低い丘にむかって上り坂になり始めた。坂の中途あたり、道ばたの大きな道標には、黒と白の文字で次のように書いてあった。

 スピードを落せ!
 まもなくサーズデイ

「スピードを落せよ、ハンサム」と、ビンゴ・リグスが言った。「田舎のポリ公ときたら、罰金二十ドルとなると、二マイル先から嗅ぎつけやがるからな」彼は不意にことばを切った。「なんて書いてあったっけ、今の道しるべに?」
「まもなく木曜日(サーズデイ)だってさ」と、ハンサム・クザックが言った。
「お前はそれでいいかもしれないが」とビンゴが言いきかせるように、「おれのコヨミじゃ今日はまだ月曜だぜ」
 ハンサムが、「町の名前なんだよ、サーズデイってのは。人口、一〇四二人。一八三九年に、ニューヨーク州から移住してきたジェイコブ・マクミリアンって人が始めた町なんだ。サーズデイは、豊かな農業地帯の中心部に位置し――」
「もういいよ」と、ビンゴはあわてて言い、溜息をついた。
「ニューヨークを発つ前に、お前に旅行案内を読ませちまったのが運のつきだ。それにしても、バカげた町の名前じゃないか」
「命名したのはジェイコブ・マクミリアンさ」とハンサム。
「どうしてかというと、ここに着いたのが木曜日だったんだ。中西部の町の名前には、こういうつけ方をされたのが沢山あるよ。たとえばウィスコンシン州の兵隊の墓(ソルジャーズ・グレイヴ)とか、イリノイ州の半日(ハーフデイ)とか」
半日(ハーフデイ)てのは、その町からどこかよその町へ行くのに半日かかるからってんだろう」とビンゴ。
「いいや、ちがうよ」と、ハンサムは大まじめに、「ハーフデイの位置する旧街道は、シカゴから――」
「うるさい!」とビンゴ。
 二人は、妙にしずまりかえった人口一〇四二の町、サーズデイに近づいて行った。
 ぴかぴか光る海老茶色のロードスターには、スーツケースが詰めこまれていた。うしろのタイヤ・カバーには、金色のペンキで次の文字が書いてある。

  リグス・アンド・クザック
  アメリカ国際・写真・映画・テレビ協会
  カリフォルニア州ハリウッド

「だって、ほんとにハリウッドへ行くんだから、かまわないだろ」と、この文字をペンキで書くとき、ビンゴは言いわけしたものである。
 ひと月前のこと、一連の幸運な事件のお蔭で、リグスとクザックは街頭写真屋から一躍――すくなくとも一時的には――金持階級の仲間入りをしたのだった。〔「サンデーピジョン殺人事件」参照〕。そこでビンゴがいろいろ考えた末、二人の独特な才能を充分に生かせる場所は、ハリウッドをおいてほかにないという結論に達したのである。それに途中で田舎を旅行できるということもある――二人ともブルックリンから先へ一度も出たことがないのだった。さて、海老茶色のロードスターと、犢(こうし)皮の高級スーツケース一式を買ったので、残金のうち、かなりの額が消えて失くなった。その残り――約一二〇〇ドル――は、ビンゴの紙入れに入っている。
「ハリウッドへ行きさえすりゃ、一週間で二倍になるんだぜ」と、彼はたびたびハンサムに請合ったのだった。
 あまつさえ、一二〇〇ドルは実のところ一一五〇ドルに減っていた。それに、二人のどちらかが、かつて握ったことのある程度の端た金がちょっぴり。
 街道は、丘の反対側を下って、サーズデイ町を貫通していた。ハンサムは、地方の交通法規以下の時速五マイルにスピードを落し、車はのろのろとメイン・ストリートを動いて行った。
 メイン・ストリートの長さが三ブロックあまりしかないサーズデイは、陰気な感じの田舎町だった。たいていの商店や事務所は、すすけた黄色い煉瓦づくりで、日除けの天幕を歩道に張り出している。だから、ファースト・ナショナル銀行のコンクリートづくりの灰色の前面(ファサード)は、まるで何かの記念碑のように人目をひき、新しい赤煉瓦の郵便局は、ほかの建物とくらべると巨大に見えた。商店街の先は、数ブロックのあいだ、街路樹の植わった通りになり、手入れのゆきとどいた木造家屋が道の両側にならんでいるが、やがて街路樹も歩道もなくなって、あまり手入れのゆきとどかない家が、一、二ブロックの長さだけ、ぽつりぽつりとつづく。その先には、一軒の大きな赤い木造家屋があり、こんな看板が出ていた。

  ジョウ・ヒブスとその息子、氷室

 最後には、道ばたの道標が声明していた。

  御苦労様でした
  サーズデイへ、またどうぞ

「おれたちゃ、ごめんだよ」とビンゴが言った。「スピードを出せ、ハンサム」
 ハンサムはスピードを出した。海老茶色のロードスターは、道路のカーブに沿って、急速力で走り出した。とつぜん、ブレーキが金切声を立てて軋み、混乱した叫び声と、鳥の啼き声のような音がきこえた。ハンサムはブレーキをかけながら、警笛を鳴らし、ぐいとハンドルを切った。何か大きくて黒いものが、車の鼻先にぶつかったのである。車は道を横切り、前の車輪をどぶに突っこんで、ストップした。
「お手やわらかに願うぜ」とビンゴ。「なんだい、ぶつかってきたのは?」車から下りた彼は、しばし呆気にとられて突っ立った。ビンゴは背がひくく、やせっぽちで、髪の毛は薄茶色、とがった貧相な顔立で、笑うと口がいやに大きくなる。今のいでたちはといえば、ハリウッド風の青いマンボ・ズボン、褐色のポロシャツ、それに二インチ巾の青と茶のチェックのジャケットを着ていた。
「ただの七面鳥さ」と、車の反対側に下りたハンサムが言った。この男はビンゴよりもたっぷり六インチは背が高く、その黒い髪には軽く天然パーマがかかっている。ネービー・ブルーのコーデュロイのマンボ・ズボンは、ちょっと汚れていたし、セーターは古物だった。
「なるほど、だから羽毛が生えてるってわけか」と、ビンゴがつぶやいた。「もののみごとにノビてらあ」
「いきなり道に跳び出してきたんだもの」とハンサム。「よけようとしたけど、駄目だったんだ。七面鳥はオシだってね。いつかの日曜版で読んだよ。一九三九年五月三日さ。二ページから九ページの左側のコラムに飛んでいた。右側のコラムには、首狩り族の記事が出ていたよ」
「お前はえらいよ」とビンゴ。「首狩り族の記事は何ページに飛んでいた?」
「十四ページさ」と、ハンサムはめんくらって言った。「なぜ」
「なぜでもない」とビンゴ。「おぼえてるかどうかと思っただけだよ」ハンサムと知り合って以来、この男の記憶力にビンゴはいつも感心しつづけてきたのだった。彼は、散乱した羽毛の山を見下ろした。「車に損害はなかったかい」
「片っ方のフェンダーにちょっと傷をつけられた」とハンサム。「こんなのすぐなおるよ」彼は片足の爪先で七面鳥をつついた。「これ、どうしよう」
「弁償だな」と、ビンゴはささやいた。「ほら、持主のお出ましだぜ」彼はハンサムを肘でつついて言った。「お前は黙ってろよ、交渉はおれが引き受けた」この警告はまったく不必要だった。
 ひょろりと背の高い仕事着姿の男が、ぷりぷりしながら、道を横切って、こっちへ近づいてきた。道の向うには、垣根で囲った庭があって、やかましい七面鳥が群をなして、ぐるぐるまわっていた。庭の奥には、小さな、ペンキを塗ってない、風雨にさらされた掘立小屋が立っている。
「訴えてやるぞ」と、百姓が道路を半分ほど横切った頃をみはからって、ビンゴがどなった。「こぎたねえ鳥を野放しにしやがって。生命財産をおびやかす行為だ。こちとらあ、車をぶっこわすとこだったんだぜ。あわや御陀仏だったんだぜ。訴えられても文句は言えめえ」
 百姓は車のそばまで来て、立ちどまった。死んだ七面鳥を見下ろした。道ばたに生い茂った雑草を狙って、正確に唾を命中させた。それから、「十ドル」と言った。
「十ドルだって!」とビンゴが喘いだ。「おれたちの車の修繕代は、十ドルなんかじゃききゃしないぜ。そのフェンダーを見てみろ。その傷を見てみろ」彼はハンサムの方に向き直って、「あすこをなおすのは、どれくらいかかるかな?」
「だって」と、ハンサムはめんくらって、「おれがやれば――」
 ビンゴはあやうくハンサムのことばをさえぎった。「なにしろ、えらい損害だぜ」と彼は百姓に言った。「だから弁償してもらわなきゃな。こぎたねえ七面鳥を道路に放し飼いにしたんだもの! 警察沙汰になっても仕方ないんだぜ」
 百姓はまた唾を吐いた。「十ドル」
「馬鹿も休み休み言え」と、ビンゴは真赤になった。「いいか、おい、今度だけは見逃がしてやるがな。今後きをつけねえと――」
「保安官を呼ばにゃならんようだな」と百姓が言った。
 ビンゴは怒ったように鼻を鳴らして、車のドアをあけた。
「町から保安官補を呼ばにゃならんようだな」と百姓が言った。まるで独り言のような口調である。「十ドル」
 ビンゴは溜息をついた。げっそりしたが、彼も負けてはいない。「そんなうすぎたねえ鳥が十ドルなんて、あんまりむちゃくちゃじゃねえか」
「これは賞をもらった七面鳥だったんでな」と、悲しそうに百姓が言った。「きっと一人で垣根を越えたんだよ」
「賞をもらった七面鳥だなんて、どうして分る?」と、ビンゴが挑んだ。「あそこの七面鳥どもは、どいつもこいつも、おんなじように見えるぜ」
「あれはみな、賞をもらった七面鳥だ」というのが返事だった。「あそこにいるのは、みなそうだ。十一月になりゃ、どいつも一羽十ドルで売る」
……巻頭より


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