「ねじの回転」

ヘンリー・ジェイムズ/谷本泰子訳

ドットブック 276KB/テキストファイル 117KB

400円

邪悪な男女の亡霊が、うぶな子どもたちを悪へと誘う。それを救おうと孤独な闘いをつづける女家庭教師。虚構と現実が渾然ととけあい、緊迫感あふれるシーンがつぎつぎと展開して、物語は一気に破局へ。心の奥にひそむ悪をテーマにした「亡霊物語」の傑作。

ヘンリー・ジェイムズ(1843〜1916)イギリスで活躍した米国生まれの作家。ヨーロッパを広範に歩きまわり、ヨーロッパ的な視点とアメリカ的な視点とを融合させた独特の作品を数多く書き残した。19世紀から20世紀の英米文学を代表する小説家である。兄はプラグマティズムを代表する哲学者ウィリアム・ジェイムズ。代表作に「ある婦人の肖像」「デイジー・ミラー」「使者たち」など。

立ち読みフロア
 その話はかなりの効果をあげ、暖炉のまわりに集まった私たちはかたずをのんで聞き入っていた。しかし、クリスマス・イヴに古いお屋敷で聞く不思議な話としてはしごく当り前の、気味が悪いね、というつぶやき以外どんな感想も出なかったように思う。ところが、だれかがふと、子供がそんな目にあうなんてこれまで聞いたこともなかった、とつぶやいた。その話とは、ちょうど今私たちが集まっているような古い屋敷に幽霊が――それも恐ろしい幽霊が――母親のかたわらで眠っている幼い男の子の許に現われる話である。その子はこわくて母親を起こすが、恐れおののく子供をなだめてもう一度寝かせつけようとしているうちに、母親の方も子供を驚かせた恐ろしい光景を目撃することになるのだ。こんな話は初めてだ、とだれかが言ったその言葉を受けて、ダグラスが――その時すぐにではなく夜もふけてから――語った話が興味深い方向へと発展していくことになった。その時他のだれかが大しておもしろくもない話をしていたが、ダグラスは上の空で聞いているように見えた。きっと彼自身話したいことがある証拠だ、そのうち何か言い出すぞ、と私は思った。私たちはじっさい二晩待たされたが、その同じ夜、皆がそれぞれの寝室に引き下がる前に、彼は心に思っていたことを切り出した。
「ぼくもまったく同感だ、――先ほどのグリフィンさんのお話の幽霊にしろ、また何にしろ――そんなものが年端(としは)も行かぬ少年の許に現われたのはいたましいかぎりだねえ。ただ子供が関係した幽霊の話なら、ぼくは他にも知ってるよ。子供の許に現われたというので、幽霊話の効果のねじが一ひねり強く回転することになるのなら、子供が二人ならどういうことになるだろうね?」
「もちろんそれなら」とだれかが大声で答えた。「二人の子供なら、ねじは二回転するさ! 是非ともその話を聞かせてほしいね!」
 暖炉の前のダグラスの姿が今でも目に見えるようだ。彼は立ち上がって火に背を向けていたが、両手をポケットに入れたまま相手を見おろした。「ぼくしか聞いたことのない話なんだ。ひどく恐ろしいんだ」
 そいつは最高の値打ちものだ、と皆口々に断言した。この声援を受けて、我らが友人は勝利も間近いという様子で、それとない手口で私たちの好奇心をつのらせながら言葉を続けた。「どんな話もこれには及ばないだろう。これに匹敵するものは一つもないと思うよ」
「そんなに恐ろしいのかい?」と私が尋ねたのを覚えている。
 それほど単純なことじゃない、と彼は言っているようであり、じっさいどう説明していいか迷っているようだった。彼は手を両方の目に当てて、ちょっとひるむように顔をゆがめた。
「恐ろしいんだ、ぞっとするほど恐ろしい」
「まあ、ぞくぞくするわ!」と一人の婦人客が叫んだ。
 ダグラスはその婦人の言葉を気にもとめず私の方を見ていたが、まるで私の姿など目に写らず、自分の話の内容を見つめているようであった。「薄気味の悪い醜悪(しゅうあく)な話さ、恐ろしい痛ましい話なんだ」
「それじゃあ」と私は言った。「すぐここに坐って話を始めるさ」
 彼は暖炉の方に向きなおった。薪を足で蹴り、ちょっとそれを見ていた。それからもう一度私たちの方に顔を向けた。「話を始めるわけにはいかないんだ。街に使いをやらなきゃいけない」これを聞くと皆一斉にざわめき、ぶつぶつ不平を言った。それが静まるとダグラスは物思いにふけっている様子で説明した。「その話は書きとめてあるんだ。鍵をかけた引き出しに入れてある――何年間もしまい込んだままだ。召使いに手紙を書き、鍵を入れて届けることはできるがね。包みが見つかれば彼は送って寄こすだろう」
ダグラスは特に私に向かって相談を持ちかけているようであった。ためらう気持を断ち切る助けを私に求めている風でさえあった。彼は幾年もの冬を経てできあがった厚い氷に割れ目を入れたのだ。長年沈黙を保っていたのには理由があったはずだ。他の客は話が先に延びることに不平を言ったが、彼のためらいこそ私にとっては大きな魅力だった。朝の一便で手紙を送り、早く話を聞かせてほしいという皆の望みをかなえてくれるよう、私は彼に懇願した。そして私は、それは君の経験談なのかい、と尋ねた。するとダグラスは即座に否定した。「いやちがう、ありがたいことにね!」
「じゃあ記録は君のかい? 君が書きとめたのかい?」
「いや、ぼくのは印象だけなんだ、それならここにしまってある」――彼は自分の胸をたたいてみせた。「いっときだってなくしたことはないよ」
「じゃあ君の手記というのは――?」
「古い薄れかかったインクで、非常に美しい字で書いてある」ここでまた彼は言葉をとぎらせた。「ある女性の手記なんだ。二十年も前に死んだ女性(ひと)なんだが、死ぬ前にその手記をぼくの所に送ってきたんだ」
 今やだれもが彼の言葉に聞き入っていた。もちろんひやかし好きがいたし、そうでなくとも、二人の関係をあれこれ推論したがる者がいた。彼はにこりともせず、一同の推論をかわしてしまったが、別にいらだっている風でもなかった。「彼女は非常に魅力的な女性だった。ただぼくより十歳年上で、妹の家庭教師をしていたんだ」と彼は静かな口調で言った。「家庭教師としては最高に感じのいい女性だった。どんな立場にいても、立派にやっていける女性だ。ずっと昔のことだよ。それに話というのは、それより更にずっと以前のことなんだ。ぼくはトリニティ〔オックスフォードあるいはケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジ〕の学生だった。それで二年目の夏に帰省してみたら、家に彼女がいたんだ。その夏は家にいることが多かった。すばらしい夏休みだったよ――彼女の手があいている時など、ぼくたちよく一緒に庭を散歩して話し合ったものだ――話をしていると、彼女は驚くほど頭がいいし、またとてもいい人だということがわかるんだ。ああそうだとも、にやにやすることはないさ。ぼくは彼女がとても好きだったし、あの人もぼくを好いていてくれたと思うと、今だってうれしいんだ。そうでなくちゃあ、ぼくにその話はしなかったと思うよ。他のだれにも話さなかったんだからね。あの人がそう言ってただけじゃあないよ。話してないことをぼくは知ってたんだ。その点はたしかだし、ぼくにはそれがわかってたんだ。君たちだって話を聞けば、すぐその理由がわかるさ」
「ひどく恐ろしい話だからかい?」
 彼は依然として私をじっと見つめていた。「すぐわかるだろう」彼はもう一度言った。「君ならきっとわかるよ」

……冒頭より


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