「浮かれ女盛衰記」(上・下)

バルザック/寺田透訳

(上)ドットブック 380KB/テキストファイル 316KB

(下)ドットブック 331KB/テキストファイル 263KB

各巻800円

最初は娼婦の話。第二部はアルザスのユダヤ人、ニュシンゲンで、第三部がリュシアンですか、それから最後がヴォートラン。この四部がゆるやかな形でつながっていて、一つ一つを読んでもいいわけだし、通して読んでもいい。また他の作品、とくに『幻滅』なり『ゴリオ爺さん』との流れで見ていってもいいし(池内紀)……ええ、「人間喜劇」というのは複合体ですから、みんなそうです。でもやはりこの小説を支えているのはヴォートランで、これで三回目の登場ですから、あのすごい悪党だというイメージを読者はもう共有している。ヴォートランはどうなるのかという興味で先を読まずにはおれません。名場面というか、見せ揚というか、私のようなヴォートラン狂は、歌舞伎役者の「見得」を待つのと同じで、知っているのに、また同じ場面を心待ちにする。たとえば検事総長とヴォートランの対決のシーンがそうですし、それ以上にリュシアンの死の場面と、その死を知ったヴォートランを描くシーン。泣かされます。やはり傑作なんだと思います(山田登世子)。――『ゴリオ爺さん』『幻滅』に続きヴォートラン三部作完結!

バルザック(1799〜1850)ユゴー、デュマとならぶ19世紀フランスを代表する作家。パリ大学に学ぶが中退して文学を志す。出版、印刷などを手がけて失敗したあと、負債返済のために頑張り「ふくろう党」で成功。以後、みずから「人間喜劇」と名づけた膨大な小説群を生み出した。代表作「ウジェニー・グランデ」「ゴリオ爺さん」「従妹ベット」「従兄ポンス」「風流滑稽譚」など。20年間、毎日50杯のコーヒーを飲みつづけて創作に打ち込んだ逸話は、派手な女性遍歴と浪費癖とともに有名。

立ち読みフロア
 一八二四年掉尾のオペラ座の舞踏会で仮装した多くの人々は、ひとりの青年の美貌にはっとした。青年はいかにも思いがけぬいきさつから住まいにひき止められてしまった婦人を捜す人間と言った歩き方で、廊下や休憩室を歩き廻っていた。のんきたらしくなるかと思うとせかせかして来るこういう歩き振りの秘密を知るのは、ただ老いの声を聞いた女とひまにあかせて歩き廻っているうちに目の肥えて来た限られた数の人々だけである。こういう際限もなく大きい人混みの中では、群衆はほとんど群衆に目をくれず、利害心は熱烈で、『無為』そのものにすでに屈託があるのだ。若い伊達者(ダンディー)は気がかりな人捜しによほど夢中になっていると見えて、自分が人気をさらったことに気がつかなかった。仮装人物の中には嘲笑半分に嘆賞の声を放つものがあったが、その嘆声も、心底からの驚きも、どぎつい冷やかしも優にやさしい言葉も、彼の耳にも入らねば目にもつかなかった。美貌の点からいえば彼はオペラ座の舞踏会に色事を求めにやって来て、ちょうどあのフラスカチ〔賭博場の名〕在世当時玉ころがしの賭場で運のいい目を人々が心待ちにしていたのと同じように、色事を待ちもうける特別の人間の仲間に入れて差支えない若者であったが、見たところ彼は当夜の自分に俗っぽい確信を持っているようだった。きっとオペラ座の仮装舞踏会のお定りの筋書となっている例の登場者が三人あって、自分で役を持っているものにしかわからない三位一体もどきの神秘劇の主人公であるに違いなかった。こんなことを言うのは、「私、見たわよ」と言いたいばかりにやって来る若い女性にとっても、田舎から出て来たものにとっても、経験を積んでいない若者にとっても、外国人にとっても、こういう場合のオペラ座は疲労と倦怠の宮殿の観があるに相違ないからである。そういう人々にとっては、堆(うず)高い木片(きぎ)れの上に群れる蟻どもとしかたとえようのない、こういう黒ずくめのなりをして、行ったり来たり、曲ったり向きをかえたり、また向き直ったり、上ったり降りたりする、ゆっくりしていてしかもせわしない人の群れは、国債台帳の存在を知らないバ・ブルターニュの百姓にとって取引所が不可解なのに劣らず不可解なものである。たまにある例外をのぞけば、パリでは男が仮装するということはまったくない。ドミノを着た男などおかしく思われる。この点に国民の精髄は赫奕(かくやく)と現われている。自分の幸福を隠しておきたい人々はそんなものの世話にはならずにオペラ座の舞踏会に出かけられるし、またどうしても中に入らなければならないわけのある仮装人物はすぐさま外に出てしまう。舞踏会の始まるとき上って行く人と押しあいへしあい逃げ出す人の波が、木戸口のところに生み出す混雑は、世にもおもしろい眺めである。そこで仮装した男は焼き餅を焼いて妻の様子をひそかにうかがいに来る夫か、または妻の探索を受けまいと思う艶福な夫かで、どちらにしても同じように物笑いの種になる立場である。ところで青年だが、太って丈の低い、樽がころがるような歩きつきの、殺人者に扮した仮装人物が青年の知らぬ間にその後をつけていた。オペラ座の定連なら誰にでもこのドミノからは、行政官・両替商・銀行家・公証人、それに何ときまったことはないが自分の女に不貞の疑いをかけている町場の人間が覗けて見えるのだった。実際、ずっと上流の社会には、恥になるような証拠のあとをつけまわす人間は決していない。すでにこの醜怪な人物を笑いながら目顔で示しあう仮装の人々は多数あったし、彼に非難の声を投げるものもあったし、いくたりかの青年は彼を嘲笑していた。しかし彼の肩幅といい態度といい、そういう手ごたえのない仕業(しわざ)に対しては、歴然とした軽侮を示していた。そして青年の行くあと行くあととつけまわすありさまは、追いつめられた猪が耳もとで唸りを立てる鉄砲玉も、また後ろで吠える犬も気にかけないで進んで行くのにそっくりだった。オペラ座の舞踏会では最初のうちこそ楽しみと不安は同じお仕着せ、つまりあの有名なヴェネチア風の黒衣をつけてもいるし、すべてが混沌としているが、パリの社会を構成している種々さまざまの団体はやがて再びそれぞれ相手の姿を見出し、それと見定め、じろじろ様子をうかがうのである。誰それといわれるようなその道の達人には非常に明確な観念があって、この摩訶不思議な利害のもつれも、たとえば面白い小説と同じように読み分けることができるものなのだ。従って定連たちの見るところでは、この人間は女とよろしくやっている男ではありえなかった。それならそれでじっくりとととのえられた幸福の目標(めじるし)となる赤か白か緑の、きまった標(しるし)を何かかならずつけているべきであった。復讐ででもあるのだろうか。冥加(みょうが)な男をこれほど間近かからつけている仮装人物を見て、閑人たちが何人か、この世のものとは思われない歓楽の曙光に染まった美貌の青年の方にもどって行った。青年は興味をそそった。彼が歩けば、歩くだけ余計に好奇心を呼びおこした。のみならず彼の身にそなわったものは、どれをとってもなまめかしい生活が習慣となっていることを示していた。当節の宿命的な法則に従って、公爵上院議員の子息のうちのもっとも隆として教養のある人間と、このパリのどまん中で最前まで鉄のような貧窮の手にしめつけられていた美青年の間には、肉体的にも精神的にも相違はあまりなかった。美貌と若さの仮面は彼のうちに横わる深い陥没を覆いかくすことができた。それはパリで、自分の自負に必要な資金を所有せずになんらかの役割を演じたいと思い、そうして、毎日々々この王城の中で最も阿諛追従を受けている神、すなわち『偶然』に生贄(いけにえ)を捧げ、それによって一か撥(ばち)かの危険をおかしている多くの青年に見られる例である。とはいえ彼のなり、彼の身ごなしには一点非の打ちどころはなかった。いかにもオペラ座の定連らしく休憩室の昔ゆかしい嵌木(はめき)細工の床を彼は踏みあらしていた。パリのあらゆる地帯におけると同じように、ここでもまた、あなたが何者であるか、何をしているか、どこから来たか、また何を欲しているかをさらけ出してしまうあるあり方があるということに、誰が気づかなかったであろうか。
「美青年ね、ここからだと振り返って見られるわ」と一人の仮装人物が言った。舞踏会の定連が見ればそれが身分のある婦人の仮装だということがわかった。
「思い出せませんか。でもうちの奥さんがあなたに紹介したはずですがね……」とその女に腕をかしている男が言った。
「あら。あれ、あの人が夢中になった生薬屋の息子なの。コラリーの恋人で、新聞記者になったとかいう」
「あの男は落ちぶれきったので、とても浮かびあがることはできまいと思っていたんですがね。どうしてまたパリの社交界に姿を見せるようになったのか、合点が行かんですよ」とシクスト・デュ・シャトレ伯爵は言った。

……「第一部 遊女はどんな愛し方をするか」巻頭より


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