「陸橋殺人事件」

ロナルド・A・ノックス/宇野利泰訳

ドットブック 563KB/テキストファイル 167KB

600円

古典ミステリーの必読書とまでいわれるノックスの代表作。イングランドの田舎の鉄道陸橋下で、判別ができないほど顔のつぶれた男の死体が発見される。発見者は陸橋近くのゴルフ場でプレイ中の4人組だった。自殺か他殺か、それとも単なる事故なのか? 警察の調べのすすむなか、推理小説ファンの4人はそれぞれ独自の見解を披露していく。

ロナルド・ノックス(1888〜1957)イギリスの聖職者・神学者で推理作家。チェスタートンの影響でカトリックに改宗し、最終的には大司教にまでなった。ミステリーの代表作は「陸橋殺人事件」で、この作品は古典ミステリーの必読書とまでいわれている。

立ち読みフロア
 この世に不用のものなど、一つだってありはしないのだ。動物の死骸は植物の肥料になるし、廃棄処分寸前の郵便受けには、蜜蜂の群れが巣をつくろうとする。大戦が終わったので、軍需品製造工場は使い途(みち)を失ったが、やがては誰かが適当な利用方法を考えだすことだろう。そして、イングランドにはまだたくさんの荘園(しょうえん)屋敷が残っていて、様式美ゆたかな段丘(だんきゅう)状の庭園の真ん中で太陽の光を浴び、ときには遠慮知らずのツーリストたちが、昔ながらの玄関前の並木道まで入りこんでくるのを(彼らとしても、この由緒ある建物に敬意を表する気持ちで、わざわざ回り道をして来たのであろうが)睨みつけて、もと来た公道へ追い返そうとしている。このような荘園屋敷が、今の世のイギリス貴族たちの抱える難問の一つで、その維持費だけでも莫大(ばくだい)なものなのだ。そこで貴族たちは賃貸しを決意して不動産業者に相談するが、業者は子供の機嫌をとるかのようににやにや笑って、戦後の社会には新興成金がわんさといるので、現代の情勢に適応するように計らいますから、わたしに任せておいてくださいと言う。建物自体は老朽(ろうきゅう)が激しくて、スクラップの山としか見ることができないが、敷地のほうはゴルフ場を造成するのにじゅうぶんな広さがある。といったわけで、数世紀のあいだ鍬(すき)が入るのを頑強(がんきょう)に拒否していた土地の多くが、いまはみな、九番アイアンの蹂躙(じゅうりん)に甘んじている現状なのだ。しかし、グリーンを大勢のゴルファーたちが往き来することで、荘園屋敷当時の、手入れが行き届いて柔らかい芝生が思い出されてくる。おそらくは、かつての良き日の亡霊どもがさまよい歩き、ゴルファーたちはそのあいだを縫うようにして、プレイを行なっているのであろう。
 パストン・オートヴィルは(ここで読者諸賢のご注意を喚起(かんき)しておくが、たいていの小説は冒頭二段目のパラグラフで、事件発生の場所を明らかにするものである。その際、架空の地名を記すような作者は、あまり信頼なさらぬほうがよろしい)、人知(じんち)では測りがたい神の摂理が、事件の性質上、特別に選択した場所とみてよさそうだ。かつてはこの土地に、イタリア建築様式の豪壮な建物が聳(そび)えていた。十五代目の当主のオートヴィル卿(きょう)が、その権威を誇示するために(卿は賢明にも、南海会社の泡沫(ほうまつ)株をいち早く売り逃げた)建築したものだった〔南海会社は一七一一年に設立された南米貿易の独占企業で、当時の投機熱に乗じて株が暴騰(ぼうとう)したが、十年後には破産した〕。
 ところがこの建物は、前世紀の九十年代に失火して、駆けつけた消防隊員が遠慮がちながら、いちおうは精力的な活躍をしたものの、その夜一晩燃えつづけた。つまり、火の神ウルカヌスの猛威に、水の神アケロオスの暴力が加わったわけで、大破壊が完遂され、あとには骨格だけの惨めな残骸をさらす憂き目を見た。かつての豪奢(ごうしゃ)な大邸宅も、いまは壁紙でつくろった部屋と歪みを削りとったマントルピースが恥ずかしげな顔を見せている状態で、玩具の家のカーテン同様のひ弱な隔壁(かくへき)が四隅でめくれかかっているのに似ていた。騎士たちが貴婦人に慇懃(いんぎん)だった王朝制華やかな頃には、この屋敷の舞踏室にしろ化粧部屋にしろ、幾多の情事の秘密を見守っていたものだが、いまは化粧しっくい仕立ての正面玄関が控え目な役目をつとめているにすぎない。今日のみじめな部屋部屋には、もはやその高貴な秘密を眺める機会の訪れることがないのであろう。庭園もまた崩壊の病いに蝕(むしば)まれて、舖石伝いの散歩道に雑草がはびこり、砕け落ちそうな手摺(てす)りも放置されたままだ。そこではまだ、我慢づよい草木が花をつけようとするものの、生い茂る雑草に息の根をとめられかけている。いうなればこの荘園全体が、落ちぶれながらも体面をつくろいたがるアンシャン・レジーム当時のフランス貴族を連想させる。しかし、オートヴィル家の人々には再建の意向がなくて、ただ慎ましく、荘園の片隅にある古ぼけた家屋に引き籠(こ)もった。これは一世紀半のあいだ、荘園主死亡後の未亡人用に保存されていた煉瓦と木材による小ぢんまりした建物だが、やがてはそこでの切り詰めた生活までが費用が嵩(かさ)みすぎるとの判断から、荘園ごと売却されることになった。
 以上がパストン・オートヴィルの歴史だが、これに哀悼(あいとう)の言葉を手向(たむ)ける必要はない。とはいえ、荘園であった土地の神聖さは、ゴルフ同様に永続性を持つものらしくて、荘園屋敷の建物がクラブに改築されると、折りよく鉄道が敷設(ふせつ)されたことも手伝って、人家まばらな田園だったそのあたりが、郊外住宅地の趣(おもむ)きを呈してきた。汽車に乗ればロンドンからわずか一時間の距離で、クラブが会員専用の排他的なものでなかったら、その所要時間の四分の三で到着した気持ちになることができたであろう。いつのまにかクラブハウスの周辺に、ガレージ付きのバンガローと、ビリヤード室のあるコテージが建ち並んだ。その数はおよそ三、四十軒で、いずれも砕石(さいせき)埋め込みの外壁に赤色瓦屋根の簡易住宅だが、一人の建築師の頭脳が産んだ設計なのを巧みにつくろって、建築様式を部分的に変えてあった。そして住民たちの生活の中心であるこれらの建物群――そこにはまだ、教会堂、町役場、公設市場などがあった――の中央に、かつてのオートヴィル家の未亡人用の家、現在のクラブハウスが建っていた。ただし、この建物は理事者たち全員一致の意見で増築されてはいるが、暗黙のうちに旧(ふる)くからの建築様式を変更しない方針がとられたので、拡張部分もやはり煉瓦を一部に使用しただけの木造建築である。したがって雨の降る日は羽目板が反(そ)り返り、はがれそうになる欠点を持つ。とはいうものの、正確なところ、この建物はクラブハウスというよりも高級ホテルと呼ぶべきであろう。教会との関係が浅からぬので、僧院施設の印象が濃いが、もちろんそのようなものではなくて、宿泊者たちはその快適な部屋を、もっぱら唯一の目的――ゴルフのために利用しているのである。彼らは日に二回、ゴルフコースへ出かけてゆく。ベネディクト教団の修道士たちが、厳粛な顔つきとゆっくりした足どりで、朝夕の祈りに礼拝堂に赴(おもむ)くのとそっくりなのだ。そして夜間には、宿泊者たち一同が顔を揃えて、彼らの宗教ともいうべきゴルフ・ゲームの神秘性について論じあうのだった。
 いま思い出したが、村の教会堂のことを言い忘れた。この土地には農民たちの村落が残存していて、イギリスの農村の多くがそうであるように、家々が戦術にいう中空方陣の隊形で、教会堂を囲む位置に散在している。古い時代における教会堂は、農民と領主とのあいだに介在する神の御座ともいうべきところで、荘園主は必要に応じて、この教会堂内で小作民たちとの宥和(ゆうわ)を計った。建物はオートヴィル家の荘園が成立する以前のもので、聖域として政治勢力の動向と隔絶(かくぜつ)していたことが、今ではかえって、新教徒革命当時の寄生的産物とみられる原因となった。さらに現代の人々の目には、ゴルフ産業の副産物としか映っていない。たとえば、教会堂への道を尋ねると(そこに用があるような信心深い人々はめったに現われぬものだが)、十五番コースをまっすぐ行けばいい、といった返事が戻ってくるはずだ。日曜日の朝の礼拝は九時半から行なわれて、早朝のコースでワン・ラウンドを試みたいゴルファーたちに、神へのつとめという、実行のほどは疑わしいが、もっともらしい口実をあてがってくれる。そして、その日の午後に葬儀が行なわれぬかぎり、墓掘り男がキャディの役目をつとめることになる。このような状況と符合したように、ここの教会区を預る牧師が無類のゴルフ好きだった。不在地主である荘園主から招聘(しょうへい)されると、潤沢(じゅんたく)な聖職給の魅力に引かれて受諾したのだが、赴任(ふにん)してみると、彼が住むことになった牧師館は、一番ティーから歩いて二十分以上の距離にあった。そこで彼は、牧師館を賃貸しして、クラブハウスの一室を居住の場所にした。理由がないわけでもなかった。教会区民の生活は、クラブハウスを中心にして営まれているというのだった。この牧師の顔を見たいときは、クラブハウスの喫煙室のドアを開ければいい。その日、十月のある日の午後も、彼は雨と霧に閉じこめられた三人のゴルフ仲間を相手に、喫煙室で話しあっていた。この四人組がすなわち、これから展開する物語の主要人物なのだ。

……冒頭より

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