「ヴィドック回想録(1〜4)」

フランソワ・ヴィドック/三宅一郎訳

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各600円

フランソワ・ヴィドック(1775〜1857)の生涯は伝説に彩られている。若いときは変装の名人、また腕利きの泥棒として活躍したが、のち、その腕と知識を買われて、フランス最初の秘密警察の一員となって、犯罪人を追及する仕事についた。そのため、史上最初の「探偵」とも言われたりする。ヴィドックは法の裏面に通じ、その生涯は法の執行人と犯罪人との境界線をいったりきたりした。彼はその波乱にみちた人生のなかで、次から次へと悶着を引き起こし、何度も投獄の憂き目にあったが、そのたびにうまくチャンスをつかんで苦境から脱した。この回想録は、そうした自分の体験を赤裸々に記したものとして有名で、見世物一座、海賊船、刑務所、美貌の女性の私室をふくめて、1830年代フランスの世俗の暮らしを垣間見せてくれる。全4巻。

この回想録は当時各国語に翻訳されてベストセラーになった。ヴィドックはバルザックとも会ったことがあるらしく、『ゴリオ爺さん』『幻滅』など彼の多くの作品に登場するヴォートランは、ヴィドックがモデルといわれ、ユゴーの『レ・ミゼラブル』の主人公ジャン・ヴァルジャンと警視ジャベールも、ヴィドックが原型といわれる。

立ち読みフロア
一 悪童時代

 私はアラスで生まれた。しょっちゅう変装して顔かたちを変え、老(ふ)けづくりにする好みもあって、私の年齢について、世間では、まちまちなことを言っているので、ここではっきりさせておくのは余計なことではあるまい。私は、一七七五年七月二十三日に、この世に現われた。場所は、その十六年前にロベスピエールが生まれた家の隣家であった。夜だった。雨が滝のように降り、ごろごろと雷が鳴っていた。産婆と巫女(みこ)を兼ねていた名付親は、私の生涯が波瀾に富んだものになるだろうと御託宣を下した。そのころは、まだまだ前兆などを信ずる者が大勢おった。しかし、何事も当時より明らかになっている今日では、おしゃべりな小母さんたちでもなければルノルマン女史〔一七七二〜一八四三、革命当時の占い師、ロベスピエールやダントンなども占ってもらったという〕の言うことでも何人の人間が信ずるだろうか。

見習いパン職人

 それはさておき、大気が、わざわざ私のために引っくりかえるように騒ぐとは考えられないし、たとい、ときには珍しい現象が人を迷わすことがあるとしても、天の高みで神さまが私の誕生を気にかけていたとはまったく思わない。私は、たいへん頑丈な体質にめぐまれ、からだの材料が気前よく使われていた。だから、生まれてすぐから二歳の子供だと思われたくらいだった。つまり、そのときからもう、運動競技者のような体格や強大な身体構造を前もって表わしていたわけで、以来、いかにも大胆不敵でごつい奴らでも、ぞっと怖がらせることができた。
 父親の家は練兵場に面していて、いつも界隈の腕白小僧たちが集まり、私は、たっぷり時間をかけて仲間を殴るのがお定まりになり、そうやって自分の腕力をきたえた。すると、さっそく親たちが私のしたことに苦情を申し込んできた。私の家では、やれ耳をむしられたとか眼にアザを付けられたとか、着物を千切られたなどという声ばかりが聞かれた。八歳になると、私は、隣り近所の犬や猫や子供たちの恐怖のまとになり、十三歳のときには、攻撃されて身をかわさずに、かなり上手に稽古刀が使えるようになった。私が守備隊の軍人たちのところに入りびたっていたのを知っていた父親は、私の剣道の上達を不安がり、最初の聖体拝領を受けさせる旨を言い渡した。二人の信心家が、その厳粛な儀式の準備を引き受けたが、かれらの教えから受けた成果がどんなものかは神さまがご存知だ。と同時に、父親の職業だったパン製造業の修業を始めた。私には年上の兄がいたが、親父は私に跡を継がせる気でいた。
 私の主な仕事は、パンを町へ運ぶことだった。この用事を利用して、しょっちゅう剣術道場に立寄った。両親は、このことを知らなかったが、配達先の料理女たちが私の気くばりや正確さを大袈裟にホメてくれていたので、たびたびサボっていることに眼をつぶっていた。帳場の銭箱はいつも鍵を挿(さ)しこんだままになっていたが、引出しの金が不足しているのを確かめるまではかれらの我慢は続いた。ところが、私と競争をして売上金をくすねていた兄が現行犯でつかまり、リールのパン屋へ奉公に出された。私には、その理由は知らされなかったが、兄の処刑があった翌日、いつものようにクスネてやろうとしたところ、福の神の引出しに鍵がかかって、きっちり閉めてあるのに気付いた。そして、同じ日、親父が、もっと配達巡路を早くまわって決まった時間に戻ってこいと言い渡した。こうなると、それからの私は、金も自由もないことがはっきりして、その二重の不幸が面白くなく、私より年上のポワイアンという名の友だちに急いで事の次第を話したところ、銭箱には金を入れる切り穴があるから、とりあえず鳥モチを塗ったカラスの羽根を穴に突っこんでみたらと教えてくれた。だが、この奇抜な方法では軽い小銭しか手に入らず、とどのつまりは合鍵を使うことに落ちつき、巡査の倅(せがれ)に作らせてくれた。そこで、私は、またぞろ銭箱からくすねることができるようになり、私たちのシマの根城(どや)にしていた宿屋の部屋で、みんなと一緒に盗んだ金で買ったものを飲み食いした。そうやって屯(たむろ)しているうちに、土地のガキ大将も加わって、いっぱい悪いことを覚え、シケているワルガキどもは、ふところ具合をよくしようと、私と同じことをするようになった。そして、まもなく私は、アラス地方の与太者(よたもの)みんなと繋(つな)がりをもつようになった。しかし、ある日、親父のやつが、兄貴を押さえたように私をとっつかまえ、合鍵を取りあげて懲罰し、今後は私に収入をピンはねされる心配がないようにした。
 こうなると、私の収入源は、パン一かまどの十分の一税を徴収することしか残っていない。つまり、ときどきパンをちょろまかしたが、そいつを手放す段になると、捨値で売らざるを得ず、その売上金では、せいぜいパイや蜂蜜水にありつけるのが関の山だった。必要は行動を生む。私は八方に眼をくばった。ワイン、砂糖、コーヒー、酒など、けっこうなものがあるではないか。お袋さんは、こうした食品が、いやに早く減っているのにまだ気付いてはいないが、おそらく、そういう品物に手をつける際に逸早(いちはや)く気付くだろうとは思ったが、一儲けしてやろうとかっぱらった我が家の二羽の若鶏が声をたてて私の悪事をバラしてしまった。半ズボンの中に押しこんで、パン職人の前掛けで隠したが、鶏冠(とさか)をつん出して歌ったので、盗まれたと知ったお袋さんが、ちゃっかりと現われて邪魔されてしまった。そこで、なんとか元気をとりもどし、夕飯も食べずに寝に行った。眠れなかった。悪意が心の中で眼をさましていたのだと思う。そのうち、銀器をガメてやろうと思ったとたんに起き上がったことしか覚えていない。ただ一つ不安なことがあった。銀器の一つ一つにヴィドックという名が、いろいろな書体で彫ってあったことだ。これについてポワイアンに相談したら、なァに平ちゃらだよと安心させてくれたので、その日の夕飯時に十組の銀器と同数のコーヒースプーンをかっさらった。二十分の後、全部の品を質に入れ、翌々日になると、質屋から借りた百五十フランは一文も残っていなかった。

……冒頭より

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