「ヴァイオリンは語る」

ジャック・ティボー/西條卓夫・石川登志夫訳

ドットブック版 188KB/テキストファイル 105B

500円

二十世紀フランス・ヴァイオリン界の巨匠ジャック・ティボーの回想録。繊細優雅で情熱的な名人芸に到達するまでの少年時代の思い出、数奇な運命に導かれ、パリの楽壇で成功し、世界各地を演奏旅行するおりに得たエピソード、親友チャップリンとの交友、死の直前のヴェルレーヌとの出会い、一編の小説を思わせるこの回想録は、今なお読者の興味と共感を呼ぶ。

ジャック・ティボー(1880〜1953)フランスのボルドー生まれ。父はボルドー歌劇場管弦楽団のヴァイオリン奏者、兄たち四人も音楽家だった。16歳でパリ音楽院の一等を獲得、その後名指揮者コロンヌに見出され、天才とうたわれ、とくにモーツァルトの演奏には定評があった。親日家で、三度目の来日途中、飛行機事故で急逝した。

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 とかく、人間は最初の目的とは違うものになりがちのようである。将来、銀行家になるんだと言っていた者が、二十歳(はたち)のときには映画の人気俳優に、また技術家を夢見ていたはずなのが、有名な作家になっていたりする。「僕は大きくなったら……」が、「いや、俺の小さいときには……」と嘯(うそぶ)き出すのだから、始末が悪い。だから、計画などというものは立てるものではないと思う。それはちょうど、人間の顔のようなもので、大きくなるにつれて変化もするし、また多くの場合、当初とは全然、異なるものになってしまうからである。こうした変化には、もちろん、外部の事情とか環境の影響もあることだろう。だが、結局は、人間各自の心の問題に帰着するのではなかろうか? 元来、運命の秘密というものは各自の心の中にあるもので、夢想とか本能とか愛情とかいう小さな聖体がそれを一つの使命にまで育て上げたときに、運命が決まるのだと思う。
 私も、またこうした事例から免(まぬが)れることはできなかった。私が、どうしてこんなヴァイオリニストになったかを友人たちに話すと、彼等は必ず空間に両腕を持ち上げて、「そんなことってあるものか、僕たちはとても信じられないね!」と眼を瞠(みは)ったものである。だが、これは事実なのだから、仕方がない。なぜなら五歳のとき、私はピアニストとして、生地の楽壇にデビューしたからである。そのおり、ヴァイオリンを弾いた兄のジョゼフが、その後、ピアニストに転向しているのも、また適例の一つだろう。実に皮肉な符合と言わなければならない。
 では、私の数奇な思い出を、その「初舞台」から述べていこう。

 *

 私は、一八八〇年九月二十七日、落魄(らくはく)のヴァイオリニストを父としてボルドー市に生まれた。七人兄弟の末子である。不幸にも、二歳のとき、母を亡くした。もの心ついてからは、父の語る母の話が、何よりの慰めだった。大人の言葉が充分わかるようになってからのことだが、その中では、臨終の模様に最も強い感銘を受けた。
「ママは美しいパステル画のようだったよ。だが、その色艶を、眼に見えない消しゴムが段々と消してしまったのだ……。青空のように深く澄んだ大きな眼の下で、紅い唇が少しずつ色褪(あ)せて行くのに、一番、辛い思いをしたっけな。……あ、それから、ママはほんの少し、笑ってたよ。頬の辺で、とても穏やかにね……。わしは堪まらなくなって、思わずそこに手をやってみたが、そのときには、ママの魂に触れたような気がしたものだよ……」
 ボルドー駅からは眼と鼻のポルタル街五番地――。そこに私の生まれた小さなアパルトマンがある。揺籃時代には毎晩、その一部屋で、母から優しく寝かしつけられたことだろう。ほのかなガス灯も、家の内外で静かに瞬(またた)いていただろう。もし、私に何か母の形見があるとすれば、それは淡い微かな子守唄への郷愁である。青い大きな目が低いアルトで口ずさむ美しいディミニュエンドの子守唄――。毎夏、サン・ジャン・ド・リューズ〔西・仏国境に近い大西洋岸の避暑地〕へ避暑するたびに、ボルドー駅で下車してそこへタクシーを飛ばすのも、またその磁性のゆえでしかない……。

……巻頭より

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