「冬の物語」

シェイクスピア/大山敏子訳

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シチリア王レオンティーズは親友ポリクサニーズを少しでもながく自分の宮廷に引きとめておこうとして、妻のハーマイオニにその説得役になってくれと頼む。だが妻がやっとそれに成功した時、王の心にはげしい嫉妬が芽生える。彼は妻とポリクサニーズの仲を疑い、彼女を監禁する。ハーマイオニはやがて女の子を出産するが、レオンティーズはそれを自分の子と認めず、老臣アンティゴナスに命じてその子を捨てさせる。罪人として法廷で裁かれる王妃。だがアポロの神託はハーマイオニの潔白を告げる。その時、王子マミリアスの死が知らされ、それをきいてハーマイオニは失神、やがて侍女ポーライナによって彼女の死がつげられる。レオンティーズの嫉妬は消え、彼は悔悟の念にさいなまれる……シェイクスピア晩年の「和解」の物語。
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【ポリクサニーズ】 私が王位を空けて、国をはなれ、こちらに参ってから、水もしたたる月は九たびも変ったと羊飼いがみとめております。それと同じ長さの時を私の心からの感謝の言葉でみたしましても、兄君よ、なお私は、いつまでも、永久に、あなたにお返しもできずにお別れすることになります。ですから、幾けたも重なった零(ゼロ)の上に、さらにも一つ零を重ねるように、すでにある何千もの感謝に、もう一つ感謝を重ねて、心からお礼を申し上げます。
【レオンティーズ】 お礼の言葉はしばらくおひかえください。お別れする時でよろしい。
【ポリク】 それが明日なのです。私は心配で苦しめられています、私の留守の間に、何か起りはしないかと。はげしい波風が国に吹きまくっておりはしないかと。私のこの心配や予感がやはり当っていたのだなどと思いたくないのです。それに私はもうすでに長逗留しすぎて、あなたに大変ご迷惑をかけています。
【レオン】 わたしはそんな事は何とも思わないし、迷惑だなどとんでもないことです。
【ポリク】 もうこれ以上お邪魔できません。
【レオン】 もう一週間くらいは。
【ポリク】 ほんとうに、明日おいとまします。
【レオン】 それではその半(なか)ばをとる事にしましょう。そして、それ以上は一歩もゆずれません。
【ポリク】 そんなに強くおっしゃらないでほしい。あなたの言葉ほど、私の心を動かしてしまうものは、他に何もないと言ってもよいのです。今だってそうです。あなたがどうしてもそうしろと言われるならそうしたい位です。でも、お断りしなければならないのです。どうしても、国へ帰らねばならない用事があるのです。それをするなと言われるのは、あなたの友情ではあるが、私にはむち(・・)のようなものです。わたしの逗留は、お邪魔だし、ご迷惑なのです、それを省(はぶ)くためにも、お別れしたいと思います。
【レオン】 王妃はどうして黙っているのだね?
【ハーマイオニ】 絶対に逗留はできないとはっきりおっしゃるまでは、私は黙っているつもりでございました。王様のお言葉は、あまりにも冷淡ではございませんか。さあ、はっきりと仰せ下さい。ボヘミアではすべて安泰だと仰せ下さい。このお知らせは、昨日もございました通り、それをポリクサニーズ王様に仰せられませ。そうすればもう何のお言い抜けもできませぬ。
【レオン】 よくぞ申した、ハーマイオニ。
【ハーマ】 王子さまにお会いになりたいとおっしゃいますならともかく、それなら、そうおっしゃいますなら、お帰し致しましょう。たしかにそうだとおっしゃいますなら、おとめは致しますまい。つむぎ(・・・)竿(ざお)でつつき出してさし上げましょう。それでも、一週間、ポリクサニーズ王様のご逗留を拝借させて下さいませ。その代り、ボヘミアにおつれ下さいました折りに、私は主人に私の許可を与えることにいたしましょう。出発の予定の日よりも、一か月おくれて帰ってもよいと。と申しましても、まったくの所、レオンティーズ、私の愛はどんな奥さまがご主人をおもっておられるのに比べても、それに一秒たりともおくれるものではございません。ご逗留下さいますね?
【ポリク】 いや、王妃さま。
【ハーマ】 いえ、ご逗留下さいますでしょう?
【ポリク】 本当に、だめなのです。
【ハーマ】 本当に? いいかげんな事おっしゃって、言い抜けておしまいになるおつもりでしょう。でも私は、たとえあなた様が誓言で大空の星を皆落してしまおうとされても、それでもなお申し上げます。「王様、どうぞお発ちにならないで」と。本当に、お発ちになってはいけません。女の申します「本当に」は、男の方の「本当に」と同じくらい力がございます。それでもご出発になりますか? それなら私はあなた様を捕虜としておとどめいたします、お客様としてではなく。ですからお発ちになる時は、料金を払って頂きます。お礼などおっしゃる必要はございません。いかが? 私の捕虜におなりですか? それとも客人に? おごそかな「本当に」というお言葉で、どちらかにおなりになるのです。
【ポリク】 それでは客人になりましょう。王妃様。捕虜になるということは、何か罪を犯したことを意味します。そのようなことは私にはとてもできません。あなたが私に罰を下されるより、もっとむずかしいことです。
【ハーマ】 それでは私は牢番ではなく、親切な女主人となりましょう。さあ、私はお聞きいたしましょう。お二方が子供でいらした時の、主人やあなた様のいたずらのお話を。お二方ともかわいい若様でいらしたのでしょう。
【ポリク】 そうでした、王妃様、二人とも裏になにがあるかなどと考えもしない若者でした。今日と同じように明日の日のあることを信じて、永遠の少年であると思っていました。
【ハーマ】 主人のほうがずっといたずらっ子でした?
【ポリク】 私どもは陽の光を浴びてたわむれる二匹の子羊のようでした、お互いに鳴きかわしました。私共がとり交したものは、無邪気さと無邪気でした。私どもは悪い行ないなどは知りませんでしたし、だれかが悪事を行なうなど夢にも思いませんでした。もしもそのような生活をつづけ、私共の若い精神が、血気に左右されて、昂揚したりすることがもしなかったとすれば、私共は勇敢に天に向って、「無罪」と言えましたでしょう。私共に課された原罪などはすっかり拭い去ってしまえたでしょうから。
【ハーマ】 ではそれからお察し致しますとあなた様はおつまずきになられましたのね。
【ポリク】 わがいとも神聖な王妃様、誘惑というものがその後、私どもに起って来ました。その頃のまだ若い時代に、私の妻はほんの小娘でした。そしてあなたの高貴なお姿はまだ私の遊び友達の目にうつっておりませんでした。
【ハーマ】 まあ、何をおっしゃいます! もう何も結論をお出しなさいますな。あなた様の王妃様と私が悪魔だとでもおっしゃるといけませんから。でもおつづけ下さいませ。私たちが原因であなた様に起させた罪は私たちが責任をとります。もしもあなた方の罪のお相手は私たちで、私たちと、その罪をおつづけになり、私たちとだけで、その他には、おつまずきになった事がないのでしたら。
【レオン】 まだ言うこと聞かないのか?
【ハーマ】 あなた、ご逗留下さいます。
【レオン】 わたしが頼んでも聞こうとしなかった。ハーマイオニ、君はいままでこんなにうまく言葉を使って、成功したことはなかった。
【ハーマ】 なかったでしょうか?
【レオン】 いや一度しかなかった。
【ハーマ】 え? 二度うまく話したとおっしゃいますか? もいちどはいつでございますか? お願いです、お教え下さい。おほめの言葉をつめこんで下さいまし。食用鶏のようにころころにふとらせて下さい。よい行ないもほめられずに終れば、その後につづく千のよい行ないも殺してしまいます。ほめて頂くことが何よりのご褒美(ほうび)でございます。おやさしいくちづけ(・・・・)一つで、私どもを二百キロの道でも走らせることがおできになりますわ。拍車をあてられてもせいぜい二百メートルしか走れません私たちを。大切なことは、私のさきほどのよい行ないはポリクサニーズ王様をお引きとめしたこと、もう一度は何でございますの? それが姉をもっておりますなんて、本当でございますか? それがお恵み(グレース)でありますように! でも前にも一度うまくお話したことがございますって? いつですの? どうか、私におきかせ下さいませ。
【レオン】 それはあの時のことだった。苦(にが)い三か月の時がつづいて、死にそうになったとき、やっと君のその白い手をひろげさせることができ、君はわたしの愛情にこたえてくれた。その時君は言ったのだ。「私は永久にあなたのもの」と。
【ハーマ】 それこそはお恵み(グレース)でございます。よろしゅうございますか、私は二度うまくお話をいたしました。最初の時は、永久に、王様を夫としていただきました。そしてもう一度は、しばらくの間ですがお友達をいただきました。
【レオン】 〔傍白〕ああ、熱(あつ)すぎる、熱すぎる! 友情をあまり深入りさせすぎると、行きすぎた関係になる。何だか胸さわぎがする。心臓がどきどきしているが、喜びのためではない。喜びではない、この歓待はまことに率直に示されているが、心をこめてと言うには、寛大な気持でと言うには、豊かな心からというには、自由にすぎている。それは女主人にふさわしいものだ、たしかにその通りだ。だが、彼らが今やっているように、手のひらを合わせたり、指をつまんでみたり、鏡に向った時のように、つくり笑いをしたかと思うと、今度は、まるで鹿が死んだという合図の角笛のようなため(・・)息をついたりしている。こんな歓待のやり方は、どうも気に入らぬ。

……第一幕第二場 「シチリア レオンティーズの宮殿」冒頭


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